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物好き

03 03 *2013 | Category 二次::FE蒼炎・アイライ


続き





「生殖は一年に二回かな」
 ライは、小刀で丹念に爪を削りながら、視線を手元に落としたまま応えた。
「ガリアは気候が厳しいだろ? 夏や冬は、まず親が参っちまう。だから、多少暑さ寒さの和らぐ春と秋に、ががっと産んじまうわけ。気温が四十五度超えの頃に出産なんて、死ねっていうようなもんだろ。かみさんの身体が弱い夫婦のところは、男が代わりに産むこともあるくらいだからな」
 油を染ませた布で剣を磨いていたアイクは、ぎょっとして顔を上げた。ライはそれに気づいた様子もない。ベオク型でいる時も、ひどく鋭く曲がって生えるため、始終綺麗に切っておかなければならないという、爪の手入れに余念がなかった。こうして短く切って、側面をならしておけば、化身したときに、最も鋭いかぎ爪が顕れるのだそうだ。
 そもそも今夜のアイクとライは、自分固有の武器の手入れをしようと思っていたところで出くわし、天幕で既に眠っている者たちの眠りを覚まさないよう、近くの川岸まで出た。灯りを置いて、隣り合わせて座り、ぽつぽつと、どうというのでもない会話を交わしていた。
「ラグズは……、男も子供を産めるのか?」
 自分の喉から妙に低い声が出たのを聞いて、アイクは戸惑った。
「ああ。フェニキスやキルヴァスは女しか子供を作らなくなって長いから、どうかは知らないが、ガリアではまだ時々ある。実際、男の方が体力あるんだしな。オレだって産もうと思えば産めんだろ。だけど、こうしょっ中戦があるんじゃ、落ち着いて子作りなんかしてられねえよ。オレ達は幸い長寿の種だからいいようなものの、ガリアの人口も減るばっかりでさ」
 アイクは、何故自分が動揺しているのかは分からなかった。左手で小刀を握り、右手の中指の爪の角を取るライの、横顔は静かで、何か特別な話をしているような気配はなかった。
「お前がベオクでなきゃな、アイク」
 ライは平坦な声でそう云った。
「二、三人産んでやるのにな」
「!」
 アイクは何かひどくよからぬことを……ライが、眠るときに尻尾の位置をどう処理して眠っているかどうか、などということとは、桁違いに具合の悪い秘密を聞いている気分になった。人と話していて、その言葉の続きが聞きたくないばかりに、その場を立ち去りたいと思ったことなど初めてだった。
「お前が父親だったら、相当強い子供が生まれるだろうにな? だけど、ベオクの血を引いた子供を、幸せに育てられるって云いきれねーからさ。オレがガキだった頃より、だいぶ世の中も開けてきたけど、まだまだ、ってとこかな。なァ?」
 ライは、さばさばとした口調でそう云った。アイクは何も応えられずに沈黙した。口の中が乾き、ひどく硬い異物のように感じる唾液を飲み下した。
 ラグズの生殖がベオクの常識とかみ合っていなかったからと云って、これほど自分が驚く必要はないだろう、と思った。いや、ラグズの男が子供を産むと知ったからと云って、アイクにとって何一つ変わることはない。ただ、ラグズという種への知識が一つ増えただけのことだろう。彼は、自分がもっと些末な部分に引っかかっていることには気づいていた。今ライの語っただまし絵のようなラグズの世界の中で、あきらかに一カ所目立って赤く光っている部分がある。
 ────産んでやるのにな。
 ライにそう云われたことが、正視しなくとも意識の隅でちらちらと光って見えていた。強い雄が子供を作る権利を持つのは、ベオクよりも自然のままの姿をとどめているガリアの民の間では当たり前のことなのかもしれない。だが、ライが、アイクを強い雄として、個として認識しているなどと、想像もしたことがなかった。
「アイク?」
 凍りついてしまったアイクをいぶかしむように、ライに名前を呼ばれて、アイクはさび付いた機械のように動いて、手を自分の額に触れた。そこはひどく熱く、どうあっても隠しておきたいアイクの動揺を封じてはいるものの、いまにもはじけ飛びそうな、脆い箍のようだった。
 その時、浅い青緑の、不可思議な模様の浮かんだ、端正な頬がぴくりと小さく引き攣れた。
「ほとんど、冗談だからな、アイク」
 昨日は晴れたが、今日はどうやら曇りそうだ。そんな話をするように平静な声でライがそう云った時、アイクの脳の中で煮えたっていた湯が、蓋をはじき飛ばして、勢いよく飛び散った。


 手を伸ばせばすぐに流れに手が届く小川は、火照った頭を和らげるように、もの優しくさらさらと流れ続けていた。
 夜空に向かってあおのいて転がったライは、アイクに殴られた左側のこめかみを押さえて、まだ笑いの発作から完全に逃れられず、時々小さくふるえていた。笑って汗をかいたからと云って、なめし革の耳当てを取り、小川で顔を洗ったまま、水を拭ってもいないので、月の光に照らされたライの髪は、いつもより余計に銀色がかり、つややかな光の輪を戴いていた。
 たぶん、ライの謝罪の言葉は、三回や四回ではなかったと思うのだが、ここで特別に、許すと口に出すこともないような気がして、アイクは頑固に唇を結んで、剣の手入れを続けていた。今日の剣は磨きすぎだ。
「なあ、ベオクにとって、子供を作るのは特別なことだろ?」
 笑いすぎて少し嗄れた声でライがそう云った。彼の言葉は、何が冗談で、どの辺が本気なのか時々よく分からなくなることがある。だが、その実彼が、たちの悪い嘘つきなどではないと、アイクはもう知っていた。
「作ったことないから、よく分からないけどな」
 無愛想に応えると、ライは笑いの形を唇にとどめたまま、アイクの顔を見上げた。ヘテロクロミアのその目は、今は光源が足りず、翠と紫、という希有な色彩を見分けることは出来なかった。
「オレ達にとってもそうだぜ」
 アイクはちらりと、隣に寝転がった男の顔を見つめた。
「どういう意味だ?」
「不愉快なことは、冗談でも口に出したりしねーってこと」
 ますます訳の分からない説明を付されて、アイクは今度こそ、遠慮なく眉間に皺を寄せた。
「通じねえか……」
 ライは、ふう、と息をついた。溜息をつきたいのは俺だ、とアイクは思う。自分に不審そうな視線を向けるアイクには構わず、ライは、よ、と勢いを付けて起き上がった。その、柔らかくなめらかな動きだけでも、ライの身体能力が常人のそれではないことが分かる。ラグズに化身した時のライは、激しく燃える蒼い彗星のように戦場を駆け巡る。触れたものの胸に氷を射し込む、ひたすらな殺戮の機械になる。その彼がベオクの姿でいる時、奇妙にあたたかい、日だまりのような存在に思えるのが不思議だった。
「しっかしきついな」
 独り言のように、しかし明瞭な声でライはそう云った。爪を削っていた小刀を、服の裾で軽く拭い、指先でくるりとひっかけて折りたたんだ。腰にゆるく巻いたベルトに提げた小さな革鞄にそれを押し込むと、外していた革の耳当てを、頭に巻き付けた。本当に痛むのか、それこそ、冗談半分にアイクにあてつけているのか、殴られたこめかみをてのひらで一度撫でる。耳当ての端を、器用に織り込んで、逆側から引き出して折る。ただ垂らすと、目の横にまで来る柔らかい髪を、上に撫で上げて、耳当てを強く引き締めた。そうすると、いつもと変わらないライの顔になった。
「何がきつい?」
 聞き返すと、ライはまともにアイクを見て、肩をすくめた。
「いや、もし子供が産める身体だったら、この五年で、スクリミルに十人は産まされてるだろうなー、と。女連中は立派だよ。考えて、色々いたわってやんねーとな」
 尋ねておいて、訊かなければ良かった、と思うことなど人生において無数にある。だが、アイクの思い出せる限りで、これほど彼を後悔させた質問への答はなかった。 月光を浴びて大きく伸びをするライから目を逸らした時、小さい、しかし酷く苦いものが飛散した。自分の感情の正体をアイクは無論自覚していなかった。先刻のライの言葉の「ほとんど冗談」と、いう部分に着目するゆとりはその時なかった。

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