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光の王国

01 05 *2011 | Category 二次::C翼(後期)・日向×若島津


続き





「王様」
 そう云われて目を開けると、懐かしい顔が覗き込んでくる。
 彼は目を開けた。そして長い事しなかったような顔で笑った。彼の最高の友達は、ルーズにほどけ落ちてくる長い髪の向こうでやはり笑っている。敬礼するように胸元に軽く握った片手をかざし、不思議に優雅な仕草で彼にかがんでみせた。
「まだ起きないの? 日が高いよ」
 そう云って、かたわらの窓のカーテンを開けた。部屋の中が薄暗かった時には分からなかった髪の光沢や、肌のなめらかさが目に飛び込んでくる。
「何が王様だよ」
「優雅な顔して寝てるからですよ」
 気持ちを読んだような台詞が続く。ベッドの端に腰かけて、かがみ込んでくる顔を見つめる。
 日に灼けている。どちらかというと肌の白い男だったが、学生でなくなって、年中フィールドに立つようになったのだから、この程度に灼けていても不思議ではなかった。
 鋭角な顔のライン。たった二年の間に、以前は優美にもの優しく、どちらかといえば中性的に笑っていた友人はすっかり男になっている。野性的といってもいい美しい男の顔になった。
 コースを別れた。彼は日本を出た。友人は留まった。同じプロとして違う国のフィールドに立ちながら、二年近く顔を合わせなかった。
 友人と彼の間に『友人』以上の感情があったのは知っていた。迷いもあった。お互いのエゴイズムから縛りつけそうな怖さで、口には出せなかった。悪人として獲得するより、若い彼らは、いい友人としてのゼロを選択した。
 この夏、日本で再会した。
 彼らは、自分たちの選択したのがゼロではなかったことを知った。ただそれは成就の時期を伸ばしただけで、互いへの執着は不思議についえていなかった。
(「こんなこともあるんですねえ」)
 気恥ずかしい、十四年目にしての告白に続いて、友人が照れたように笑った。
(「あるんだな」)
(「遠回りしましたね」)
(「俺が話ふってもかわしてばっかりだったくせに」)
(「まあこれだったら、女を知らなかったからとか言い訳出来なくて、状況としては結構いいですよ、俺には」)
 苦笑と共にそんな言葉が返ってくる。
 その言葉で、友人がそれ以上の関係に踏み込んでもいいと思っていることに、彼は驚かされた。それは彼の望みと合致してはいたが、感情的な部分はともかく、友人が目に見える変化を望むとは思えなかったのだ。
「無防備な顔して寝るようになったんだね、あんた」
 抱き合って、互いをむさぼりつくした翌日ではあるけれど、二年間のブランク以外にはどこも変わらない友人の顔、見慣れた唇が微笑した。
「無防備? そうかな」
「そうですよ。それとも俺がいるから?」
 やはり前には使わなかった云い回し。二年間が自分たちを変えた事を知る。彼は勢いをつけて起き上がった。間近に近付いた顔を眺める。
 健康な皮膚、頬のすっきりとそげた面長の顔を飾るくっきりと意思的な瞳。不似合いなようでいて、もうそれなしには考えられない、彼の黒い髪が額から下がって来ている。ほんの少し分けて切った前髪が両眉の横にかかっている。
「関係あるかないか分からないな。何せ昨日から興奮しっぱなしだ」
 友人が喉の奥で笑う。
「そう? 次が考えられる程度には、俺にエキサイトする?」
 彼は声を立てて笑い、髪ごと友人のうなじを抱え寄せた。歯ごたえのある肩、華奢な部分のない、しかし薄く柔らかい筋肉の張りつめた友人のからだ。彼を抱こうと思ったことはあっても、抱かれることを考えなかったのがふと不思議になる。友人は充分男で、男の武器を全身に備えている。何故彼なのか。思ったことはたびたびある。答が出たことはない。
 おれには甘く溶け込むようにして女と暮らしを絡めあうのが向かないのだ。
 仕方なく彼はそう思う。
 彼のような、そしてまた友人のようなエゴイストには。
 その欲望を満たす女を捜すよりは、お互いが形にはまるのであれば、そうした方がいい。
 それは暮らしのかたち、感情の行き場だけでなく、快楽のありようでさえそうだった。
 ある種サディスティックな傾向のある彼には、友人の鍛えた体の手ごたえや、荒げた男の息の中に混じる、自分に引きずり出された甘い呷きが、不思議な興奮を呼び起こす。嵐のようにとまでは行かなくとも、やまない風が、みぞおちから喉もとまで耐えず吹き上げてくるような、奇妙な持続性のある、しかし粘着質でない欲望がある。
 友人に対して期待していなかったその快楽を得て、彼はむしろ戸惑う。それを自分に与える友人に感嘆する。
 そして、自分も友人にそれを与えているのだと知っている。
 王国に共存する二人の若い王は、背中合わせに互いを感じている。互いがどこを治めているのか、互いの目を見なければ分からなかったこともある。焦りが訪れ、疑いが、別れが訪れた後に、ようやく背中の温かさを確かめた。
 確信のために今日まで、答えを引き伸ばしてきたようなものだ。あせない思い、変わらない濃い、友情、尊敬、そんなあり得そうにないものが、隣にいる人間の中に集約されていることを発見した。その時の驚きを、成就によって薄れさせたくなかったのだ。
 そしてたっぷりと味わったと云っていい。
 目で味わった友人の映像を、シャッターを切るようにしてまぶたの中に治め、彼は友人を抱きしめた。温かく充実した皮膚につつまれて、身体は不思議に彼になじんでくる。
「俺、まだおさまってないぜ」
 彼はささやいた。友人の唇が、笑みの形を残したままで彼に重なってくる。
「自覚してからさ。十年なんだから、しかたないよ」
 言葉に、俺も、とつけ加えて、友人が崩れ込んでくる。
「何て呼ぼうか、あんたのこと」
 唇が離れて呼吸が整った時、友人はふとそんなふうに云い出した。
「せっかくちょっと離れてたんだから、ちょっと違う呼び方でもしてみたいけど」
「好きに呼べよ」
 笑いながら、あたたかい首筋に歯を立てる。咬みちぎってしまいたいような喉もとだ。ここに友人の体をあたためる血が流れている。その動きに感じたようで、笑いながら友人は彼を抱きしめ、少し切ない息を吐いた。
「でも……やっぱり、前と同じがいいかな。好きなんだ。あんたの名前。あんたの名前だからかも知れないけど。―――でも、何か構えちゃって、日向さん、なんてつっぱってたのが、自分でも可愛くってさ。こだわっちゃうよ……」
「思いっきりこだわれよ」
 彼は、友人の喉元を撫でる自分の歯に、唇に走り抜ける衝動を耐える。殺してしまいたくなるくらい愛しい。そんなことを自分が思っているのが分かる。この友人にしか抱かない、熱い、透明と云ってもいい、殺意と紙一重の愛しさだ。
「お前が、俺のどんなところにこだわってたか、全然知らないんだ。聞かせろよ」
 友人は声を上げて笑った。笑みにかすかに震える胸が彼に触れる。熱い鼓動を共有する。
 後でね、という答のあと、彼らはまたお互いに没頭する。
 カーテンから差し込む日ざしに射られる。光をはじくお互いの目のまばゆさを耐え、視線を共有する。言葉に出す以上に互いの感情に同調し、眩暈のしそうなまぶしさを口移しに交歓する。
 そして思い出したように、若島津、と呼んで、胸の中の男の名を確認した。その名を持つのは無二の男、無二の友人だ。双方が、自分の人生における独裁者である彼ら。うとまれかねない烈しさを持てあまし、優しさの欠け落ちた気性の中で、友人の存在はつくりごとめいて大きい。
 時間をからめ合う。胸の中の国を分け合う。
 やがて衝動は燃えて形をなくし、互いが汗の鎖でつながって、鼓動も身体もまざりあってひとつになった。
 孤独に似た充足感。濡れた視線を上げると、はるか投げあげるように、高く空がある。
 光の王国の午後。
                                          了

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