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硝子の城・3(1999年9月)

01 03 *2013 | Category 二次::幻水2青赤:硝子の城


続き




 騎士たちの宿舎は、城の左翼に作られた建物の中にあったが、騎士団の中で地位の上がってきた者は、その居室もまた、城の中央に移っていくのが常であった。
 マイクロトフとカミューは城の地階とはいえ、広々と贅沢な部屋をそれぞれが与えられていた。
 ゴルドーはロックアックス城の最上階に居室を構え、いかにも支配者然としてマチルダ騎士領を見下ろしている。マイクロトフは内心、その特別待遇を苦々しく思っていた。カミューと自分のそれもそうであったし、むろんゴルドーのそれも、地位の上がった者ほど段々に贅沢が許されるという制度そのものが、彼には抵抗があったのだった。
 自分の居室の過分な広さや、私生活を守るに足る環境を特別に与えられていることに、一抹の罪悪感と嫌悪感を抱いていたマイクロトフだったが、今日ばかりは鍵をかけなくとも密室に近い、騎士団長の部屋と厚い扉に感謝することになった。

 

 




 騎士の誓いをたてて間も無く、まだ彼等が少年に近かった頃、年長の騎士たちの中に、カミューを欲望の対象にしようと試みた者がいたことを、マイクロトフは知っていた。
 強靭な剣と優れた頭脳によって、カミューは早々と騎士として頭角を現し始めていたにもかかわらず、並はずれて優美な容姿をも兼ね備えていたため、彼は騎士団の中で、正当な務め以外に煩わされることが多かった。
 カミューはそれらの者に対して、どんな力をも飲み込んで押し返す強いバネのように、柔らかく、しかし有無を云わせぬ拒否を貫き通した。
 ある年、あろうことか、いわゆる色恋に迷ったあげくの果て、カミューに騎士の誓いを振りかざした年配の騎士がいた。
 目上の騎士に従うこともまた騎士の務めだと云い出したのだった。
 カミューの属するのと同じ赤騎士団に籍を置いて、すでに二十数年になる騎士だった。カミューは頂度十八歳になったばかりだった。その頃すでにカミューを親しく思っていたマイクロトフは、まずは仰天し、次にはそんなことに騎士の誓いを持ち出した男を激しく嫌悪した。
 当のカミューは、他の者に対してと同じようにさして揺らぐこともなかった。
 しかし、カミューがその無作法な求めに対してするものとしては、至極丁重に拒んだにもかかわらず、騎士の要求は日に日に手に負えない悪質なものになった。騎士としての勤めを果たす上でも支障が出るようになり、赤騎士は、あくまで意に添わないと云うなら、騎士団の中でのカミューの未来を葬り去ってやる、と、そんな剣呑なことまで口にするようになった。事実、同世代の若い騎士ならともかく、彼は赤騎士団の中でカミューの将来に充分影響を及ぼすだけの地位を持っていた。
 ついにある日、カミューは白騎士団長のゴルドーのもとにおもむき、私闘の許可を求めたのだった。
(「騎士同士の決闘が禁じられているのは知っているはずだ。むろん理由如何では特例もあり得るが……」)
 ゴルドーは苦い顔をした。
(「シュナイツァ殿の要求されるものをわたしは差し上げることは出来ません。それはわたし個人の誇りを曲げることになるからです。ですが、これ以上わたしとシュナイツァ殿の確執で騎士団の空気を乱すことをわたしは耐えがたく思います」)
 カミューは、おだやかにゴルドーに申し立てた。
(「シュナイツァが貴様に要求したこととは何だ?」)
 それを知っていながら、軽侮するように目を光らせたゴルドーに、カミューは整った唇に涼しい微笑を含ませて答えた。
(「いやしくつまらぬこと故、そのようなことで騎士の中の騎士たるゴルドー様のお耳を汚すことはできません。お許し下さい」)
 ゴルドーに、私闘の許しを取り付けたカミューが、その男と剣を交えたのは二日後だった。
 カミューが、ひと目に触れることを辞さない、痛烈な手段を選んだため、噂は瞬く間に騎士たちの間を巡り、その日行われるそれがどのような私闘であるのか、ほぼ全ての者の知るところとなった。
 だがカミューは逆に、終始落ち着き払って冷徹だった。高揚して意気込みを吹聴するようなことのない代わり、行く手を遮る小枝を払うほども迷いがないように思えた。
 そしてロックアックス城からはずれた森の一角で行われた赤騎士とカミューの私闘は、立会人のもとにほんの数分で終り、カミューは望まざる任務をこなすように、その赤騎士を斬ったのだった。息も乱さずに血を拭った剣をおさめ、彼は自らその騎士の亡骸を馬につけて、後片づけを済ませた。
(「最初から斬るつもりがあったわけじゃない……」)
 カミューは後にマイクロトフに言葉少なに漏らした。
(「できれば穏健にすませたいとも思っていた」)
(「……」)
(「だが剣をまじえてすぐに、シュナイツァは駄目だと分かったんだ。あれだけ歪んだ心は元に戻ることはない。わたしはそれをよく知ってる……」)
 そう云ってカミューは、親しいマイクロトフの前ではさすがに思わしげな表情を見せ、目を伏せてため息をついた。その言葉の意味を彼はもっとつきつめて尋ねたかった。しかしカミューのもの憂げな沈黙はそれをさせないものがあった。
 しかしその夜には、宿舎の食堂で、カミューは赤騎士たちと微笑を浮かべながら夕食を摂っていた。
 その日あった出来事についてはひとことも云わなかった。そしてその出来事を、カミューに対して揶揄いの種にするような者もなかった。
 この美しい青年に理不尽を強いることは出来ないのだと、騎士たちはその一件によって知ることとなった。
 この数年で地位が上がり、ことに赤騎士団長をまかされるようになったカミューに、そのような埓もないことを云い出す者は途絶えた。それはカミューの容姿が衰えたからではなく、誰しも己が身を安んじておきたいためであった。
 少年期と同じように、カミューの姿は優美であでやかだった。それどころか彼の身体の内側に潜む花の気配は、年々まぶしく華やかに咲き誇った。カミューはそれを理性と力でくるみ込んでいるが、どこか隠しておけない光源が彼の中にあるさまを垣間見る者は多かった。

 

 




 熱の引いた後には、どこか夢から覚めきれない心地になるのが常だった。
 心の奥深い水底から現実に立ち戻れず、半ば夢の岸辺に足許を濡らして立つ非現実感が、頭の芯を気だるくけむらせるのだ。
 その退紅色の薄けむりをかき分けるようにして、マイクロトフはカミューの顔を見つめている。それは彼の今まで見知っていたカミューとは別人であるように思えた。
 寝台の上に座ったまま、カミューはマイクロトフが自分を抱きしめるのに任せていた。上衣は乱れて背中の中ほどまで落ち、カミューの白い肩や胸元は薄闇の中にさらけ出されていた。
寝台にその身体を縫い止めた後も、友人は抵抗しようとはせず、やわらかく温かい水のように融けて、マイクロトフの全身をくるみ込んだ。
 腕に、カミューのあたたかな素肌が触れている。カミューの体温が上がっているのが伝わって来る。唇を合わせる角度を変えるたびに、抱え寄せたうなじは大きく揺らぎ、素直で柔らかな髪がマイクロトフの手首に甘く触れた。
 自分は彼に何をしようとしているのか。マイクロトフは驚きと共に思う。女性を抱くようにカミューを抱こうというのか。そして、カミューはそれを許そうというのか。
 カミューの唇から漏れたあきらかな肯定の言葉を彼は聞いた。だからと云って戸惑いが消えるわけではなかった。
 カミューはいったい何故おれにこんなことをさせておくのだ。
 彼はある意味で、自分に見切りをつけたのではないのか?
(あのシュナイツァにしたように。……)
 その疑いは、眠りにきざす悪夢の影に似て、マイクロトフの胸を苦しめた。
 しかし、乾いた者の唇に差し出された、やわらかな一杯の水のように、カミューの肌や髪のなめらかさは、抗いがたく甘美だった。
 カミューは、マイクロトフに身をもたせかけるようにして、ゆっくりと呼吸していた。だがそれは、彼のいつも保っている平静な呼吸ではなかった。上下する胸の大きさでそれが分かる。
 マイクロトフは先に進むことを自分が怖れているのか、惜しんでいるのか分からないままで、何度目かにカミューのうなじを探り、唇に口づけした。先刻からぴったり閉ざされたままのカミューの睫毛がマイクロトフの影に融け込み、マイクロトフは自分も目を閉じて、カミューの唇を味わうことに専心した。
 拒んではいないのはたしかだった。カミューの唇は開き、不器用な要求に全て応じようというように、舌や歯や上下の唇や、それを湿す唾液や、喉から細く溢れ出す吐息の、その全てを彼に差し出した。
「……っ」
 繰り返して幾度も口づけているうちに、カミューの息づかいが再び浅くなった。マイクロトフの背中を抱く腕に力がこもった。それが拒否でないことを確かめるために彼は唇を離した。眉根をひそめたカミューは薄く目を開けたが、マイクロトフが自分を見つめている事に気づくと、睫毛を震わせて目をそらした。顔にかすかに血の気が差す。濡れてかす
かに開いたカミューの唇から、高揚を隠せない、あえぐようなため息が漏れた。
 突然痛みに似た欲望がこみ上げてきた。
 衝動だったものが、あきらかに意思を持った欲望に変わった。
 マイクロトフは自分の寝台に友人の体を押しつけ、寝床を背にして少し弾んだカミューの身体を自分の体で覆った。
 重みをかけ、食いつくように口づけると、カミューはマイクロトフのうなじを抱きしめた。
「……カミュー」
 声がかすれた。マイクロトフは歯を食いしばった。自分が獣のように乾いていることを知った。意味などお構いなしに、欲望のままにふるまってしまいそうだった。彼はそれを怖れた。孫娘を陵辱された老人の怒りに歪んだ顔が浮かび、欲望を満たすことへの嫌悪感が沸いてきた。
「何か云え、カミュー……」
 カミューは目を開け、長い指でマイクロトフの汗ばんだ額に、頬に、首筋に触れた。そして背中に力を込めて身体を起こし、自分の指を追って幾か所かにもの優しく唇を押しつけた。
「それは、お前が何を聞きたいかによるよ、マイクロトフ……」
 カミューはささやいた。マイクロトフ同様にかすれた、しかし柔らかに抑えた声が、首筋から伝わって来る。その声が彼の中にわだかまっていた気後れを吹き飛ばした。
 カミューが彼と同じ身体と意思を持った同性であり、あえて例えるなら、抵抗の手段を持たない幼い娘を攫いとって犯すのとは根本的に違うということが、不意にマイクロトフの腑に落ちたのだ。
 彼の衝動を後押しするように、その瞬間ふと部屋が暗くなった。カミューの携えてきたランプの灯油が尽きたのだ。ささやかな灯りではあったが、薄暗さの中で敏感になった目には充分な明るさだった。小さな月のようなその光は、服の中から現れた肌に思いがけないなまめかしさを与えていたのだ。灯りが消えた後は青々とした闇が、寝台の上に重なった自分たちの姿を包みこんで、マイクロトフの気持ちを楽にした。
 彼は服を脱ぎ捨て、カミューの身体にまつわっていた服を、眩暈のする思いで取り去った。自分の指でないようにもどかしく焦れる指先を、カミューの指が手伝った。
 カミューもどこかいたたまれないように無言だった。静まり返った部屋の中に、ふた筋の吐息がときおりふるえ、途切れて入り交じっている。
 やがて、はりのある、薄くなめらかな筋肉に包まれたカミューの身体が闇の中に白く浮かび上がった。顔や腕、しばしば光に曝される部分の皮膚は、陽に灼けて淡い金色を帯びているが、彼の肌は生まれつき白いのだ。突然訪れた闇の中で、カミューの肌はほの白く発光しているように見えた。
 しかし目を伏せ、服を介さずに身体が重なり合うと、視覚や観念に支配されていた空間が、感触や汗、聴覚、香り、とりもなおさず最もひとの深い部分に触れるもので埋められた。
 重なった腿の間に、固く充ちた欲同士が触れ合って、腹の奥まで追いつめられるような快感が走り抜けた。太腿を割って深く強く押しつける。カミューの下腹が緊張したようにびくりとそげ、足の付け根を覆った薄い皮膚が熱して汗を帯びた。唇から押し殺した息が漏れた。
 身体をひらかせる、ということに、彼は奇妙な意味を感じる。
(「……わたしを抱きたいのか?」)
 カミューはそう云った。
 その言葉が、彼らが今からしようとしていることを端的に表していた。
 服をつけずに重なりあった身体が、普段は友人が外に見せようとしない皮膚感覚や感情さえ、まざまざと伝えて来るのは怖いほどだった。耳元に唇が触れると走り抜けるふるえ、押し殺しても間近に伝わる息、息に絡まる湿り気、肌が擦れる度に高まり、絞り上げられる感覚、汗に濡れる肌やうなじ、おそらくマイクロトフがカミューの感覚を味わっているように、カミューにもその全てが伝わっているのだろう。
 灯油が燃えつきた時の、特有の香りが部屋の空気にかすかに混じっている。
 マイクロトフの荒い口づけが感覚にどう触れて行くのか、カミューの身体はだんだんに汗ばみ始めていた。体臭の薄いカミューの肌の匂いが、汗でわずかに強調されている。
 胸に口づけた。繰り返し唇を押し当て、歯と舌で探り、手応えを舌先ですくい上げてこねる。自分の身体の下に敷き込んだカミューがぴくりと肩をふるわせて身をよじった。胸に触れるマイクロトフの顎に、頬に、不意に疾るような鼓動が触れて、胸がしめつけられる。
 伸び上がって首筋に顔を埋め、脚の間に手を伸ばしてカミューの熱を握り込んだ。逃げるように身じろぐのを自分の肩と腰でいましめると、浅いため息を漏らしてカミューの身体はほどけ、マイクロトフに従った。マイクロトフのてのひらのなかでカミューは頼りなくふるえ、やがてあたたかくはりつめて指先を湿らせた。
「……ン、……」
 敏感な部分に爪が掠ったとき、カミューは咽の奥に声を詰まらせた。痛みを感じたのではなかったようだ。その声はいかにも快楽を表すように甘く濡れて、先刻は、カミューが息を乱したことにさえ新鮮さを感じたマイクロトフを、酷く昂ぶらせた。自分自身の呻きに刺激されたように,マイクロトフの触れたカミューにも緊張が走った。
 その一瞬、上り詰めてしまいそうに身体をこわばらせたカミューは、深い息を吐いてマイクロトフの腕を柔らかく押しのけた。
「……」
 カミューは無言でそっとマイクロトフの頬に唇を寄せ、握り締めて汗ばんだてのひらを彼の下腹に滑り込ませた。カミューの指が自分にからんでくる感触にマイクロトフは息をつめた。自分がカミューに与えたよりもはるかになめらかに、器用な指は熱を掘り起こしていった。熱はすぐに飽和状態に膨れ上がり、マイクロトフは耐え切れずに、触れそうな位置にあったカミューの唇を荒々しくふさいだ。
 彼にもたれるようにして膝をついていたカミューの熱にふたたび指を絡め、ためらいを削ぎ落とした力を加えた。
「!……」
 からんだ舌の奥に荒い呼気と声があふれ、互いに交換した愛撫に追い上げられるようにして、ほぼ同時に放熱の瞬間は訪れた。

 

 




 カミュー。
 彼は昔から欲しいものを取ることに遠慮などする必要がなかった。
 家柄も能力もすべからく彼の助勢に回り、必要な努力をおこたることさえしなければ、手を伸ばしてただ取る、それだけでよかったのだ。
 力を込めてもぎ取る必要すらなく、彼の欲するものはすべて、熟れた林檎のように紅く円熟して、しどけなくカミューのてのひらの中に落ちた。
 唯一彼のものになり難かった自由すら、彼は自分の代わりに家を継ぐ男を、姉の夫として見出し、慎重にことを運んだ。少年時代の彼にでもそんな事はたやすかった。
 彼は貴族としての暮らしより、剣と馬の稽古、冒険物語にうつつを抜かす放埓な幼い長男を演じてのけたのだ。そんな義弟を持った野心家の若い男が何を望むのか、やすやすと汲むことが出来た。姉とその夫は彼の家を継ぎ、彼は失意を装って家を飛び出し、マチルダに渡った。母の愛を失うことを好ましく思わなかった彼は、母には自由を望む意思をうちあけた。
(「わたしはいつまでも因習に縛られて暮らしたくはないのです、母上」)
 母は絹の衣装の袖口にため息を押し隠し、婚家へやってくる時携えてきたいくつかの思い出の品を、彼女が最も愛した美しい息子に与えた。
(「あなたはどこにいても因習に縛られるでしょう、カミュー。でもできる限りの努力で幸せになりなさい」)
 別れの日、母は古い家の門まで彼を見送り、声をつまらせてそう云った。見送りに出たのは母ひとりだった。振り返ると母はいつまでも立って彼を見送っていた。母は、カミューが帰るつもりがないことを知っていたのだ。彼が家を疎んでいることを唯一知っていたのはおそらく母だったからだ。
 蔓薔薇の絡んだ真昼の門で、母の姿はかげろうにつつまれてゆらめいていた。どんな暗い明りの下でもすばらしい輝きを見せた母の紅い髪は、花房の下に灯った火の穂のように白い腕に、緑色の服の肩に広がっていた。母は彼女自身、炎のような夏の花の茂みに変わってしまったようだった。固まり咲いていた紅い花と、母のあかがね色に耀く髪は、いまだに最後の言葉と共にカミューの中にやきついている。
 彼はマチルダ騎士団領で騎士の誓いを立て、赤騎士団の中で瞬く間にのぼりつめた。さもしい心を抱く必要はなかった。望んで与えられなかったものはなかったからだ。同じ時期に入った者の中で、最も剛直で誇り高い、はがねの薔薇のような青年を親友に持ち、彼を欲する女の中から、最も美しく聡明な者を選んで自由な恋を楽しんだ。そのほかには、いくばくかのよそよそしい理想と誇り、剣技だけにうちこめばよい日々が続いた。
 しかし奢ったのではなかった。
 カミューは生きて行くためにひとが水を摂るように、必要なものを選び出して率直に欲し、母の云う通り、そのために力を尽くしてきた。そして彼は自分の努力に裏切られない、ごくひと握りの人間のひとりであったのだ。
 欲しいものを手に入れるためなら努力は惜しまなかった。
 彼は思う。これはどうなのだろう。
 そろりと胸のうちを探る。
 自分はマイクロトフの心を欲しているのだろうか。

 

 




 無愛想な、しかし率直な指の力に目の眩むような悦楽を与えられて、カミューの背筋に、腹の奥に、膝や脚の付け根の関節に、高まった後も余韻が白く燃えつづけていた。
 マイクロトフを除いては、誰一人にも許せないことだったが、ほかの誰がこれを望んでも、彼だけは望まないだろうと思っていた。
 だからこそカミューも、自分がマイクロトフにそれを差し出すだろうとは考えてもみなかったのだった。驚きと狼狽、そして複雑な甘い嫌悪感が胸に躍っている。
 カミューはマイクロトフより遥かに夜目が利く。彼は闇の中で、自分に触れている友人の顔をほぼ見分けることが出来た。
 どこか苦痛に似た表情を浮かべて一瞬息を殺したマイクロトフは、やがてそろそろとその息を吐き出して、目を開けた。快楽と緊張に重くひそめられた眉根がなごみ、暗闇の中でマイクロトフの切れの長い目が自分を見分けようと、鏡鉄鉱の刃物のように黒く耀いているさまを、カミューは胸をふるわせて見つめた。唇に、耳許に、身体のそこここに、少年のように無骨なくちづけと愛撫の感触が残っていた。
 自分が、こんな行為を共有しようと思うほどに、マイクロトフに執着していたとは、さすがに思い至らなかった。だが、マイクロトフの目が自分への欲望を孕んだのだと気付いた瞬間、カミューは迷いもなく腕を伸ばし、彼を抱きしめ返していた。
 彼が、同じ男の体を持った者を胸の中に引き寄せることがあると知った以上は、他の者には決してその場所を明け渡したくなかったのだ。
 わたしは今まで自分を嫉妬深いと思ったことがあっただろうか?
 ふたたび自分の胸の中を覗き込んだカミューは、それをいささか滑稽に思った。
 しかし、硝子の棘で築いた城塞のように硬く透き通った、マイクロトフの胸の扉の向こうに踏み込むことができるなら、自分の身体を自由にさせることなど、やはりどれほどのことでもなかった。
 だがいったい、自分はマイクロトフを、女を愛するように愛しているのだろうか。
(そうだ、という以外にあまり説明もつかないが……)
 カミューはマイクロトフに気付かれないよう苦笑を浮かべた。
 それにマイクロトフの腕や唇の、情熱的で不器用な優しさは、意外なほど彼には快かった。カミューのプライドを気遣っているのか、マイクロトフからいたわりの意思が伝わってくる。それはわずかながら、自虐的な新鮮さをカミューにもたらした。この一連の感情が入り乱れて、先刻からみぞおちにわだかまる、甘美な嫌悪感と誘惑を生み出しているのだ。
 一度上り詰めてもマイクロトフは充たされていなかった。カミューの脚に、緊張を失わずに熱く強張る彼が触れてそれを知った。女の立場で抱かれることへの抵抗はあったが、マイクロトフの高揚のヴェクトルが自分に向かっていることはカミューを興奮させた。
 不意に熱い腕が伸びて、彼はマイクロトフの胸の中に抱き寄せられた。重い鋼で打った長剣を握る両腕が、カミューの背中を巻きしめている。腕から伝わる苦しげな抑制が刺激的に思えて、カミューは友人の背を抱きしめ返した。
 更に欲望を充たすことを望んでいるが、マイクロトフはおそらく自分にそれを強いることが出来ないでいるのだろう。カミューの中にもためらいがあった。しかし結局は、不可思議に歪んだ嫌悪感がむしろ彼を駆り立てた。
「マイクロトフ……男に触れて気分が悪くないか?……」
 彼はゆっくりとささやいた。マイクロトフはぎょっとしたように暗闇の中で目を見開いた。しかしカミューが本心からそれを危惧しているのではないと気付いたらしく、憮然として切り返してきた。
「御前はどうなんだ、カミュー」
 押し殺した声の中の感情の強さが心地よい眩暈をもたらした。
「……わかっているだろう? マイクロトフ」
 ひそりと声を低めると、カミューは背中をかがめ、マイクロトフの膝に手をついて、自分が迷わないように目を閉じた。顔を埋ずめ、唇を開いてマイクロトフの欲望を飲み込んだ。
 てのひらに触れた膝が一瞬、はねあがるように強張った。
「……っ、カミュー……」
 唇でマイクロトフの快楽につかえるカミューの髪に触れていいのかを迷うように、マイクロトフは数度指をさまよわせ、それが耳元や首筋を撫ですぎた。痺れるような快感が彼の指が触れていったところから沸き上がってくる。
 男に唇で触れる違和感はやがて消えたが、初めてのそれは思いがけない質感にカミューを戸惑わせた。歯をかみ合わせようとする顎の力に抗って、痛みを与えないよう触れるのは難しかった。
 どうしようもなく沸き上がる羞恥に髪が湿るほどうなじに汗をにじませて、仕方なく彼は丁寧に舌で湿らせてその上にくちづけることを繰り返した。マイクロトフは茫然としたように息を殺してカミューに任せていたが、彼の味わう感覚は何より、カミューの触れた部分に顕かに表れている。
 カミューも高まったためか、のどを塞がれたように息苦しくなった。彼は顔を上げると、口元を拭い、マイクロトフの背を敷布にゆっくりと押しつけた。身をかがめ、マイクロトフの肩の脇に手をついて身体を支えると、そっと膝を開いて彼の腰に乗りかかった。
 今度こみあげてきたものは、マイクロトフに唇で触れた時の羞恥とは比べものにならなかった。自分を抱くようにマイクロトフを誘導することは半ば耐え難いほどだった。息があがり、全身が上気しているように思える。闇に感謝しながら彼は紅潮した顔をマイクロトフの肩口に伏せ、彼の指に唇を押し当てて湿らせた。
 カミューがどうしようとしているのかを悟ったマイクロトフの指が自分の意志で動き始めた時、カミューはほっとして目を潤ませた。その後に訪れた不快な違和感も、その羞恥に比べればものの数には入らないほどだった。
 濡れた指はカミューの身体の抵抗に戸惑ったように、揺れながら内側を探り、二度、三度と深く押し入ってくる。指にとはいえ、からだの深くを刺し貫かれてカミューは身じろぎもできなくなった。主導権を握ることが出来なくなり、息を殺してマイクロトフの肩の傍らについた手で敷布を握り締めた。
 確かめるように指が回ると、湿り気を帯びた音が指先にからみ、甘苦い興奮と羞恥が、湯を浴びせたようにみぞおちに広がった。突然の高揚に唾液が止まり、口の中が咽まで干上がった。
 ほんのしばらくのことだったのだろうが、マイクロトフの指に任せている間、それは気の遠くなる長い時間に思えた。カミューは首を振り、マイクロトフの肩に額を押しつけた。膝が震えをおびはじめた頃、自分の中から指が抜き去られたのを知って、彼はほっと息を吐き出した。
「カミュー……大丈夫か……?」
 戸惑いを残したマイクロトフの声が彼に胸元にそっと触れる。
 カミューは息を殺してようよう微笑み、汗をにじませて、熱く潤んだ部分へマイクロトフを迎え入れた。

 

 




 歯を食いしばったように思えたカミューの唇から不意になまめいた叫びがもれた。
「……あ、あっ……、ア……」
 痛みであれ快楽であれ、今夜、カミューがそれと解るように声を漏らしたのは初めてだった。硬く熱い圧力に締め上げられて、汗をしたたらせながら、マイクロトフはその声がどちらの感覚を表しているものか見極めようとした。
 厚い扉に遮られて外に声が洩れる気遣いはないが、カミューの咽から洩れたそれは上擦って高く、痛み故のことならば、これ以上を強いることは出来ないと思ったのだった。
 今晩のカミューは甘くくゆるように抱擁に応え、慰撫という言葉そのもののように温かい腕で彼を抱きしめた。当然のことだが、カミューの昼の顔しかマイクロトフは見たことがなかった。汗に濡れた身体は均整が取れてしなやかだったが、ほっそりと引き締まって、自分とは造りが違う。彼の身体は、苦痛に耐えるにはいたましく思えた。カミューにこんなことを思ったのは初めてだった。
 マイクロトフは身体を起こし、てのひらをついてうなだれたカミューの頬にてのひらをあてがって、顔を上げさせようとした。
「……っ、……」
 ふたたび声が洩れて、マイクロトフの腰の両脇に開いた膝がひきつるように締まる。
「苦しいのか、カミュー……」
 マイクロトフの息もとぎれた。
「……大丈夫だ……」
 かすれた声が小さく応え、カミューは顔を上げないまま、さらに深く腰を落とした。腰を浮かせて沈める、それを繰返すうち、まだ痛みがあるのか、脚の付け根にぐっと筋が浮かび上がり、折り曲げた膝に葛藤するような力がこもるのを感じた。
 どうすればカミューを楽にしてやれるのか解らず、マイクロトフは手を伸ばして、カミューの腰を支え、片手で脚の間を探った。指に力を入れて擦り上げるとそれは直ぐに反応を見せた。
「……よせ、マイクロトフ……」
 カミューのかすれた声が訴えた。握り込んだ彼の指にカミューの指が重なり、力無くそれを引き剥がそうとした。カミューが乱れるのを嫌っているのだということには気付かず、マイクロトフは指を絡ませたまま、構わずに愛撫を加えた。
 その途端、マイクロトフを飲み込んだカミューの内側にやるせない緊張が走り、マイクロトフは眉根をひそめてそれに耐えた。甘い苦痛の呻きが洩れ、マイクロトフの指の中でカミューは熱く濡れた。
 友人の身体を慮っての自制や、生き残っていたさまざまなためらいが弾け飛んで、彼はついに耐えられなくなった。
 マイクロトフはカミューの腕をとらえて身体を起こすと、彼が苦しげにあえぐのに構わず、自分の下に汗ばんだ身体を敷きこんだ。衝撃にこわばった両足を大きく広げ、その間にふたたび深く自分を突き入れた。カミューの喉元が反り返って、声を漏らすのを、髪をまさぐってうなじをとらえ、深くくちづけした。
 先刻と同じように、重なったからだの間にてのひらを差し入れ、カミューを握り込んだ。絡んだ舌にカミューの漏らす声が、喘ぎが絡んで、くちづけをみだらなものにした。
 カミューから苦痛が消えるのが彼にも解った。カミューの内部は熱く柔らかくうねってマイクロトフを包み、吐息と共にきつく締め上げた。睫毛が濡れ、自失したような涙が硬く閉じた目の間から流れ出た。
 手足を、唇を、胸を最大限に合わせてからませ、マイクロトフはその甘美な感覚をむさぼることにのめり込んだ。中途血のにおいがしたが、理性がはたらかなかった。あたたかな体液にぬるんで抽挿が楽になり、彼はなおさら、カミューを深く荒々しく味わい尽くすことに夢中になった。カミューは二度目にマイクロトフのてのひらに欲望を吐き出した後は、力を抜き、マイクロトフのうなじを抱きしめて、高揚によって暴君に変わった友人の行為に耐えた。
 ようやくマイクロトフが上り詰めた時、カミューは全身を汗に濡らして、細い息を吐いて横たわっていた。息がととのわずに、胸を浅く上下させている。
「カミュー」
 灯りを燈すと、寝台を濡らした体液と血のあとが浮かびあがり、マイクロトフの胸はぎくりと冷えた。何を云えば良いものかわからずに彼の名を呼び、沈黙したマイクロトフに、カミューは無言で薄く微笑んだ。寝台の様子には、苦笑を浮かべただけだった。夜明けが近かった。それはいささか力ない微笑みだったが、いつもの彼の微笑と変わり無く、マイクロトフの胸を楽にした。
「ほんの十分……でいい、このまま少し眠ってもいいか?……」
 かすれた声がつぶやいた。
「……もちろんだ、カミュー」
 これを自分が尋ねる資格があるものか思い悩みながら、マイクロトフは声を低めた。
「すまない、辛いのか?……」
 カミューは首を振り、そっとてのひらをあげ、彼の唇を覆うような仕種を見せた。
「……お前はどうだ、辛くないか?」
 しゃがれた声が更に問い掛けてくる。カミューが自分の熱を気遣っているのだと知ってマイクロトフの喉元に、硬く熱いものが込み上げた。
 黙って首を振るとカミューはそうか、とつぶやいて微笑み、まつげを閉ざして、瞬く間に眠りにすべり込んで行った。

 

 




 カミューは一時ほどマイクロトフの寝台で眠り、目を覚ましたあと、服を羽織って自分の部屋へ帰った。
 ひどくかすれた声以外にはほぼ変わった様子も無く、鷹揚に服を身につけ、髪をなで上げながら、二言三言軽口さえきいてみせた。最後にこれはかすかに声をひそめ、後始末に世話をかけたことを詫びた。
 答えようのない顔になるマイクロトフの肩をカミューは笑いながら軽く叩いた。
 いつもの仕種で軽く左手を挙げ、そっと扉を閉める、そこには、先刻のカミューの姿は名残りさえなく、悠々と彼はその夜を消し去ったように思えた。
 彼は自分を赦したのだろう。
 葛藤が消えたわけではなかったが、閉ざされた扉を見つめるマイクロトフはそう思うしかなかった。
 いずれにせよ慰撫を与えられたことに間違いはなかった。
 マイクロトフはほんの少し眠り、早朝目を覚まして冷水を浴びた。
 いささかの後悔とカミューへの贖罪の念、そしてこれは認めざるを得なかったが、心身双方の充足を得て、胸は氷のように冴え渡っていた。昨日あれほど彼を苦しめた不調は、あとかたもなく吹き払われていた。 胸の中に風の通り抜ける通路がつくられたように、心の中がすっきりと冷えて整理されていた。
 三日後にはクラレットの裁判がある。三つの騎士団の騎士団長、副騎士団長が集い、六名で被告の罪を問い、刑罰を定めるのだ。それまでにマイクロトフになすべきことは幾らでもある。
 早朝の訓練の指揮を執り、いったん自分の居室にひきあげようと階段を降りようとした時、階段を上ってくるカミューと彼は鉢合わせた。
 カミューのなめらかな髪は完璧にととのえられ、赤騎士の礼服を身に着けて階段を上ってくる男は、あきれるほど清潔であでやかな、いつもの友人の姿だった。
「訓練は終ったのか?」
 カミューはかすかに掠れた声でくったく無く問いかけてくる。
「ああ、今終ったところだ。お前は今からか?」
 カミューは肩をすくめて照れくさそうに微笑んだ。
「面目ないが風邪をひいてしまってね。朝の訓練は遠慮したんだ」
「……そうか」
「ああ。……お前は元気そうで何よりだ」
 カミューはふと、案ずるような光を瞳に浮かべた。彼等は階段数段分をへだてて会話を交わしていたが、何段か階段を上り、マイクロトフの前に立った。
「クラレットのことは吹っ切れたのか?……マイクロトフ」
「ああ」
 これには迷い無く、マイクロトフは応えた。
「落ち着いた。……」
 思わず付け加える。
「おれひとりの力ではなかったが……」
 言外に含ませた感謝を汲んだのか、カミューはうなずいた。そして、実戦を想定しての訓練のため、重いプレートアーマーを身につけたマイクロトフを眺め、光にあたったようにふと目を細めた。この鎧は、小柄な女ひとりほども重さがあり、騎士団の中でもことに大柄な者、強靭な身体を持った者しか身につけることはなかった。カミューは何か見慣れぬものを見るように彼を見つめ、視線がであった瞬間、不意に目を伏せた。その顔を見詰めるマイクロトフの胸が、理由が分からない甘い苦痛に締めつけられた。
「それならいいんだ……」
 しかし目を上げたカミューは、気のおけない、親しみの篭った微笑を見せた。彼が一瞬前になぜ目を伏せたのか、そういった、心のうちに深く立ち入ったことを友人に尋ねる習慣はマイクロトフにはなかった。
「ではまた、午後にな」
 カミューは手を挙げ、ゆっくりと階段を上っていった。思わず振り返る。その足取りにあやういところがないことに、マイクロトフは安堵した。そして唇の間にかすかに覗いた白い歯に、甘い琥珀色の瞳に、自分があさましく胸を高鳴らせたことを彼は責めた。カミューの身体を胸の中におさめて抱きすくめたことを思い出すと、ふたたび同じように触れたい欲求に、腕が、胸が疼く。だがこれ以上彼の好意に甘えてはならない。
 その思いにどこか不足感があるのを自覚しながらも、マイクロトフは苦い水のように、不満を咽の奥に送り込み、飲み下した。

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