10年前に書いた話……ちょっと見返したら、絶句するほど……いえ、何も云いますまい。続きを書くつもりがまだあるので、小説頁から転載します。
幻水2で、主人公たちと出逢う、ほんの少し前から始まる、青赤馴れ初めと、暴走しつつ働く青の葛藤話。
都市同盟の一角に名を連ねるマチルダ騎士団領は、北方に険しい山峯をいただき、周囲を深く暗い森に囲まれて、周辺の国に比べ、年間を通じて清冽で厳しい寒気に曝されている。
白騎士団をはじめ、青、赤、それぞれ三つの騎士団を束ねて国を統括するこの軍事都市は、都市同盟の中でも一種特殊な存在であった。真東にハイランド王国、北はハルモニア神聖国と隣接し、常に緊張状態にありながら、ひたすらに軍事力を磨くことによって、大国に吸収される脅威を跳ね返してきた国だったのである。
王ではない領主、騎士団長を領主として、また、ある種象徴性の低い騎士団という組織が国政を執ることで、民と国との間の溝が深まったことも過去には数知れなかった。
マチルダ騎士団領の最大の弱みは、軍が国の護りを堅固に司る一方、戦いが起これば、必ず経済が弱体化することであり、軍の力が強大になればなるほど、地盤である民に利潤が行き届かず、不満が累積することであった。
そのため、騎士団と国民を共存させるためには、騎士団の内外の事情を潔癖に保って、国民との心のつながりを密にしておかねばならず、各騎士団はそのための指導者を常に必要としていた。欲に流されず、力に溺れない度量を持とうとすれば、必然的にある程度の年輪が必要になる。しかし、その年輪は皮肉にも長い在職を妨げることとなった。
白騎士団の騎士団長、ゴルドーはこれまでの騎士団の歴史の中で最も長くその地位に就き、この国の最高位に上りつめた男だった。年も初老に差しかかったが、未だ肉体的には壮健であり、他者にその地位を譲る気配はない。
しかし、青・赤騎士団の長は今まで数年に一度ずつ入れ替わり、そのたびに指揮体系に乱れが生まれるのが常であった。
しかし数年前、両騎士団の双方の騎士団長が同時に入れ替わった。彼ら二人は、その当時それぞれ二十三歳、二十四歳の若さだった。それはこれまでその地位についた者の中で最も若かった。
赤騎士団を統括する騎士団長は、青騎士団長よりも一歳年長であった。
ものごとを柔軟に受け止め、冷静で、民や部下の言葉によく耳を傾ける青年だった。白騎士団長のゴルドーにおもねることこそなかったが、軋轢も起こさず、年長者も多い赤騎士団をうまく切り回した。
すらりと背の高い、甘い美貌を持った青年で、外観はいささか優男といった印象がある。
そのため、騎士団長に就任した当初は、それがむしろ彼の政治力が優れているためであるように思う者もあったようだが、しかしその実、戦場では稲妻のように鋭い剣をふるい、剣技にかけても、歴代の騎士団長に決してひけをとる男ではなかった。
青騎士団長となったマイクロトフは、赤騎士団長のカミューに比べて、自らの心を隠すことも、ましてや曲げることも出来ない、鋼のように剛直な青年だった。
鋭く硬質にひきしまった顔だちと、大柄で引き締まった身体の示す通り、彼は生真面目一方の、誇りと正義を何よりも重んじる気質であった。それゆえ、計算高い目上のゴルドーと何かと確執が多く、融通をきかせられずに不興をかうこともしばしばだった。
しかし烈風のように激しく信念を貫こうとするこの青年は、部下に圧倒的な人気を誇っており、ゴルドーも、彼の統率力の高さを認めていた。不快要因は多くとも、ゴルドーがマイクロトフを騎士団長の位に据えておくのはそのためだった。
マイクロトフとカミューが騎士団長の任に就いて二年が過ぎる頃には、多くの不正と歪みが正された。騎士団の規律はそれ以前より遥かに整い、騎士団長であるマイクロトフとカミューが親しい友人同士であることから、赤騎士団と青騎士団の間にあった、無意味な反目も姿を消しつつあった。
マイクロトフは、領地の見回りを部下だけに任そうとはせず、戦がなく、平定の折りには必ず、自ら馬を駆って、周辺の街や村を訪ねた。長い間、マチルダの拠点・ロックアックス城を空けるのでなければ、時にはカミューも同行することがあった。
連れだって見回りに出かける二人の騎士団長の姿は、最初は騎士たちを戸惑わせ、違和感を与えたようだが、それも定着し、両騎士団は今までになく良好な関係を持つようになっていた。
ミューズとマチルダの関所は、ことに警備を行き届かせなければならない場所のひとつだ。都市同盟の中心的役割を果たす、大都市ミューズには、今はリベラルな女性市長が立ち、自ら煽って戦を起こす気遣いはなかったが、だからこそマチルダ側からの粗略な侵害があってはならなかった。それはとりもなおさず、非常の折、ミューズに優先してことを運ぶ権限を与えることにもなる。
マイクロトフは、任務でひとつきマチルダ騎士団領を離れ、一昨日騎士団領に帰ってきたばかりだった。
昨日一日は、報告書をまとめ、自らも留守中の団内の報告書に目を通して、城内で一日を終えた。今日は何を置いてもミューズとの関所まで出かけるつもりだった。早朝から目を覚まし、数人の部下を伴って馬屋に行くと、やはり赤騎士数人を連れたカミューが馬に鞍をつけているところだった。
「出るのか、マイクロトフ」
カミューは微笑した。
「……ああ」
マイクロトフはわずかに胸を浮き立たせてうなずいた。
対立こそ避けなければならないが、本来は競い合うべき赤騎士団のこの友人が、なぜ、同じ青騎士団の戦友や部下よりも、自分の心をとらえるのか、時折マイクロトフは不可解に思うこともあった。
かつて、自らを決して崩さずに微笑みで鎧った、美しい少年時代のカミューを、マイクロトフはどこか得体の知れない、信用に足らぬ者のように感じたこともあった。しかし、頼りない少年騎士であった双方が、共にいくつかの戦場をくぐり、理想を語り合い、同じ志の上に生きていることを確かめた今、カミューは誰よりもマイクロトフの心の頼みにする相手に変わっていた。
激昂せず、怒りを口にせず、多くの男のように誇りを振りかざそうとしないだけで、カミューはひと一倍厳しい戒律を自らに課し、騎士としての、ひととしての誇りを保つために道を曲げぬ、真に尊敬出来る男だった。
決して口にすることは許されないが、彼はカミューを白騎士団長のゴルドー以上の男だと考えていた。いずれは三つの騎士団を全て束ねるのはカミューの役目になるだろう。
マイクロトフをその地位に、と望む部下が多いのも知っていたが、彼自身には思いもよらぬことであった。闘いと騎士の誓いに忠実であることは出来るが、自分はカミューのように人の心を推し量って、采配をふるうことの出来ない人間だ。
部下を気遣ってやれない自分にその地位は重い。青騎士団をたばねることですら、時にマイクロトフは己が手に余るように感じるのだった。
「わたしは今日はミューズまで出るが、お前もか?」
「ああ」
マイクロトフはうなずき、やがて彼らは赤・青騎士取り混ぜた数騎で城門を出た。いまだにこうして、赤騎士団の騎士たちと連れだって城門を出る時、ゴルドーの視線を感じるように思うことがある。ゴルドーは、赤騎士団と青騎士団のつながりが深まるのを快く思っていなかった。彼らが力を合わせて、白騎士団に離反するのではないかと恐れているのだ。
騎士団の中の政治に、極端に疎いマイクロトフにさえそのことは分かった。
(ゴルドー様はなぜあのようなことを……おれとカミューがそのようなことをくわだてる筈はないものを)
マイクロトフは苦々しく胸の中で一人ごちた。
裏切りは何よりも汚らわしいことだ。それは騎士の誓いを破ることだ。
あくまで故国に仕え、それを護ることが騎士の誇りであり、誉れではないか。疑念を持たれていることそのものがマイクロトフには耐えがたく思える。自分だけでなく、それはカミューの価値をも汚されているように感じるのだ。
「疲れは取れたのか、マイクロトフ」
しんと冷えた霧の朝であった。蹄の音は濃密な朝もやの中に飲み込まれて、森の静けさを乱さなかった。一歩前を進んでいたカミューが、馬の手綱をわずかに緩め、マイクロトフの隣に並んだ。深く連なるマチルダの森に白く煙る霧の中で、赤騎士団の象徴である、深紅色の礼服に身を包んだカミューは、いつにましてあでやかだった。男をあでやかと思うのも可笑しいような気がするが、マイクロトフにはそれ以外にカミューをどう形容するのか思い至らなかった。
「ああ、もとより、それほど疲れてはいなかったからな」
他の男になら、任務中身体の疲れについて問われるのは屈辱的に思うところだが、この歳上の友人には、マイクロトフはそれを許していた。
苦笑していらえを返すと、カミューは女のように甘い睫毛を伏せて、思わしげに沈黙した。いつも薄く微笑を浮かべる唇からふと笑みが消えて、厳しい表情が浮かんできた。
「……何かあったのか」
その表情を見とがめて尋ねると、カミューはうなずいた。
「わたしの口から、これをお前の耳に入れて良いものか迷った────、マイクロトフ」
「云ってくれ」
「昨年、青騎士団に入ったばかりの騎士に悪い噂がある」
「悪い噂?」
「城下町に、城で許可を出していない薬や酒が売られている。他のいくつかの街でも同じことが起こっている。どれも青騎士団の管轄の街だ」
「……何?」
さっと胸が冷える。
「店主を問い詰めているが、まだ詳しいことは判らない。お前も城を空けていたし、わたしも青騎士団に土足で踏み込む訳にはいかないからな」
カミューは前方に視線を据え、マイクロトフだけに聞こえるように、なおさらに声を低めた。
「これは同じ城下町の店主からの密告だから、慎重に確かめなければなるまいが、その男は、青騎士団の者が金品を受け取るところを見たとか」
「……それは、誰だ」
マイクロトフは手綱を取る指に力をこめ、感情の爆発を耐えた。声を押し殺して、そうカミューに問うた。よりによってカミューにこのような話をさせることになるとは。
カミューは声からことさらに感情をそぎ落として、静かに疑いを持たれている騎士の名をささやいた。
マイクロトフはうなずいた。
それはグラスランドの、しかも。カミューと同じ街出身の若い騎士であった。いささか功に逸るところはあるが、それがむしろ熱心に思えて、マイクロトフが目をかけていた騎士の名だった。このような噂がたつのはマイクロトフにとってはむろん不快なことだったが、カミューも、幼い頃から顔を見知った騎士であるだけに、おだやかならぬ気持ちだろう。
「……承知した。忠告感謝する」
「急くなよ、マイクロトフ。まず、充分に調べることだ」
「もちろん分かっている」
切り口上に返すと、カミューはそれ以上は云わず、また馬の歩を早めた。
森を抜け、ミューズに向かう街道にさしかかった時だ。ようよう日が高くなり、弱い太陽が街道の霧を晴らし始めていた。
その道の行く手に、騎士団の男たちの馬の前にまろび出る一人の老いた男があった。
「何用だ」
赤騎士の一人が、鋭く誰何する声をカミューが押し止めた。
「騎士様方の道をふさぐ無礼をお許し下さい……」
老人は、身を震わせながら腰をかがめたが、あきらかに彼らの行く手をさまたげるため街道の真中に立ちはだかった。
「ご老人、我々に何かご用でしょうか」
カミューがもの柔らかに尋ねる。老人は顔を上げたが、その目は問いかけたカミューを見てはいなかった。老いたまぶたの奥から光る目でマイクロトフを見上げ、押し殺した声で叫んだ。
「そちらの青騎士様に申し上げます!」
「……」
「その勲章、青騎士団長のマイクロトフ様とお見受け致しました」
「いかにもおれは青騎士団長だが……」
マイクロトフは眉をひそめた。
「おれに話というのは?」
老人はごくりとのどを鳴らし、何から云い始めようとするかを迷うように、落ちくぼんだ目をさまよわせた。迷っているようにも思えた。しかし彼の中で衝動が勝ったようだった。
「騎士団の方々は、税金と引き替えに儂らを護って下さると云う。そのお言葉お志は誠に結構なことです。でもその代償にこんなことを耐えろと云われるくらいなら、儂等は金輪際騎士団のご加護なんぞ欲しがりやしません」
声は苦く上擦り、老人は口角に小さく泡をにじませた。
「もう真っ平です……!」
「何が云いたい」
一人の青騎士が気色ばんで、今にも剣を抜きそうにした。
しかし老人は怯まなかった。土気いろに乾いた顔の中で、その目は何か、騎士たちには理解できない怒りにとりつかれてぎらぎらと光っていた。老人が、何が起ころうと引くまい、という覚悟をもってこの場に赴いたことを伺わせる目だった。
マイクロトフは途惑ったように老人を眺めた。
「控えろ」
部下の青騎士を制止し、馬を滑り下りて老人の前に立つ。丁寧に上身をかがめて話しかけた。
「申し訳ないが、おれはあなたが何を云っているのか判らない。何があったのか話して下さい」
先刻カミューの切り出した話がよみがえってきて、マイクロトフの舌は乾いた。自分が城を開けたたったひと月の間に、青騎士団の中で何かが起こっている。
「儂はこの先の街道の村の商人、フェーズという者です」
彼は半ば腰を曲げるようにして立ったまま、身を震わせて声を押し出した。
「……昨日の夕方、青騎士様が一人、うちの店にいらっしゃった。文句をつけにいらしたんです、うちの店に置いてあるものが、青騎士団のお許しを得ていないものだと云って……冗談じゃありません、うちは村の人間が使うだけのものを、細々売り暮してるだけの小さな店です。禁制品なんてどこにも扱ってはおりません。……その時はあいにく、儂も息子も留守にしていて、孫娘が一人で店を見ておったのです。十五になったばかりの孫です。そりゃ綺麗な娘になりましたが、まだ十五です。子供同然の……」
老人は一気に云い、息を切らしてそこで言葉を切った。
「……」
マイクロトフは老人の言葉に耳を傾けるうちに慄然とした。何が起こったのか分かりかけたが、にわかには信じられなかった。
「青騎士様は、孫に税を差し出せと云った。子供のことですから、そんなことを云われたって咄嗟にどうこう申し開き出来るものじゃありません。すると青騎士様は孫を、城で詮議するからと云って、村の外に馬で連れていきなさったんです」
老人の胸の前で組んだ手は、じっと握りしめておれないように細かく震えていた。
「孫は夜になっても帰らなかった……」
再びごくりと喉を鳴らして何かを飲み下す。
「村中で探しましたよ、お城になんて行っちゃいないというのは分かりましたからね。村中で探して、森の中まで捜しても見つからずに……明け方に孫は帰ってきました……裸足で、惨めな姿になって……可哀想に、首でも吊ってしまわないかと、あれの母親がずっとついてなけりゃならないほど、泣いて、小さな顔を真っ青にして……」
老人はこぶしを握りしめ、目のふちを赤く染めて叫んだ。
「街道の村に越して四十年、こんな酷い話は聞いたことがありません……!」
石のように押し黙ったマイクロトフの目の中に何かが動いた。
「どうなんです、騎士団長様! 儂らは大事な娘をもののように扱われても黙っていなけりゃならないんですか! 盗人でさえ人目を忍んで日が暮れてから歩き回るだろうに、あんた方はどうだ。白昼馬に乗ってやってきて、子供ながらに働く小さな娘を浚って行くとはどういった了見だ────やりたい放題の騎士様方にとがめはないのか、そんなけだもの共を飼っておくために何故高い税を払っているのか、儂ははっきり答えてもらいたいんですよ!……」
「……」
マイクロトフが突然、黒水晶のような硬質な瞳を、隠々ときらめかせるさまを、その場に居合わせた全ての者が見た。
その剣呑な光に、死を決する覚悟で訴え出た老人さえも、瞬間勢いをそがれたように思えた。老人はぶるりと大きく身体を震わせた。目の中に狂気じみて細かな血の筋が浮かんだ。
「……儂の云ったことが気に入らなければ斬れ、この偽善者の若造ども……息子は騎士団にはたてつくなというが、儂の考えは違うぞ! たった一人の孫を踏みつけにされても泣き寝入りしなきゃならないなら、城門に吊された方がよっぽどましだ!」
「ご老人」
マイクロトフは低くつぶやいた。唸るような響きがその声にあった。
「街道の村のフェーズ殿とおっしゃったか」
老人は、マイクロトフの怒りに震える声に、必死に張り合うようにこぶしを握りしめた。
「然様です」
「我が青騎士団の出したその不心得者は必ず見つけ出して、厳しく罰します。勇気を持って訴え出て下さった気持ちを決して無駄にはしません。我らが罪をあがなう機会を与えて下さったことに感謝したい」
彼は、暗い黒の瞳に病熱のような焔を宿したまま、老人に堅苦しく一礼し、手綱を握って馬に飛び乗った。
「おれは城に帰る!」
後ろを振り返って、騎士達にひとことそう云い残して激しく馬の腹に鞭をあてた。そしてひと筋の青いほむらのように、元来た森の中へ烈しい勢いで駆け去って行った。
その後ろ姿を見送ったカミューは、馬から降りて老人の前に立った。
どんな時もたいていその唇を甘く彩る微笑は、今は消えていた。
「青騎士、赤騎士を問わず、騎士たるものがそのような愚劣な行為をはたらいたことは許されるべきではありません。真偽を確かめたうえ、その者にはお怒りに見合うだけの償いをさせることになるでしょう」
老人は握り締めていたこぶしを力無く降ろした。
気持の募るままに云い重ねたのにもかかわらず、咎めがないことを信じがたいようだった。怒りを買えば村人を切り捨てるだけの権限を与えられた騎士団長の前に、怒りひとつを頼みに、捨て身で飛び出してきたのだ。
緊張のほどけた後の疲れのあまり、崩れるように膝を折った老人に、カミューは手を貸して、静かに助け起こした。老人よりも大分丈の高い彼は、膝を折るようにして間近にその目を見つめた。
「いずれ騎士団からあらためて使いを送ることになるとは思いますが、その痴れ者がどこの誰であったにせよ許しがたいことです。そして娘さんにはお気の毒なことでした、フェーズ殿。そのお怒りはお孫さんを害した者を罰する為の剣になりましょう。お怒りをおさめてくださいとは申しません。お孫さんを充分にいたわって差し上げて下さい」
「……」
カミューの、静かな敬意を込めた声に、老人の小柄な身体にみなぎっていた悪意と怒りは突然抜け出して行ってしまったようだった。カミューに支えられても立っているのが容易でないように足元がふらついた。
「タイロス」
彼は、ひとりの赤騎士をかえりみて呼ばわった。
「フェーズ殿を村までお送りしてくれ。……それから村長に会って、このことが騎士団の者の所業であれば、責は全て騎士団が負う旨をお伝えするように。濫りに風評が広がらないよう気を配ってくれ」
「……は」
おそらくハルモニアの血を引いているのだろう、北方系の顔だちの大柄な赤騎士が、カミューに替わって老人を支え、痩せた小さな身体を馬の鞍に乗せた。しきりに恐縮して辞退しようとする老人を、カミューはやんわりと押し止めた。
赤騎士が立って手綱を引き、背を丸めた老人の体を乗せた馬はゆっくりと、霧の明るく晴れた街道の奥へ進んでいった。
「私も城に帰る。お前たちは今から、引き続きミューズまでの道の見回りに赴き、途中、似たようなことが起こっていないか周囲の村を訪ねるように」
残った二人の赤騎士は頷いた。彼らの馬が街道の向こうへ消えてゆくと、カミューは、所在なげに立ちつくした青騎士団の騎士二人を振り返った。
「君たちも今日は城に帰れ。ことは重大だ。騎士団長一人に任せておけることではない。つらい仕事になるとは思うが、騎士団全体の名誉のため、全てが明らかになるよう全力を尽くして欲しい」
「承知しました」
己のなすべきことを見いだして安堵したように青騎士たちは顔を見合わせると、あとは無言で立ち去って行った。
カミューは目を伏せて唇を結び、しばらく立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと馬にまたがって、ロックアックス城に引き返した青騎士たちの後を追った。
その日のマイクロトフの働きは鬼神のようであった。
数千人からの青騎士団の騎士たちが、自分の不在のひとつきの間どのように働いていたかを、ただの半日で調べあげたのだ。
カミューはマイクロトフのすることに口をはさまず、自らの部下を走らせて、城の外で何が起こったのかを調べることに時間をついやした。マイクロトフがゴルドーに報告を入れていないことを知っていたカミューは、赤騎士団の中にも箝口令を敷き、白騎士団へこの醜聞が漏れださないようにはからった。
マイクロトフは、必要とあらばどんなことでもゴルドーに報告を入れるだろう。だが、彼がそれをする前にゴルドーの耳に入れば、何かとマイクロトフを煙たく思うゴルドーに格好の口実を与えかねなかった。そして、たった今事実を知るために邁進する動きをさまたげ、またしてもぐずぐずと形式や誓いの言葉を持ちだして、マイクロトフを悩ませるだろう。
カミューは、マイクロトフの焔に、中途半端なかたちで水をさすようなことはしたくなかったのだ。
夜半も近くなった頃、マイクロトフが街道の村の娘を攫った青騎士を見つけ出したという知らせがカミューの耳に届いた。
犯人を絞り込むのはさほど難しいことではなかっただろう。カミューが朝、マイクロトフの耳に入れた青騎士の風聞は信憑性の高いものだった。マイクロトフは必ず自分で調べ直すだろうと思ったため、多くは云わなかったが、その騎士についてはカミューが自ら調べあげたのだった。
その騎士はグラスランドの旧家の息子だった。
気のむらが激しく、虚言が多く、性質が残忍だった。
それはその騎士が、自分の生家に代々受け継がれてきた性質を、そっくり受け取った結果だった。彼と同郷であるカミューは、騎士自身より、彼の出た家についての風評について耳にしたことがあったのだった。
(むろん血が、全てを決める訳ではないが……)
青騎士が娘を攫ったという話を聞いた時、カミューはすぐに彼の顔を思い浮かべた。礼節や正義の誓いをたてて騎士になった者の集まる騎士団とはいえ、あやまちをおかす者が出るのは、ひとの多く寄り集まる所ならば仕方がない。しかし同時期に、突出した悪人が複数現われることはまずない。彼らは他者が隆盛繁栄する根の下で息をひそめ、やがてその根が腐った頃、養分を吸って自分が芽を出すのだ。
それゆえに悪の芽は摘んで摘みきれることはあり得ない。
しかし、商店主から賄賂を受け取るくらいのことであれば、追放すれば済むことだが、近隣の娘を攫って犯し、それが明るみに出たとなれば、重罰は免れまい。
ゴルドーが許してもマイクロトフは許さないだろう。そして、青騎士の礼服を着たまま昼日中娘を攫う、その狂気じみた行為は、その騎士の家柄の枝葉に時折実ってきた、腐った林檎の姿そのままだった。
おそらくマイクロトフもすぐに彼の仕業だと思ったのだろう。
だからこそ冤罪で騎士を裁くことを怖れ、他の人間の潔白を明かすために、今日一日をかけて調べ回ったのであろう。
生まれながらにして腐って作られた者もあれば、マイクロトフのように痛々しいほど潔癖に生まれつくものもある。
皮肉なものだ。
マイクロトフもせめてもう少し世俗に染まることを覚えれば、心の皮膚が傷つきにくくなるだろうに。
カミューはマイクロトフの執務室へ向かった。
「マイクロトフ、入るぞ」
低くいらえがあって、カミューはいまださめやらぬ怒りの青白い炎を身にまとって座る友人の姿を見いだした。
「今日、食事は摂ったのか、マイクロトフ」
マイクロトフは、食事のことなどを云われたことが不快だったのか、かすかに眉をひそめた。
「いや……」
カミューはため息をつく。
「クラレットだったそうだな」
「ああ、今からここへ来る」
「マイクロトフ、こんなことをお前に云うまでもないことだが、斬るなよ? どんな罪を犯した者でも裁かれるべきだ」
「……分かっている」
マイクロトフはかすかに胸をあえがせた。そして深く息を吐き出した。蒼褪めた唇をかたくなに結ぶ。
「出来ることなら、おれの手で切り捨ててやりたい気持ちだが、……それに、ことをそんな闇の中に葬るようなやり方をしては、その娘にも、あの娘の祖父にも申し訳がたたない」
マイクロトフは歯がみするようにしてつぶやいた。彼が動揺しているものの、決して自失してはいないことを知って、カミューは微笑した。
「それでこそお前だ、マイクロトフ」
その時、数人の軍靴の音が、執務室へ向かって来るのをカミューは聞いた。青騎士たちがこの部屋にやってくるのだろう。
「わたしははずそう」
カミューは扉を開けた。思った通り厳しい顔の青騎士たちであった。彼らはカミューの顔を見て複雑な面持ちになった。青騎士団の中で起きた不祥事について、カミューに触れられたくないのだろう。それは無理もない。
その先頭に、この度のことの元凶であるクラレットが立たされている。クラレットは、のびやかに背の高い、勝ち気な顔をした美貌の青年で、彼を外から見た印象からは、その中にひそむ根深い狂気を伺い見ることは出来なかった。
しかし、自らの所業を問いただされてしおれてはいたが、クラレットの瞳が真実悔いてはいないことをカミューは見てとった。
「……入り給え。騎士団長が待っている」
沸き起こった軽侮の念を声に表さぬように声をかけると、カミューはそのまま居室に引き揚げた。今日、表向き彼に出来ることはもうないだろう。
彼は城の地下の騎士団の居室に向かって歩きながら、マイクロトフの心を磨り減らすことがこれ以上起こらぬよう祈った。
自分に出来ることならしてやりたいが、あの潔癖で責任感の強い青年に自分が貸してやれる力などたかが知れている。
(あまり追いつめられるな)
カミューには、マイクロトフのむき出しの心が不憫に思えてならない。
マイクロトフの心を鎧った硝子の鋭い棘が他者をよせつけない。だがその棘は、マイクロトフの心を真実護っている訳ではなかった。時には、痛みを和らげようとする自らの指すら傷つけることもあるだろう。
しかしあの棘はマイクロトフが自ら望んで備えたもの、抜いてやりたいと願うのは思い上がりだ。
それを承知しているからこそ、あの青く凍える胸に棘が光るさまを、カミューは痛ましく、また正視出来ないほどまぶしくも思うのだった。