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THE SWEET 10 ダイヤモンド

01 05 *2011 | Category 二次::C翼(後期)・日向×若島津


続き





「十年だよ、日向さん」
 電話口で聞き慣れた声がささやいた。この十年でこいつずいぶん話し方が変わったよな。日向は思う。声が低くなった。おだやかで余裕のある話し方をするようになった。最近見せる、少し特徴のあるアルカイックなほほえみさえ目に浮かぶようだった。
 日向は、十年、というのがすぐに何のことだか解って顔をしかめた。まさか、向こうが蒸し返して来るとは思わなかったのだ。
「十年だな」
「どう、日向さん」
「どうってお前、まさか」
「そのまさかです」
 携帯からかけているらしい、ほんの少し不鮮明な声が含み笑った。日向さんなんて呼びやがって。日向はほんの少し腹を立てた。若島津は、日向が高校卒業後、夢のようなワールドクラスのサッカーユースチームをつくることに目の色を変え、無職で葛藤していた頃、さっさと就職活動して仲間内で一番早くJでプロになった奴だった。ドイツとブラジルで十代で一軍に入った怪物もいたが、そいつらを除けば、若島津は仲間内では一番の実際家で、ひそかな行動派でもあった。その当時、一緒にいたユースチームで、馬鹿みてえに頭の硬い監督にいつまでも控えに押し込められていた若島津は、莫大なストレスをため、幼馴染み兼チームメイトだった日向をすぱんと切り捨てて出て行ったのだ。
 そしてさっさとデビューして、華々しい成績を残した。十九の頃の話だ。その頃はもっとハスに構えた感じのムードだった若島津は、日向さんなんて呼ばなかった。それが、日向が長い夢から覚めてJ入りし、代表にも入って、二回分のワールドカップと紆余曲折を経て商売敵でいる内に、気がついたら、日向さん、なんて嫌味な呼び方をし始めたのだ。昔はキャプテン、とか呼ばれていた。日向は彼と中高が一緒で、両方とも部活の主将だったのだ。
 若島津はGKだ。一見してはちょっと甘い外見の若島津は、それに似ず攻撃的なプレイヤーだった。フィールドに転向しようかと十何年悩み、し損なって今日にいたる。身長が高い。百九十近くある。ただしGK体型ではない。手足の長い、すらりとした長身の、切れの長い目をしたいい男だ。顔だけ見たらヤサ男みたいだが、何せでかいのでその印象はない。
 十七の時のことだ。何が十年か、という話だ。今二十七の彼らの十年前の話。
 その気になった。その気ってつまりその気である。いや、結構まじめに好きだったのだ。あの頃は若島津はそんなにでかくはなかった。身長は高いけれど、もっとほっそりしていて、まだ精神的にも不安定で、必死な感じで可愛かった。手を出そうと思ったのだが、ちょっと踏み出せなかった。しかも向こうに気づかれて、嫌がられた。イヤだったというよりはやっぱりそんなに簡単に未知の世界に飛び立ってしまえなかったのだ。ホモになるのは少し抵抗があった。『男が好きなんじゃない、お前だからだ』とかなんとか面白い言葉を吐こうにも、でも結局のところ男同士だし、愛がなくてもできるけど、ホモの要素はちょっとでもなければ嘘だ。
 だが、互いが好きだと自覚したとして。要素が互いにあるのを確認出来たとして。踏み出す勇気とはまた別ものだ。
 それで、十年たっても二人ともまだ好きで、結婚もしてなくって、もうちょっと割り切れてたら、いっちょう行こうか、なんて冗談混じりに、でも少しは本気で話し合ったのだ。二人が高校二年の夏のことだ。
 十年なんてあっという間だった。日向の方では若島津をいいな、と思う気持ちはまだあるのだが、何せこの男はでかくなった。身長一八三の自分より四センチもでかい。二十代後半に入って時々威嚇的に見せてくる押せ押せムードからして、今出来上がったら身の危険がある。あのバカ綺麗なツラ相手に自分が女役をすることを考えると目の前が暗くなる。
 忘れてしまうに限る。
 ましてや相手が覚えてるかどうかなんて分からない。
 日向としてはこの件を、こっそり青春の過ちにしてしまおうと思っていたのだ。
 その話をした十年前も、確かこんな暑い日だったから、たぶん日付けとかも正確に覚えていて、それでかけてきたに違いない。こいつのここらへんの粘っこいところは何年たっても変わらない。
「まあ、じゃあ、そのうちいっぺん会って話すか。……」
 思わず声から力が抜けた。すると電話の向こうからは不服そうな返事が返って来た。
「今日だめですか?」
 あっ。ちょっとこいつ怖い。やる気満々じゃねえか。
「今日って、お前、今からどこで会うんだよ」 
 もう十二時近い。
「俺、下のエントランスにいるんです」
 甘い声で若島津は云って、またあの怖い含み笑いをした。
 何? 
 下にいる、だ? 日向はまた『あっ』という気分になった。
 こりゃやられちゃうかな、と思った。ここまで相手が能動的だと、恋愛には逃げ腰が信条の日向としては押し返せない気がする。
「ま、いいや。上がって来いよ」
 まあ、何だかんだ云って、十年もしつっこく好きだった相手だ。若島津にならやらせてやらないこともない。彼はため息をついた。

「何かね、友人にさ。男同士のカップルとかいるんですよ」
 若島津は、日向の部屋のソファに座って、悠然と長い足を組んで座っている。髪は昔のように長くはない。ちょっと襟足にかかる程度だ。それにかかわらず、ほれぼれするように美しい女顔だ。長く目尻の切れ込んだ目をまたたかせて微笑する。面長の顔が白い。こんなに炎天下の下を連日プレイしてるくせに化け物じみて丈夫な皮膚だ。
「それがね、すっげぇ幸せそうなの。それ見てたら最近ね、つきものが落ちちゃったんですよ。男同士ってだけでどうしてそんなにリキんでたのかなって」
 俺としちゃまだリキむところが。日向は内心呟いた。そのくせ目は若島津に吸い寄せられている。やっぱりものすごくいい男だ。日向だって周りに云わせりゃあいい男だが、本人にとってはそれほど意味がない。若島津はダークグレーの光沢のあるシャツを着ていて、そこから綺麗なラインの長い首や腕が伸びている。頭は小さい方だ。目が凄い。切れ長なだけじゃなく、ここ数年なんだか色っぽくなった。
「まあ、俺もそうかな」
 日向はしかたなく云った。
「つまんないこだわりだとは思ってた」
「そう?」
 若島津は口許をほころばせて甘く微笑した。
「何だ、じゃあ問題ないじゃない」
「……そういうことになるかな」
 あいかわらず若島津のムードはかなり押せ押せで、日向はあきらめた。高校生の時はこいつを抱く以外は駄目だと思ってたけど、今となってそこにこだわるのも悪い。女役ならごめんというのも、思えば図々しい話だ。さすがに未来永劫やられっ放しというのは御免被りたいけれど、今回は口を切った若島津のまめさに免じて譲るしかないかも知れない。
「で? どうする?」
 日向はどうとでも取れるように表現をぼかした。
「そうですねえ……」
 若島津は薄くて形の良い唇の端を上げてにっこりした。目を細めると、睫毛がびっくりするくらい長いのが分かる。
「俺は、あんたに抱かれたいなぁ」
 ええっ。
 日向は仰天して若島津を眺めた。実際の話、日向の方ではまったくその方が希望なのだ。ただ向こうも長身で強い身体を引っ提げて、幾ら綺麗でも男で、一方的ってのはないよな、というのが日向の中にある。ジャンケンで決めるのもそりゃ悪かないけれど、若島津が女役ってのには何か無理があるような気がしていたのだ。(この場合彼は自分が女役が適切かどうかはさほど考えていない。もし彼に若島津より受け身の素質があるとすれば、せいぜいいって、たかだか四センチ低いその身長と、自分からはなかなか、メンタルな面で努力できない面倒がりな性格、くらいのものだろう)
「何で? お前そういうの好きなの?」
 日向が思わず口走ると、若島津は赤みの強い唇でにっと笑った。ちょっと後ろぐらい笑みにも見える。
「何か愛されてるって感じがするじゃないですか」
 二十代に入ってから少し声質の変わった、抑揚の薄い、歌うようなかすれ声でささやいた。
「……」
「それに俺のせいにされちゃったりしたらイヤだし」
 日向はうっかり絶句したまま若島津の整った顔を眺めた。
「だってあんた、見かけによらず被害者体質なんですもん」
 見かけ通りに加害者体質の若島津はちょっとだけヤケになったように云った。
「それとも何? こんなにでかくちゃダメ?」
「そりゃお前……」
 日向は我慢出来なくなって笑った。近寄って行って、若島津の耳元に口を近づけた。
「俺の頭の中で何が起こってるか知ってたら、そんなこと云わないと思うよ」
 若島津は少しせつない目になった。
「何が起こってるのか云って下さいよ」
 この甘く誘う声の調子には、若島津にどういう意志があろうと、科白をいやおうなしに口説き文句に変えてしまう威力がある。
「口じゃ云えないよなあ」
 若島津の首筋に唇を近づけてみると、何たることか、香水の香りがする。
 ああ、お互い子供じゃないんだな、と実感する。二人ともCMとかテレビなんぞで見られることにも慣れて、すっかりサッカー少年ではなくなった。サッカーは真面目にやっているが、サッカー以外ではそう真面目でもない。若島津の出てる酒のCMなんて無茶苦茶映像的で、何だか奴の出てる恥ずかしいビデオを見せられてる気分になって、ある夜のネタになってしまったほどだった。
 日向は、座る若島津の片膝の下に自分の膝を割り込ませた。若島津は日向の腰に大きく膝を割られた煽情的なポーズで、戸惑ったように、しかし甘く微笑した。
「云ってくれないの? つまらないな」
「お前はまた、ストレートに云ってくれたもんだよな」
 日向は若島津の膝の奥に手を忍び込ませた。開き直って、しかも本人からOKが出れば怖いものはない。
「お前ってもっと、精神的にアプローチする方かと思ってた」
 服の上から握りしめると、若島津はぴくんと震えた。
「そんなの」
 うわずった声になって、若島津は苦笑した。日向が指を動かし易いように膝を開いた。
「つまんないですよ……」
 ふとその声に混じった潔癖な響きに日向は、学生時代の彼を垣間見ておかしくなる。
「ン、っ……」
 キスして舌をからめると、若島津は喉の奥でうめいた。実はキスは初めてではない。酔っ払った勢いで何度もした。何年か前にも、寸前まではいきそうになったことがある。若島津は舌のくぼみが敏感で、ここは舌や指で撫でられると弱いらしい。
 若島津の声に煽られて、日向も一気に勢いがついた。
 幾らなんでもここまで急展開にしなくっても良さそうなものなのに。言葉にするのは遅いくせに、手を出すのは早い自分に内心呆れながら、日向は若島津の腕を引き上げ、ベッドルームのドアの前まで引っ張って行った。四センチ高いうなじを抱え寄せて、また、濃厚なキスをした。

「こんな一瞬の決心で済むなら十年間もったいなかったな」
 日向がため息混じりに云うと、隣に腹ばいになってさすがにへばっていた若島津は、まだ汗を帯びた顔を振り向けて笑った。
「一瞬で決心出来るようになるのに十年かかったんだから、仕方ないじゃない」
 日向は、昔の交通事故の傷跡を残した若島津の滑らかな背中を指でなぞった。
「後悔はしてないみたいだけど、どうだった?」
「よかったですよ。もっとも俺は、あんたが中学生みたいにへたくそでも感じると思いますけどね」
 そんなことを聞くか、という顔だ。
「俺もそのうち、させてもらおうかなあ」
 若島津はふっとため息をついた。
「何を?」
「きまってるじゃないですか。俺、たぶん上手ですよ」
「だったらなおさら嫌だね」
 これは若島津が言い出したのだ。この件に関してだけは、日向は言質を取ったつもりでいる。彼は笑って若島津を敷き込んだ。そんなことを話している内に、また戻って来た感じがする。太腿が絡むと、若島津はかすかに目元を上気させて、日向の背中に腕を巻きつけた。

 日向はその後、人間関係で多少たるんでいた部分を修正した。ことに女性関係がすっきりとした。今の本命は誰なのか、何があって『意気消沈』してしまったのか、周りは取りざたしたけれど、彼はたいして気にしなかった。
 突っ込まれると、いやあ、しばらく男同士で地味に旧交を温め合うなんてのもいいかなって思いまして。などと云ってみせて、昔のチームメイトとよく行き来しているようだ。
 彼は嘘はついていない。
 日向の奴おとなしくなっちまっていったい大丈夫なのだろうか。関係者はかえって心配したようだが、そんな心配もなく、彼は好調だった。
 同窓会は、たしかによき楽しみなのかも知れない。最近日向と仲のいい、当の昔のチームメイト若島津健の、あるオフ後のコメント。
『思ったより疲れる』
 ……何の話だか。
 形成が逆転した様子はないが、べつだん幸せそうである。
 底なしという意味ではいい勝負だ。
 やっぱり友情はいい。
 そうは思わないか?

 今日は天気がいい。
 日向が機嫌よく布団を干している。さても午後あたり、若島津のアウディが日向のマンションの駐車場に入って行く姿が見られそうだった。

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