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シンパシー

03 01 *2013 | Category 二次::デジ02・伊織×岳、大輔×岳

大学生岳さんと大学生伊織。

続き





シンパシー

 あの頃、この人は十一歳でしかなかったのだ。
 伊織は、久し振りに会った岳の線の細さに、奇妙な感慨を覚えた。
 岳の心臓の鼓動をまだ覚えている。血管が、神経が、温かく、甘く混ざり合って、ぴったりと寄り添うように融和した感覚を覚えている。あのころ彼は、伊織に比べるとずっと背が高く、すらっとして成熟して見えた。きらきら光るナイフを胸元に隠して笑っているような、彼の油断ならない鋭さを、正直に云えば怖いと思ったこともあった。
 だから、彼と一つになって、ほっそりした身体に抱き締められるように共鳴し合った時、その感覚の優しいなめらかさに驚かされた。幼かった自分が心も体も投げ出して、陶然と「彼」を味わったのを思い出す。母も、祖父も、記憶の中で少し遠くなった父も、一度も伊織に与えなかった感覚だった。
 あの時、自分がごく幼い子供でよかった、と伊織は思う。神経組織が快感に奉仕する大人の身体を持っていたら、あの強烈な体験を乗り越えることができただろうか。きっとあの感覚に溺れ、彼から離れられなくなっただろう。岳から、精神的に自立することができなくなってしまったかもしれない。
 思えば、パートナーとの共鳴自体、一種あの感覚に似たところがある。
 だからこそ、あの世界には子供しか行くことが出来ないのではないか、と伊織は思う。最近、ゲートを開くのが難しくなっている。何度かに一度成功するだけのそれを試みる回数自体も減ってしまった。心も体も硬くなってゆく自分と、デジタルワールドの接触が悪くなっているのを感じる。だが、それは仕方がないことなのかもしれない。得たものの分、失うものがあるのは当然の事だ。
 あれから十一年が過ぎ、伊織は強健で粘り強い身体を手に入れた。
 五百グラムの竹刀をさえ持て余していた腕で、一キロの竹刀を振るようになっていた。柔軟な脚の腱は、道場の床をきしませて強烈に踏み込み、相手の一瞬の隙を衝くことができるようになった。もしも今、あの感覚が訪れたら自分はどうするだろう。小犬が喜び勇んで飼い主に飛びつくように、岳の胸に飛び込んだ、あんな無邪気な心境ではきっといられない。
 あんな感覚を、ただの友人との間で共有するというのは、それそのものが異常事態なのだ。


 大学の道場の近くに借りたアパートを訪ねてきた岳は、薄いノートパソコンの入ったケースを携えていた。
 伊織が中学に入ったばかりの頃、岳は家の事情で東京の西部に引っ越していった。
 会ったのはそれ以来だから、七年ぶりになる。意外に筆まめな岳は、年に何度か、思い出したようにメールを寄こした。岳と共有した感覚のことで、体内に小さな火をくすぶらせる伊織は、彼からアプローチがなければ自分から連絡を取るということがなかなかできなかった。そのくせ、岳のことはいつも気になっていた。
 迷ったが、転居の報せは出した。すると岳は今年の正月に、せっかくだから、と云って、メールではなく、手書きの葉書で年賀状を送って来た。
 しっかりした男っぽい字で、
『武道館での、新人戦大会見ました。刃筋正しい見事な一本にただ見とれました』
 そう書いてあった。
 その葉書を手にした時、自分の頬にさっと赤味が差したのが、鏡を見なくても分かった。それでは岳は武道館に来ていたのだ。試合のことは知らせていない。岳のことだから黙って試合日程を調べ、淡々と観戦して帰ったに違いない。
 その葉書に対する礼状を書き送れないままで数ヶ月経ってしまった。伊織からも既に年賀状は出していた。それなのに、ことごとしく自分の試合のことでメールや手紙を書くのも気が引けて、返事を書くタイミングを逸してしまったのだ。
 だが、そんなことを気にしてもいないような、屈託のない声で電話がかかってきたのは、五月下旬の金曜だった。転居葉書に書き込んだ携帯の番号あてにかかってきたのだ。
 少し話を聞きたいんだ。
 岳は云った。
 ────あの頃のこと、少しずつ書いて行ってるんだよ。だって、覚えておきたいじゃない? きっとあんな経験、二度とできないと思うから。時間をくれないかな?
 それを断る理由は伊織にはなかった。
「背が高くなったね」
 荷物を玄関の上がり口に下ろした岳は、驚いたように伊織を見上げた。彼も決して小柄な人ではないのだが、二人が視線を合わせるには、岳が顔を上げなければならない。
「試合の時も驚いたんだよ。一きわ背の高い人がいるなぁ、と思ったら伊織くんだったから」
「岳さんは、バスケは?」
 彼が小中学校時代に、バスケット部の部活に熱心だったことを思い出して尋ねると、岳は首を振った。
「膝が保たなくて、高校からやめたんだ。それ以来すっかりインドアになっちゃってね」
 低く笑った。岳は相変らずだ、と伊織は思う。楽しい話ではなくても、まずは笑うのが彼だった。今以上に融通のきかなかった自分が、彼のそんなところにじりじりした理由が、今なら伊織にも分かる。唯一絶対の存在だった父でさえ与えてくれなかった、甘美な一体感を与えてくれた人の、率直な本音を聞きたかったのだ。岳のガードがもたらすものが、たとえ涼しい笑顔だったとしても、嘘だとすれば意味がなかった。彼が心情を吐露するのに価する存在になりたかった。
「膝ですか────残念、でしたね」
 何と云っていいのか分からず、ぎこちなくそう返すと、岳は首を振った。
「そうでもないよ。代わりにこれに熱中したしね」
 そう云って、足許のノートを指差す。きっとそれも嘘という訳ではないのだろう。伊織は自分の中で燻るものをどうにか呑み込もうとした。彼は、岳が訪ねてくることを歓迎していたつもりだった。電話を貰ったその晩は気がたかぶってすぐには寝付けなかった程だった。彼が聞きたいことには答え、また、岳自身の話も聞きたいと思っていた。意識してそう持って行かなければ、自分の話はせずにはぐらかされてしまうのは予想がついた。
 ゆっくりと話したいと思っていたのに、胸の中をじれったく焼き焦がすこの小さい炎は何を要求しているのだろう。
「……伊織くん?」
 沈黙してしまった彼をいぶかしんだように、岳の視線が真っ直ぐに追いかけてくる。
 そのとき岳の口元から笑みが消えた。伊織の目と出会った瞬間、そこにふと、無防備な頑なさが現れて、伊織ははっとした。理由は分からないが、岳の顔に、確かにかすかな寂しさがひらめいたように見えた。それはおそらく岳が意図して示したものではないはずだが、伊織の目にははっきりとうつった。
 伊織は、胸の中の熱の塊に、自分自身の指で触れてしまったような気がした。
 そこに、そんなに温度の高い、やるせない感情が隠れているとは、今まで気づかなかったのだ。
 彼は唇を結び、岳が背にしたドアにゆっくりと手を突いた。岳を部屋にまともに招き入れてさえいないことに気づく。だが今は、埋み火を消す努力をすればいいのか、かきたてればいいのかを考えるので精一杯だった。
 彼をドアと自分との間に閉じこめるように伸ばした腕の中で、その身体がひどく繊細で脆く見える。
 その行為と沈黙との取り合わせを、不審だと思われるのは承知していた。だが、伊織は動けず、口もきけなかった。岳もまた黙って彼を見つめている。色の淡いその目に射られたように凍り付いたまま、伊織は、自分の左胸に燃えるその火の正体と所在について、嘘ではなく、勇み足でなく、正確に伝えるべき言葉を探していた。
 刃筋正しい一本、と岳は云った。
 それは伊織にとっては最高の賛辞だった。
 また岳にそう云われるような一本を打ち込みたいと心から思った。そしてできることなら彼に向ける言葉も、それに近い形で表現したかった。
「岳さん」
 ようやく彼の名を呼んだ自分の声に、子供の頃の高い声が二重になって聞こえる。迷いと不安に何度もおびやかされた。自分の小さな肩にかかった重みに悲鳴を上げそうだった。そんな時に岳はいつも笑顔だった。急がなくていいよ。大人のようにそう云って伊織をなだめた。だが、あの時彼はまだ十一歳だった。伊織を包み込んだあの目くるめくような包容力は、か細い少年の身体の中に内包されていたものだったのだ。
「……どうかした? 伊織くん」
 あの日と変わらず、優しく柔らかな声が返ってくる。
 伊織は言葉を探して自分の中をさまよった。
 だが、そうして急ぎながらも、岳のもの静かな目が、自分を急かしていないことだけは分かっていた。 

しかし、そのシンパシーの結果はシャッコu……

TITLE:+++「シンパシー」 +++
DATE:2005/08/01 06:49

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