罪クリア直後に夢観たこんな「リセット」後。
罰プレイ後にちょっと泣きそうでした。
「外が賑やかになってきたけど……」
淳は、小声でつぶやいた。達哉に話しかけるつもりではなかった。達哉は眠っていると思っていたのだ。カーテンを閉め切って、窓の鍵をかけているため、外の気配は殆ど伝わって来なかった。しかしサッシで外と隔てられた部屋の中にも、祝砲が打ち上げられる音、マンションの外で人が興奮したように往来する気配が伝わってくる。
淳が、窓の外を確かめようとして身体を起こそうとすると、不意に達哉の手が伸びて淳の腕を掴んだ。今まで一緒に潜り込んでいた布団の下に、彼の身体を引きずり込む。同じ年だというのに、淳と達哉の体格はまるで違う。骨の細い淳の身体は、大人が子供を扱うように易々と達哉の身体の隣に引き戻された。
「寒い」
達哉は、眉をひそめてつぶやく。まだ彼の大きな手は、淳の腕を掴んだままだ。
「だって、新年だよ」
「新年?」
一瞬時間の感覚がなくなっていたのだ。淳は自分にも達哉にもあきれる。もう三日も外に出ていなかった。眠るか、食べるか、お互いに触れているか、それ以外のことを何もしていなかった。服も着ていない時間の方が多いくらいだ。テレビもつけなかったし、達哉の部屋には新聞も来なかった。コンビニに一回だけ行って食料を買い込んだ。それだけだ。だから、二十世紀が終り新世紀が来る、そうでなくても年が変って世間がイベントで奔走する新年の訪れに、二人とも気づかなかったのだ。
「いい、関係ない」
達哉が無愛想な声を出した。彼の、浅い色の綺麗な髪や睫毛に飾られた顔が、不意に何かの苦痛を感じたように歪んだ。その理由が分からずに淳は目を瞠る。自分の気分の変化に淳が気づいたことを嫌ったのか、達哉は姿勢を変えて淳に覆い被さった。疲れ切って綿のように力の抜けた身体をきつく抱きしめられて、淳は戸惑った。少しは休まないと身体が保たない。
「達哉……」
彼を拒否せずに衝動をやり過ごす言葉を探そうと、声を抑制して呼びかけると、達哉は首を振って淳の首筋に顔を埋めた。そのまま動かなくなる。
「関係ない、年が変るとか、新世紀とか────」
達哉は相変わらず素っ気ない声を出す。しかし淳に重なった達哉の鼓動は不安定だったし、声はどこか苦しそうだった。
「でも、大事にするべきだと思うよ。そういう季節のこととか────その時、誰と一緒にいたかも覚えておけるし、記念になるし」
達哉が動かないせいで、淳はベッドにつなぎとめられて天井を眺める。耳を澄ます。やはり外は賑やかで、街が華やいでいるのが分かる気がする。そして今は、自分は達哉と一緒にいるのだ。それを考えると胸が締め付けられる。そしてふと彼は不思議に思った。
今、懐かしいと思った。
何故だろう。知り合って間もない達哉と新年を迎えることが、なつかしい思い出とリンクするはずはなかった。今まで彼は、新年は必ず両親と過ごしたし、家族と過ごす行事をパスして、友達の家に泊まり込んだことなど一度もなかった。事実、忙しい母がようやく休みを取った今年の年末に、友達の家に泊まりたいと云った時は、両親は苦い顔をした。
だが、かすかな痛み、それはどこか胸の奥に隠れた部分を刺し貫くような甘い痛みが、達哉と過ごす時間にはつきものだった。春に初めて達哉と会った時からそうだった。
周防達哉という名前を聞いた時は自分の中で何の反応もなかった。だが達哉は印象的だった。背が高くて手足が長く、セブンスの制服がよく似合っていて大人っぽかった。たまたま夢崎区に出かけたときに駅前で会ったのが初対面だ。淳は学校の後輩と一緒にいた。彼が達哉を知っていて話しかけたのだ。彼はどうやら達哉を自分がやっているバンドに誘おうと思っているらしい。どこか憮然として受け答えしていた達哉が、ふと淳を眺めた。達哉の目は驚くほど色が浅くて透き通っている。瞬きして隠れてしまうのが惜しいような琥珀色の目だった。その目が何か奇妙なものを見るように淳を見おろした。
彼ののびやかな長身の前では、自分の骨の細い身体や、母親似の女顔がどこか貧弱に思えて、淳は居心地の悪い思いをする。達哉は不思議そうに黙りこくって暫く淳を見つめていたが、後輩の方を向いた。
「こいつダレ……?」
「?」
後輩は淳を振返った。達哉が淳に興味を示したのが何故なのか分からなかったのだろう。淳でさえいまだに、達哉が何故自分に気づき、話しかけたのか分からなかった。そう、それは興味を持ったというより、気づいた、という感じだった。淳は自分が昔、達哉と知り合いだったことがあるのではないかと思ったほどだった。
達哉は後輩に淳の名前を聞いた後は特に表情を変えることもなく、「……ふうん」と云ったきりだった。そしてそのまま、よく喋る賑やかな後輩の誘いを、少し煩しそうに、しかし傷つけない程度に気遣っているのが分かる低い声で断り、そのまま手を上げて去っていった。
「先輩、周防さんと知り合いなんですか?」
そう聞かれて彼は首を振るしかなかった。達哉の顔も姿も、それに名前も印象的で、一度でも会っていたら忘れるはずがなかった。一度も会ったことがないのは確かだ。
次の日、達哉が淳の高校の正門から少しはずれた並木道で居心地が悪そうに立っているのを見たときも、淳は、だから彼が自分を待っていたなどと思うはずもなかった。だが、奇妙な懐かしさがこみあげて彼は思わず達哉に向かって微笑した。
(「周防君だったよね。三科を待ってるの?」)
淳がそう訊ねたのも無理はなかった。しかし達哉は少し怒ったような顔をした。淳はいまだに達哉の感情が突然揺れる瞬間に戸惑うことが多い。その時もそうだった。達哉は無言で目をそらして暫く立っていた。暖かい午後で、花の香りがした。甘い匂いのする風が吹いて、淳のこころの中にきざした何かをぬぐい去ってしまう。
やがて達哉は息を吐き出し、少し肩を落とした。
「……悪い」
そうつぶやくと、彼は背を向けて歩き出してしまった。淳はぼうっとその背中を見つめた。どこか見覚えのあるような背中だった。取り返しのつかないことをしているような寂しい痛みが胸を刺して、淳は思わず大きな声を出した。
「────周防君!」
達哉は足を止めなかった。何に対してのものなのか分からない淳の焦りは益々強くなり、彼は達哉の後を追った。どうしても振り向かせなければいけないと思った。
ここで達哉を呼び止めなければ、自分が後で酷く後悔することになる。理由のない不安が彼の胸をしめつけた。
あの時達哉を呼び止めて、一緒に駅まで歩き、携帯の番号を教えるようなことがなければ、今夜こんなことになってはいなかったのだろうか。
淳は眠ったように動かない達哉の髪にそっと触れる。見た目よりも柔らかい達哉の髪が指先に優しく絡む。二日以上達哉が使っているのと同じシャンプーを使っているせいで、自分の髪からも達哉と同じ香がする。
春に会ったばかりの、しかも高校も違う男友達とこんな関係になるなんて、想像することも出来なかった。淳の容姿は線が細く、優しそうにでも見えるのか、男子校にいるせいで妙な誘いを受けることが今までなかったわけではなかった。だが、淳にはその気はまるでなかったし、期待を持たせないようにきっぱりとはねつけてきた。女の子に恋をしたことはまだなかったが、だからといって男が好きというわけではなかった。
だが、達哉は男だとか女だとか、そういう所から外れて、淳の中に深く深く根を下ろした。趣味が共通するわけでもない他校の友達と度々会って話をする、という状況は、最初は違和感を抱かせたが、淳はすぐに達哉を好きになった。彼は無口で無愛想なところもあったが、繊細で優しく、公平だった。一度達哉と会うと、長い時間一緒にいるくせに、すぐにまた会いたくなった。達哉の事が頭を離れないこともあった。達哉にはひとなつこく絡んでくるセブンスの綺麗な後輩がいて、淳は彼女を達哉の彼女だと思っていた。知り合って以来、彼が達哉を独占する時間が長かったせいで、彼女に申し訳ないと思ったほどだ。
特に夏休みの間は、二人でいる時間が長く、淳はついに気になっていたことを切り出した。彼女といる時間をもっと増やさなくてもいいのか、達哉と彼女の関係がそれで駄目にならないか、気が気ではなかったのだ。
彼女の名前を出すと、達哉はいつか二度目に学校の前に立っていた日と同じ、怒ったような、傷ついたような顔になった。
(「どうしてそんな顔するの?────」)
不安になって眉をひそめると、達哉は目を伏せた。長いこと沈黙した。彼が何も云わず、淳の目を見つめ返さなかった数分間、淳はずっと達哉の睫毛を眺めていた。友達の顔をこんな風に飢えたように見つめる自分を変だ、とふと思った。
それから達哉は口を開いた。ほんの少しの言葉を、早口に、絶望したようにささやいた。彼も淳がそれにどんな反応を示すのか想像がつかなかったのだろう。その言葉はごく短かったが、達哉の淳への執着の理由を説明するのに十分だった。
「父さんや母さんには、暫く泊るって云ってあるから」
淳がそう云うと、達哉は先ず部屋のカーテンを引いた。真昼だった。緑色のカーテンを引くと、部屋の中はうすみどり色の海の底のように暗くなった。淳は思わず赤くなった。そうは見えないのに、達哉も淳同様、いつも飢餓感があるようだった。
彼らは二日半、殆ど何もせずにベッドの中にいた。疲れて眠り、水を飲み、間に合わせの食事をしてシャワーを浴びる。達哉が淳の隣にいると酷く深く眠るのが分かる。淳は、達哉の唯一の家族である兄から、達哉の眠りが浅く、悪夢を見て飛び起きることも多い、と聞いたことがあった。
(少なくとも僕の側では安心出来るっていうことなのかな……?)
少し擽ったい気分で淳は思う。達哉の熱い身体がふっとその体温を和らげ、彼は淳の髪に顔を埋めるようにして眠り込む。息が深く静かになり、身体をぴったりと寄り添わせて達哉は眠る。まるで何日も眠らずに歩き通したひとのように、疲れた顔で頼りなく寝息をたてるのだ。
彼が眠るとき、淳を抱き込んで眠ることもあるし、手を握りしめていることもある。ただ身体を折り曲げて、淳のうなじに額をつけるようにして眠ることもある。
何が不安なんだろう。
そう考えると淳は自分で可笑しくなる。自分たちは受験生で、しかも男同士で恋をしている。ただひそかに思い合うような恋ではなく、莫迦みたいに離れられずに身体を押しつけ合って、夜も昼も一緒にいたがっている。不安になって当たり前なのかもしれない。
しかし淳には不安はなかった。達哉と一緒にいることで何かつらいことがあっても、耐えられる自信があった。両親にだって話せそうな気がした。達哉のために我慢する大抵のことが我慢できそうに思える。
それでも達哉は不安定になってしまうのだろうか。
「達哉は記念日とか……お祝いするのとか嫌いなの?」
勿体ない、という気分で問いかける。達哉は首を振った。
「……別に、嫌いじゃない。でも、思い出があっても足りないこともあるから」
「それはそうだけど」
淳は微笑して、逆に達哉に自分から身体を寄せた。
「でも僕は、本人も思い出も欲しいよ。欲張りかもしれないけどね」
達哉の頬が自分の頬に触れると熱気が伝わってくる。つつみこまれるような熱さに、少し頭が霞んだ。窓を開ける自分の手を達哉は止める。彼が、窓もカーテンも閉ざして外界を閉め出し、自分と二人きりでいたいのだということが伝わってくる。
淳は再び甘い痛みに胸を噛まれて、息をついた。何故達哉がそんなふうに思うのか分からない。自分のどこが達哉をそんなふうに思わせるのか。だが、自分も達哉も、二人とも望んだとしてもそれを完全な形で成立させるわけにはいかない。
いつかはカーテンを開けて光を入れ、ドアを開けて部屋を出てゆかなければならないだろう。望むと望まざるとにかかわらず新世紀は彼らに到来する。違う制服を着て違う学校に通い、別々の進路を選ぶこともあるだろう。それとも、何か予想の出来ないアクシデントやこころ変わりが二人の間に距離を作るかもしれない。
だがそれまでは、一晩の休息に思い悩むことはなかった。達哉と一緒に眠るベッドは温かく、シャワーを浴びたばかりの肌は触れ合っていて気持がいい。そこには何の退廃的な匂いもしなかったし、自分を曲げる必要も感じなかった。不安はあっても、それは理由のない、すぐにゆらめいて消えてしまう程度のものだった。
ただカーテンが彼らと新しい世紀の間に仕切を作り、覆い隠しているだけのことだ。
寄せた頬を少し離して達哉を見つめると、彼の透き通った目がゆっくりと瞬き、やがてゆっくりと閉じるのが見えた。失墜するような達哉の眠りがやってきたのが分かる。
「少し寝なよ」
ささやくと達哉は頷き、やがて彼の身体から力が抜けた。怒りと抑制がこわばらせた関節がゆるみ、子供のように達哉は眠る。
淳は耳をそばだてた。外の気配を拾う。彼は新年をこの部屋に迎え入れたかった。自分ごと達哉を、強引に明日に押し上げたい思いで、外に訪れた新世紀と達哉とをこころの中でかき混ぜる。目を閉じて、真昼の部屋を暗いうすみどりに染める達哉の部屋のカーテンを思い浮かべた。そこに自分の手をかける。カーテンの感触は頼りなく脆く、なかなかうまく掴めなかった。
しかし淳は辛抱強くまぶたの裏のイメージを追い、その布の感触をてのひらの中におさめた。
そしてそのまま彼はこころの中に思い浮かべた窓際に立った。カーテンを開けることはせずに、眠る達哉を振返る。達哉は深く眠っている。淳はゆっくりと手を下ろした。今はいい。達哉が眠っている。しかし彼が目を醒ませば、いつでもこのカーテンを開け、外に眩い昼が待っていると達哉に話せばいい。それはいつでも出来ることだ。
彼は満足して指をほどいた。カーテンの作る、みどりいろの闇が彼らをくるみ込むのにまかせて手を離す。
そして彼も目を閉じて、達哉が居るのと同じ、執行猶予のまどろみの中に滑り込んだ。
了。