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03_リアルテ

02 20 *2013 | Category 二次::ペルソナ2罪達×淳

ダイアログ→カリカチュアの続き

続き





 何かゆるくうごめく壁のようなものが近づいてくる、と最初は思ったが、それはどうやら間違いで、達哉がそこへ向かって沈んでいるのだ。
 青い水の中を彼は少し背中を丸めるようにして、ゆっくりと下方に向かっている。水は冷たかった。ひどく冷たい水は底の底まで澄み、時折鈍い銀色に光る魚影だけが目の前を横切っていった。自分の髪がやわらかい色に透けるのが視界の隅に見えて、水の中にかろうじて光が届いているのが分かった。しかしそれは、夜の一部分にかろうじて白い円を作る街灯のような、頼りなく限られたひかりだった。
 近づいてきた海底に柔らかく動いているものがある。目を凝らすと、それは柔軟な扇のような姿をした紅いうみゆりだった。うみゆり。その名前を自分が知っていることを、達哉は一瞬だけ不思議に思う。そして、自分が子供の頃、図鑑でうみゆりを眺めたことを思いだした。
 そういえば子供の頃は海洋生物や宇宙、恐竜や植物や、そんなものについて、絵図と一緒にひとことずつレクチャーする図鑑が好きだった。ほんの薄暗くなるだけで、もう外に出ることを許されなかったような小さな頃のことだ。
 小学生になり、自分の足で外世界を見て回れるようになってからは、図鑑で観るものよりも、自分の目で見て、指先で触れることの出来るものに興味を感じるようになった。バイクが好きなのも、行動範囲を広げて、何か今まで触れたことのないものに触れる機会を増やしてくれるからだ。
 それでも時々は、自分が見て名前を知らないもののかたちを覚え、図鑑を広げて、それが何という名なのかを確かめることはあった。それはやがて百科事典になり、辞書に変り、時には専門書に手を伸ばすようになった。しかしうみゆりの名前を覚えたのは、間違いなく子供の頃に眺めた海洋図鑑からだった。
 海の中に浮遊する微細な餌を待ちながら、紅い優美な羽枝を無数にゆらめかせている。植物のような姿をしているが、その実雌雄異体の生物だ。びっしりと紅いうみゆりを根付かせた海底は、紅い柔毛につつまれた巨大な生物の死骸が、うすあおい水の中に沈んでいるように思える。
 うみゆりの紅い羽枝につつまれて、何か青いものが沈んでいる。
 達哉はまた目を凝らした。
 うみゆりの枝をゆらめかせる海流と同じ、ゆるやかな流れにさらされて、白い額の上の前髪がかすかに揺れていた。青ざめた唇の中からかすかに銀色の気泡がたちのぼっている。
 青いもの、と見えたのは青い制服につつまれた身体だった。
 淳がうみゆりの中で眠っている。達哉は彼に向かって沈んでいるのだ。
 黒い睫毛はぴったりと閉じている。水平線に虹の両端が消えてゆくように、くっきりと刻まれた二重瞼の線が、美しいと云ってもいい目の両側にとけ込んでいる。
 自分は淳に向かって沈んでいたのか。何かが腑に落ちた思いで、達哉はようやく自分の足をそっと水底につけた。
 生き物だと思うせいか、うみゆりを靴の底でふみつけるのは余りいい気持がしなかった。見た目は羽根のように柔らかいのに、その美麗な紅い枝は、思いがけない弾力と硬さを靴底から伝えてきた。
 ほんの僅かに蠕動を繰返しながら、それは淳を包み込んでいた。海のいばらのように、淳の眠りを護っている。達哉はうみゆりを踏みしめて淳に近づいた。水の厚みをはらんで恫喝するように揺れる羽枝の間から手を伸ばした。淳の腕を掴んだ。
 名前を呼ぼうとしたが、声が出なかった。
(そうか────)
 ここは水の中だったのだ。淳の唇の中から時々たちのぼる気泡と同じものが、達哉の唇からもあふれ出た。淳、と呼び掛けようとした言葉の分、大小の水銀の粒のように、歯と舌の間からすべり出し、上方へ消えていった。片手だけでなく、両方の手を使って淳の双方の肩を掴んだ。自分に引き寄せる。
 水の浮力で重みをなくした身体は、海草をたぐるように柔らかく達哉の腕の中に飛び込んで来た。髪がゆっくりとゆらめいて、白い頬にかかる。空気の粒がひとつふたつ、閉じた睫毛について小さく輝いている。何故彼を起こそうとしているのか、達哉にもはっきりとは分からなかった。けれど、淳はこんなところで眠っているべきではない。そう思ったのだ。紅いうみゆりの寝床は余りにも華やかで、この水は冷た過ぎた。
 他物に固着するドリオラリア幼生の成長過程から、花冠を切り離して無茎となるうみゆり、或いは枯れた百合のような長い茎を持つ有茎の海羊歯。
 この奇形の夢のような花の揺りかごの中で眠る夜が、やすらかだとは思えなかった。
 揺り起こそう。淳の足取りが重ければ、手を握って無理にも引きずってゆこう。
 それからこの氷のような水の中を歩いてゆく。上方にはひ弱な光源がある。水の上には、エゴイスティックな陽光と汗にさらされた昼の世界が横たわっている。
 それが自分の考えたことなのか、淳の考えていたことなのか、達哉はふと分からなくなる。
 自分が今まで夜と昼の世界を分けて考えたことがあったかどうか、よくは覚えていない。
 だから、自分が昼の世界を肯定する理由も分からなかった。
 きっと善も悪もなく、自分は自分のために淳の眠りを醒まそうとしているのだ。
 水の重さに負けないよう淳の頬を押しつつむ。閉じたまぶたの上に揺れてかかる髪を強くたぐり、白い額をあらわにした。
 淳の眠りはかたくなで、達哉のてのひらにも、髪をたぐられる動きにも反応する様子はなかった。達哉は唇を近づける。触れ合った唇の間で気泡の銀のビーズが混じりあう。水の中に沈んでいても、肺呼吸する生き物であることを捨てられずにいる自分たち。薄く開いたなめらかな下唇に歯を立てて、達哉はそこを強く噛んだ。
 ────っ……
 眉をひそめて、人形のようだった淳が初めて反応する。唇の周りに淡い橙色の小さな雲が広がった。血は空気中で粘り気のある体液として流れ出る時と違って、冷水の中にオレンジジュースの粉末を溶かしたように非現実的で淡かった。痛みを伴って流れ出したものとは信じられないほどだった。
 淳はまつげをふるわせ、小さく身をもがいた。苦しそうに達哉の腕から逃れようとする。達哉は淳の肩をとらえる両手に力を込めて、唇を押しつけた。開いた唇や舌に触れた水は、冷たいだけで無味だった。
 それではここは海ではないのだろうか。
 不意に淳の目が開いた。現実を閉め出す鍵のように閉ざされていた長いまつげがあがり、黒い瞳が覗く。虹彩と瞳の境目が溶け合っているような深い黒の瞳だ。
 黒い瞳は自分を揺り起こす者を憎むように凍りついたが、しかし淳はすぐに、自分に触れているのが達哉だということに気づいたようだった。
 一触即発の力をはらんだ肩や腕から力が抜け、淳の身体はやわらかく達哉の腕の中で緊張をほどいた。再び甘く睫毛が閉じた。今度瞳を閉じた理由は、先刻のかたくなな拒否とは違った。
 軽く触れた唇を通して、声以外の記号によって伝達される情報。淳の微笑は唇を通して達哉に伝わってくる。

「目は醒めた?」
 紅いもやのような羊歯を見つめたまま動かない達哉に、柔かな低い声がささやきかけた。
「……」
 達哉は視線を巡らせた。頭がぼうっとしている。彼の横たわった堅いベッドの横に、柊黎子が立っていた。若いサイコセラピストは、椅子を引き寄せて患者の傍らに座った。
「いい夢は見られた?」
 柊は白衣をつけていない。薄青いハイネックのサマーセーターを着ていた。その上に栗色の長い髪が垂れている。髪の合間に、金色の三日月の形をした大きなイヤリングが光っているのを、達哉はぼんやりと眺めた。
「……寝てたのか」
 少しショックを受けてつぶやくと、柊は肯いた。
「催眠療法を受けることをOKしてくれたでしょう」
 達哉は黙っていた。そうだ。舞耶がここに行けと云って半ば無理矢理達哉を連れてきたのだ。シバルバーに一度足を踏み入れてから色々なことがあった。正直、舞耶に云われるまでもなく疲れていた。あそこに入ればもう二度と出てこられない覚悟で入ったが、シバルバーの中は途轍もなく広く、しかも皮肉なことに地上へ戻る出口まで見つかった。
(一度戻りましょう。みんな少し休んでくること。一日でいいからたっぷり眠りましょ)
 舞耶はそう云った。
(わたしお風呂に入りたいわ)
 冗談めかしてつぶやく。
(でもその前に達哉クンはわたしと一緒に港南区に行くこと)
(港南区に?)
 聞き返したのは達哉でなくリサだった。
(そう。ちょっと息抜きしに行きましょ)
 舞耶はそう答えた。そしてここに連れて来られたのだ。元気回復のつもりで黎子さんと話してみて。そう云った。シバルバーの中で、自分はそんなに苛々しているように見えたのだろうか。騙されたと思って。その言葉に内心反発する。俺はもう誰にも騙されたくない。そう思って達哉はいぶかしんだ。誰にも? 自分は誰かに騙されたと思っているのだろうか。そうだとすれば、誰に、どんな風に騙されたというのだろう。返事のしようもなく黙った達哉を置いて、舞耶は帰ってしまった。
 それからたった十五分待っただけで、かすかに柑橘類のような香のする診察室で柊と向かい合う事になった。
 薄紫の事務用の椅子に座って、丸いリムレスのレンズの向こうから彼を見つめる柊は、医者らしいとは云えなかった。おそらく舞耶と同年代だ。友人なのかもしれない。サイコセラピストなどというが、余り口数の多い女ではなかった。
(催眠療法受けてみない? 昼寝をするようなものだと思えばいいわ)
 耳元をそっとくすぐるような声でささやいた。白いデスクに肘をついた。達哉が答えるのを待った。
「夢を見たい、って云ったでしょ?」
 柊の声は突然現実のものに変わり、診察室で向かいあっていた筈が、ベッドの横の椅子に座って自分を見おろす姿に入れ替わった。
 達哉はようやく起きあがった。身体がまだ浅く眠っているような感覚だった。夢を見たい、などと云っただろうか?思い出せなかった。眠りの余韻に淡い霧がかかっているようだった。ベッドの側のボードに置かれた蒼い硝子の花瓶に、紅く彩色された羊歯と、蒲の穂のドライフラワーが生けられている。モスグリーンの蒲の穂と紅い羊歯は無彩色な部屋の中で奇妙に印象的だった。だからあんな夢を見たのだろうか? 達哉はベッドから降りた。
「どんな夢を見たの?」
「催眠療法で聞いたんじゃないのか?」
 達哉は軽く咳払いをした。眠った後のせいか声が掠れる。柊は今度は首を振った。
「催眠療法にならなかったわ。本当に眠ってしまったんだもの」
 達哉はため息をついた。淳の血の味が唇に残っている。夢とはいえ、それは酷くなまなましかった。淳の左側の下唇を自分の歯が噛みきった感触。水中に血の作った、オレンジ色の淡い雲、あの紅いうみゆり。眠る直前に彩色された羊歯を目にしたために、達哉の記憶の中からうみゆりの影像が掘り起こされたのだろうか。それにしてはリアルだった。あの水の冷たさも、うみゆりを靴で踏んだかすかな弾力も。
「話さなきゃ駄目なんですか────その……」
 達哉は思わず云い淀んだ。身体はぼうっと熱いのに、どこかまだ自分があの冷たく蒼い水の中に沈んでいて、凍えた唇を淳に押しつけているように思えた。
「……夢の内容」
「駄目というわけじゃないわ。わたしが聞きたいだけなの」
 セラピストは柔和に微笑して手を伸ばす。気不味いように黙り込む達哉の目の前で、花瓶の中の紅い羊歯にそっと触れる。美しい楕円形に整えられた爪には淡い真珠色のマニキュアが塗られている。その表面には、花瓶の中のものがかすかに歪んで映っていた。柊は笑みを消し、首を傾げるようにして考える素振りを見せた。静かに達哉を見つめている。
「周防君が持ち帰りたい夢を見られたなら、それでいいのよ」
 宥めるように低くそう云った。

 珠閒瑠市が空中に浮かぶ前は海を見渡せた、シーサイドモールのオープン駐車場に入ると、達哉のバイクの側に人が立っている。遠目からもほっそりしたその身体を包むシャツの青に、達哉の胸が一瞬不安定に胸を揺れた。
 どこか夢の続きのようだった。
 駐車場にはなごやかな風が吹いている。淳以外に人はいない。気のせいなのは分かっているが、遠くで波の音が聞えてくるような気がする。ここはもう海に添った街ではなかった。海は遙か下方に取残されてしまった。だが、ここに立つと、いつも静かな波の音楽が聞えてくる。感覚がそれを忘れられずに、鼓膜にかすかな幻聴を届けているようだった。
 目を伏せて風の中に漂うように立った淳は、達哉が戻ってくるのを見つけて、小さく手を挙げた。珍しく制服ではなかった。近づきながら達哉も手を挙げる。振った右手とは逆の、左手の手首に、包帯が巻かれているのに不意に達哉は気づいた。
 もっと距離が縮まると、左目の横に小さなテープで傷の手当てが施されているのが分かる。
(……?)
 シバルバーを出た時は、淳は傷を負ってはいなかった筈だ。「実験」と称して淳が壁の中から花の咲く植物の蔓を取り出した時も、右手首に蔓に巻き締められたあざを作っただけで、傷ついてはいなかった。
「どうした?……それ」
 自分の口から素っ気ない声が漏れるのを達哉は聞く。どうして淳に接するときこんな声を出してしまうのか、達哉には分からなかった。少なくとも意識的にしているわけではなかった。淳は気にする様子はなかったが、達哉の質問には答えなかった。
「廃工場に行った帰りだったから待ってたんだ。駐車場を見たら、達哉のバイクがまだあったから────」
 云い訳するような口調になる。淳にこんな声を出させているのは、結局自分なのだと思うと腹が立った。
「廃工場?」
 達哉は眉をひそめた。視線を足許に落とした淳はそれに気づかない。
「ああ、リサが新しいペルソナに馴染みたいっていうし、僕も少し付き合ったんだ」
「────莫迦!」
 彼は自分の漏らした荒い声に、自分自身驚かされた。
「舞耶姉も、帰って休めって云ってただろ!……」
 彼は苛立ちながら口を噤んだ。もっと気遣うような言葉はないのか。そう思うと尚更苛々した。そして、自分のこの感情に淳は関係ないのだということを自分に納得させようと、ふるえる息を大きく吸い込んだ。淳は淳であって自分ではないのだ。自分の苛立ちを淳が共有しているような不安定な錯覚を感じるのは危険だった。
 しかし淳は、達哉の荒れた声に拒否反応は示さなかった。不思議そうに彼を見つめ、次に複雑な表情でゆっくり瞬きした。
「────ごめん……」
 低く云った。達哉が淳に尖った声を出し易いのと同じで、淳は彼に挑戦的なニュアンスを含んだ言葉を投げかけることが多かった。だが今は違った。心の奥底を透かし見て慰撫するように低く、ゆっくりとつぶやいた。
 その唇に目を落とした達哉は、再びぎくりとした。一瞬強張った背中から力を抜こうとする。夢の中で淳の下唇に歯を立てた感触がまざまざと蘇ってきた。淳の薄赤い唇の左側、達哉が夢の中で噛んだのと同じ場所に、小さく膨れた傷があった。傷口の上で血の乾いた小さな跡がある。廃工場に行って来て怪我をしたなら、唇の傷もそこで作った物だろう。それは分かっていたが、視線がそこから外せなくなった。達哉の目に気づいた淳は訝しむような表情を浮かべた。視線が自分に止まっていることを知って、迷うように頬に触れた。
「……何?」
 達哉は淳を見おろして、そのひっそりと白い肌や、かすかに青ざめたまぶたを見つめた。胸が痛くなった。シバルバーの中で、淡い青紫の花を嵐のように咲かせる花枝の蔓を千切るまいとして、そのまま動けなくなった淳を思い出した。彼はおそらく、花を折り取ることが出来ないような、柔弱な気質を持っている訳ではない。ただ、花を折り取って枯らすことの意味や、折り取って命を絶やすことの冷たい実感は誰よりも持っている筈だった。罪の意識に深く沈んでいるせいで、あんな花の蔓さえ引きちぎることが出来ないのだ。手首に軽い捻挫を負うほど締め上げられても、その力に任せて、花枝の檻に閉じこめられる事を望んでしまう。
 達哉にはそれが不安だった。
 淳が自分と外界の正常な関係に自信を持っていないのが分かる。彼の価値観が人と一歩ずれた場所にあり、それを調節するために、ぎりぎりの場所に立っているのが見える気がする。淳の踵は常に半分臨海線を踏み越えていて、崖の下に待ち受けるまばゆい悪夢の中に、いつでも飛び込んで行ってしまいそうだった。
 だから自分もあんな夢を見るのだ。
 達哉はそっと淳の両肩をとらえた。水の中でそうしたように力任せにはしなかった。戸惑った顔のままで淳は彼に引き寄せられる。以前より数キロ空に近くなった駐車場の、あっけない見晴らしの中で、そっと唇の上の傷を舐める。
「……っ、達哉……」
 夢の中で淳がそうしたような微笑がそこにないことをもの足りなく思いながら、舌先で触れただけだった唇を重ねる。感触を味わうために深いキスはしなかった。小さく吸って、唇の内側に浅く入り込み、また唇に戻る。幾度かそうすると、かたまりかけた下唇の傷が破れて、血の味がした。達哉は丁寧に舌で血を拭い取った。しかし、潤いを与えられた傷口からは、また小さな花弁のように血が流れ出す。水の中でのようにオレンジの翳りになって広がるのではなく、淳の唇の上で歪んだルビーのように光っている。
「達哉……どうしたの? こんな所────」
 こんな所で。淳がそれをすっかり云い終わらない内に唇を押しあてる。
 どうすればいいだろう。
 自分の部屋に連れて帰ろうか。一週間前そうしたように。あれだけ触れないように気をつけてきたのに、二人きりになったら何が起こるのか、想像する必要もないくらいだ。
(一晩だけでもゆっくり眠って────)
 舞耶の言葉を又思い返す。
 淳がいれば眠れるような気がした。きっと淳を取り戻しに行く夢でうなされることもないだろう。自分が柊に、夢を見たいと云ったことを達哉は覚えていなかった。疲れで朦朧としていたせいか、催眠療法というやつのせいなのかは分からない。しかし何故夢を見たいなどと云ったのか、それだけはふと理解できたように思った。夢でも現実でもいい、自分の腕が引き寄せて抱きしめたいと思っているもの。それは欲望等という気負ったものでなく、寧ろ子供のようなさみしさに似ていた。一人きりで夕焼けと、紅い空を背にした黒い木陰を見上げるさみしさ、なかなか帰宅しない兄や、二度と帰って来ない父を漠々と待つ夜の入り口。いつの間にか達哉は誰かを待つのが嫌いになっていた。
「達哉……」
 抗う淳の声がかすかに濡れている。
 彼の云うとおり、こんな所で何をしているのだろう。そう思ったが、達哉はやめられない。バイクの銀色のラジエーターやフレームに光があたってきらきら輝いている。ここは夢の中で達哉が淳を連れ出そうとしていた、金色に輝く埃と、目や肌を灼く光線に充ちた昼の世界だ。
 淳の胸元を探ってボタンを外す。驚きのあまり、彼のほっそりした身体は凍り付いたようになった。胸元に手を差入れて襟をくつろげると、達哉はそこに顔を埋めた。喉元に、鎖骨の上に、唇を落とした。歯を立てて小さく吸う。淳の白い皮膚の上に、キスの跡は簡単に残った。紅い花の花弁を千切って落としたように、首筋から胸元にかけて、幾つも紅い跡が残る。顎の下や耳のすぐ下にも唇をつけ、跡を残した。まだ色の変わる前の小さなあざは色鮮やかで、淳が着る制服の高い襟でも隠れないような、挑み懸かるような跡だった。
 その跡を自分で見ることの出来ない淳は、その跡よりも、肌に歯を立てて吸われる感覚に気を取られているようだった。押し返そうとする手から力が抜け、耳のすぐ下に唇が這った時、声を漏らした。大きく背中を曲げてかがみ、服の合わせ目を歯で押しのけて、現われたうすあかい突起に舌をつける。
「……ん、……っ」
 一度淳を抱いた時、部屋は暗かった。暗い海のただなかのように静かで冷たく、雨がひさしからベランダのふちへ落ちる音しか聞えなかった。
 あのときと今ではどちらがマシなのだろう。足許に敷かれた白い砂利が光を照り返す真昼の駐車場で、淳と二人きりでいて、納得しきれない孤独に苛まれている。唇が触れ合う充足の影に不安が隠れている。
 淳は息が乱れるのを隠せなくなったように、てのひらで口元を覆った。白い頬に血の気が差している。胸元を手のひらでそっくり包んで撫でると、びくんと身体をふるわせて顔を背けた。差入れたてのひらで身体の線をぐるりとなぞり、背筋にまで潜り込ませる。
「……や、……っ」
 膝が震えているのが分かった。すんなりとなめらかな背筋の間におさまった背骨を指で確かめる。震えは大きくなる。胸に戻る。痛々しく堅くなった小さな手応えを指先でいじる。
「っ……達哉!」
 淳のてのひらが、達哉の髪を掴んだ。
「どこか……」
 淳は潤んだ目を上げて達哉を見た。弾んだ息が唇を赤く湿らせている。
「どこか、行こう……」
 自分のその言葉が暗示することに思い至ったのか、淳は片手で目を覆った。赤らんだ目許が隠れてしまう。
「……ああ」
 それ以上触れることをようやく諦めて、達哉はずきずきと痛むほど昂揚した指を彼から引き離した。襟元を正してやる。ボタンを一番上まで止めても、彼のキスの跡は隠れなかった。自分はこれをどうするつもりだろう。彼は不思議に思う。明日の昼にはまた舞耶達とシバルバーに入るのだ。こんな隠しようもない跡をつけて、淳を彼らの目に晒すつもりだろうか。
 エゴイスティックな陽光。靴の下にむなしくにじる小さな砂利。円盤の上に集約された、彼らの現在の世界。
 太陽にさらされていたせいで、淳の髪も、青い服に包まれた肩もほのかに温まっている。近くで楠の薄く堅い葉がさらさらと鳴っている。ぼんやりと空間をゆがめて羽虫が歌っている。彼らには珠閒瑠市がどこにあろうと関係ないのだ。達哉は不思議な思いで淳の髪をそっと撫でた。
 こんなに猥雑なようでいて昼は輝かしく、土を踏みしめて立っている事には安定感がある。

「柊さんの所に行ったんだよね?」
 シーツの上に頬をつけた淳が小さく囁いた。息が整っていない。汗に湿った額も頬も熱く火照っている。結局達哉は淳を自分の部屋に連れて帰ってきた。潔癖で厳しい、息が詰まるほど優しい兄から逃げ出して借りた小さな部屋だ。
「何か云われた?」
 達哉は顔を背けた。
「別に……夢見ただけ」
「夢?」
 淳は不思議そうに聞き返す。少し乱れた髪でそうしていると、彼はどこかいつもよりあどけなく見えた。ほんの一週間前、確信犯の様相で挑むように達哉を見た彼とは別人のように見える。
「……診察中に寝たから」
 そう答えると淳は低く笑った。
「疲れてたんだね?」
「────少し」
 正直に答える。淳の声はもの柔らかだったが、それは彼が変化して安定したしるしとは云えない。一度凪いでも人間の心は何度でも同じ波を揺り返し、下らない事で悩み、舞い上がり、教訓を忘れて突き進む。現にたった半日前、シバルバーの中で、達哉は何か淳との関係について回答を得たと思ったのだ。あの時感じた苦しいような愛しさをリセットして不安になる。夢の中で結局は淳を探している。
「……俺が」
 達哉が云いかけると淳の視線が応じるように動く。彼の目はまだとろっと甘く、抱き合っている最中に流した涙でひそかに濡れていた。達哉はふと、自分の疲れについて口にはしても、どんな夢だったのかを淳が聞かないことに気づいた。
「自分で云ったらしい、夢が見たいって……」
 少し躊躇った後に続けた。
「そうなんだ」
 淳は少し肩が冷えたのか、ベッドの中に深く潜り込もうとするように背中を丸めた。達哉はその肩に毛布を引き上げてやった。ありがとう、と静かにつぶやいて淳は少し背中を震わせた。
「見たい夢は見られた?」
「よく覚えてないんだ」
 嘘をつくしかない。だが、その言葉に淳は素直に肯いた。
「そうだよね。いい夢はすぐに忘れる気がする」
 とろとろと眠りそうな声が付け加えた。
「……忘れないとすれば、夢じゃないからだ……」
 悪夢を忘れる権利を放棄した友達は、諦めでも自棄でもない口調でつぶやき、眠りに滑り込んで行ってしまいそうになった。その言葉は予想外に重く心に食い入って来る。重苦しいような、それでいて甘く染みこんでくるような不可思議な感触を味わった。
「淳、ごめん」
 思いついて、眠りそうになっている淳に囁いた。
「……何?」
「かなり跡つけた」
 そう云って、首筋のあたりに触れると、淳は少し眉をひそめた。
「ほんとに?」
 しかし、すぐに唇がほどけて笑いの形になった。
「……まあ、いいよ……傷テープ貼っとけば……」
 眠りが淳を怠惰で鷹揚な猫のようにしている。淳は身体を達哉にすり寄せ、額を彼に肩口につけた。眠り掛けの身体は驚くほどあたたかった。
「ごめん……もう寝る……」
 おやすみ、と云おうとした最後の語尾の辺りはもう半分以上眠った人の声になっていた。最後に真っ黒な瞳が達哉を一瞥し、真っ黒な睫毛がそれを閉ざした。
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「おやすみ」
 忘れないのはそれが夢ではないからだ。淳のその言葉は厳しい。だがそれは或る意味では優しくかろやかな一面も持っていた。多面を顕して研磨された真っ黒な石の、ある一面に、鮮明な青空が映っているように。
 淳はもう長いこと、達哉にとって忘れたくないものの象徴だった。蓋をして暗い隅に追いやったようでいて、ちっぽけな銀色のライターを握りしめてしがみついた子供時代の甘い思い出だった。忘れても思い出せたのは彼が夢ではなかったからだ。舞耶も、栄吉も、リサも夢ではなかった。ただ過去になってしまったに過ぎない現実で遊び、好意と憎悪、過失と愛情を交換したのだ。
 淳の息づかいが聞えてくる。水の中でのように淡い気泡がその所在をあきらかにするわけではなかったが、そのひそやかで安心した息づかいを、達哉は耳で確かめることが出来る。
 胸が疼き、眠り足りない目が乾いて痛んだ。目を閉じる。痛みはまだそこにあったが、熱い涙に湿されて、徐々におさまって行った。
 そして、目を閉じても淳が側にいるのをまざまざと感じ取れることに達哉は気づいた。
 ほっと息をついた。短い息では足りずに、もう一度ため息を漏らす。自分も少し淳に身体を寄せた。今日は眠れそうだ。深く静かな、夢のない眠りに入っていけそうだった。
 柔らかい髪に額を押しあてる。安堵がこみ上げて来る。
 そして、自分がこの数日で覚えている限り、初めて笑ったことに気づいた。

                                  
 

 
 

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