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S01_07.5_white peace

03 01 *2013 | Category 二次::幽遊・幽×蔵他(蔵馬中心)

話と話の間。悠介視点の散文。

続き





 気づくとその道に立ちつくしていた。夢のようでもあり、ただそこにずっと立っていたのに、気づいていなかったようでもあった。
 道以外にはただ虚空なのだった。ただ一つそこにある道も、ほの暗く薄墨色に静まり返っていた。ひやりと冷たい風が頬を撫でた。春。昏い天と道だけがそこにあるのだが、彼の皮膚をひたした風は確かに春をはらんでいた。胸の騒ぐ春を隠し持っていた。
 天は遠く高く、そびえ立つように彼を見下ろした。彼は自分のてのひらを眺めた。そこには、いつも感じる金色の力の気配がない。力はたそがれて消えたようでもあった。彼は歩き始めた。
彼の想いは待つことにそそがれた事がない。耐えるよりひたすらに走った。走ってゆきつく所はなかった。それに疑いも持たなかった。
 しかし今疑いなく走るには、墨色にひっそりと暮れた天、ゆきつく先の見えない道、早い春以外の気配すら伝えない風は漠々と心細かった。闇の方がまだしもこころ安かった。闇は光さえ当てたならば、突然ひらけるものでもあるからだ。
 自分の名も分かっていた。自分が誰なのかも知っていると思っていた。しかし、自分の名を呼ぶ者がない場所で、名はどれほどの意味を持つだろうと彼は思った。思いながら歩いた。
 それは道の中央に、行く手をさえぎるようにたたずんでいた。老木だ。老いて白く、しかし、強く静かにたたずんでいる。
 桜だ。花も持たず、葉桜でさえなかったが桜だった。彼は、きたえあげて硬く乾いたてのひらで桜の幹に触れた。割れた樹皮は奇妙ななつかしさでてのひらになじむ。
「誰だ…………お前」
 彼は答えを待って幹に耳をつけた。
「……出て来いよ……」
 ほっと風が吹いた。ひやりと、しかし優しく口づけするように彼の頬に触れた。何かを思いだしかけたように彼はまばたいた。喉に痛みがあった。なつかしさに襲われ、息が詰まった。
「誰だ。……」
 答えは知っていた。自分が誰なのかも、この長い夢の中で誰を待っているのかも。待った事のない自分が夢の中ですら歩きながら、なお誰を待っているのか、もう彼は知っていた。
 ほつりと雨のようなものが頬にあたった。彼はまぶたを上げ、上空をあおいだ。
 それは白い花片だった。
 その柔らかく白いものが花びらだと気づくまで少しかかった。桜の枝はからからと枯れ、風ほどの春の気配も、花の気配もなかったからだ。
 しかし花片は降った。ひとつ、ふたつと数を増した。
 瞬く間に、あたりは降りしきる白い花びらでうずもれた。ため息のように薄くほの白いものであふれた。花片は地につもり、地を白い指で撫でた。時折風がその上を吹き過ぎ、白い波の模様をつくった。彼の足にはいた靴のまわりも花でうずもれた。
「……!」
 彼は目をかばって腕を上げ、その腕の向こうに、長く横たわる人影を見た。
 思わず腕を降ろす。横たわった人影は、彼の知っている人によく似ているように見えた。心臓が細くふるえる寂しさと共に、彼は、それが吹き寄せられて厚く積もった花びらだということを知った。
 花びらはその上にまた積もった。茫然と立ちつくした彼は、その樹の下をもまた、通り過ぎてゆこうとした。ここは彼が待った場所ではなかった。また自分が何を待っているのかを知るために、歩いてゆかなければならなかった。待つためにさえ彼は歩く。それは前から変わらない。
 最後にと振り向いた時、またなつかしい幻が花のただなかに横たわっていた。
「……馬鹿野郎。……」
 彼は弱くつぶやいた。声に力がこもらないことを恥じはしなかった。彼は孤独でも生きてゆける。しかし生きてゆけるからといって孤独でないのではなかった。
 何年も前から、彼は立ち止まることの出来ない寂しい子供だった。この先何年たっても変わらないだろう。変わらない事は糧でもあり、しかし彼からたくさんのものを奪い去った。
 花びらは、白い頬に変わっていた。白いてのひらに、白いまぶたに、青ざめた唇に変わっていた。真っ白な薄闇の花の中で、焼けた骨のように長い髪が散らばっていた。彼は茫然と立った。
 風が吹いた。今度は消えなかった。散る花と共に消えるのではなく、散った花につくられたように、その人は彼の足許に静かに横たわっていた。千年もそこにいたように揺らがなかった。
「やっぱり、お前だったんじゃねえか。……」
 胸が痛んだ。静かにかがみ込んだ。そっと顔を覗き込む。死のように静かな寝顔の唇にわずかな呼吸があった。それはずっとあったものなのか、今始まったものなのかは分からなかった。だがその人は静かに呼吸を繰り返していた。それは確かだった。
 そっと手を伸ばす。抱き起こす。かたびらのような白い服から伸びたうなじをてのひらで支え、片手でその人の指を探った。冷たい指にかすかに意思がこもった。黒い、長いまつげがふるえた。頬を寄せる。つくられたばかりであるようにその頬はなめらかで、冷たかった。彼の息にあたためられたのか、柔らかな冷たい呼吸がはっきりと唇に通い始めた。
「馬鹿野郎……何見ても、どこに行ってもお前ばっかりだ。……」
 力ない呟きが漏れた。
「早く、目、覚ませ…………・」
 地に静かにその人を抱き降ろす。眠る人の隣に座った。そうして彼は初めて足を止めて待つ。
その人のためにそれを出来るのが、どんな気持からなのかを考えるためにも。歩きたがる自分を抑えてでも。
 孤独でも歩いてゆく足を持っている。しかし彼のそれはやはり孤独だった。
 頭上の樹にはいつの間にか星が灯ったように一面に花が咲いた。花片は降りやみ、青い闇と、彼と、その人が、花の咲いた樹が、そこに残された。彼は思う。まぶたの開いた瞬間のこと、闇が薄れた瞬間のこと。探していたのではなく、やはり待っていたのだと。自分は一度も失ったことはなかったのだと、眠る人を見下ろしながら知る。だから探すことはなく時を待った。そして自身のために歩みやめられなかったのだと。
 そうして彼は初めて、自分で決めて待つことを選び取った。
 その人は、彼の時間の中に時折存在する、探しようのなく他に代えのない影だった。毎日を歩き過ごして待てば、花のように、幻のような美しさでいつかめぐって来る。
 もうすぐ目を覚ますだろう。
 いつか彼のまぶたも重くなった。眠りこめばその時は、その人が彼を待つことになる。
 風もやんだ。彼は待つ。夢は永く流れ、しばらく暮れる様子はなかった。

                

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