log

トリップ("絹の裁き" Extra chapter)

08 23 *2016 | Category オリジナル::読みきり(短編)

ファイル 170-1.jpg


スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー
スーパーコピー

昔書いた「絹の裁き」という小説の続き。本編を再録せずに(長いので今は直せる気がせず)続編だけ再録するという不親切な行為。確かものすごく少部数の同人誌に書いたような……。
攻め→武田脩一。28~29歳。独身。ストレート。軽く病んでる人。理不尽。
受け→宮城哲生。25~26歳。独身。ストレート。美人。ポジティブ。怖い物見たさと、多分気持ちよかったせいで、病んでる人に泥沼的に耽溺。

続き










 宮城哲生は、自分の目の前に立つ男の広い背中が動き、部屋の鍵を開ける様子を黙って眺めていた。
 武田は鍵を開けて、彼をうながすようにちらりと振り返った。マンションの廊下は常夜灯に白く照らされているが、もう外には青い闇が広がっている。下方に、街の灯が暑い大気にゆらめきながら、熱帯夜の星のように光っている。



 宮城は、武田の後ろについて部屋に入り、そっと鍵を閉めた。彼はこの部屋に来るたびにまだ少し緊張する。
 たった二ヶ月の間に、何回来たのかもう覚えていない。だが、この清潔で真新しいマンションの廊下に立つたびに、最初にこの部屋のドアを開けた時のことが思い出されるのだ。正確に云えば、彼はこの部屋のドアを最初にくぐって入ったときのことを覚えていない。そのときはひどく酔って眠っていたのだ。大柄な武田の肩にかつがれるようにして、おそらくこのドアから運び込まれたのだろう。
 そして翌朝、武田に傷つけられた自尊心と身体の痛み、快感の余韻を抱えて、このドアを出た。七月初旬の真昼だった。よく磨かれたタイルが日光を受けて光っていた。彼は混乱しながら見慣れた街の風景を見渡した。それからゆっくりと足を運び、タクシーで二十分ほどの距離の自分の部屋に帰ったのだ。
 その日から二ヶ月たった。宮城は相変わらずこうして武田の部屋に通っている。夕食は互いに済ませてから会うことが多い。武田の仕事は自社の商品流通の管理で、三十歳を前に課長補佐だった。彼はいつも多忙であり、そして何よりも食事の時間に都合をつけてまで、宮城と早く会う必要を感じていなかった。武田にとって宮城は、夜、シャワーを浴びた後から、眠りにつくまでのほんのわずかな時間、自分の腕の中にればいいだけの存在なのだ。
 宮城は、そのことを承知していてこの部屋に来る自分に、わずかな苦さを感じていた。だがその苦さに彼はすぐになじんだ。武田と会う夜を無くすなら、報われない苦みに耐えていた方がよかった。
 武田が背広を脱いだ。エアコンのスイッチを入れる。十八度に設定してある大型のエアコンが、風速を最大にして稼働し始めた。
「シャワーどうする?」
 武田は宮城を見つめた。今日聞いた言葉の中で一番実際的で、目的のある言葉だった。
 宮城は首を振った。
「……俺は、一度帰って浴びてきました」
「そう」
 武田は素っ気なく答えて、宮城の腕を引き寄せた。
 背中を抱いた武田の表情が少し変り、最近急激に背骨の浮かぶようになった宮城の背中を、ゆっくりと確かめるように撫でる。だが、思った通り何も云わなかった。
 大きな手が宮城の顎をすくいあげると、冷静な口づけが頬や耳元に押し当てられる。武田は呼吸も乱していなかったが、その冷たく柔らかいキスだけで、宮城のあちこちが崩れるように解けだしてしまう。
「……まだふるえるの?」
 半ば笑みを含んで武田がそうささやき、宮城から身体を引き離した。その言葉で初めて、自分がふるえていることに気づく。目の前にぱっと紅い花を撒き散らしたような感覚がある。羞恥に取り囲まれた宮城は、身体が熱くなって、目が上げられなくなった。うなだれるように立ちすくんだ。
「俺はシャワーまだだから」
 武田の指が伸びて、不意に喉元に触れる。脈を計るように頸動脈の上を指先が探る。その動作に、ある瞬間を想起させられて、宮城は首をすくめそうになった。
 しかし武田はそれ以上はしようとしなかった。適当にやってて、と、そう云い残して、武田はリビングからバスルームの方へ消えていった。適当にやっている、などということが成立しない間柄なのを承知で、宮城を放って行くのだ。
 キスと、おそらくは自分のこころの表面を引っ掻くための冷たい言葉に、もう既に宮城は今晩、武田に屈服しようとする自分を感じている。
 しかしその屈服は早いか遅いかの違いであって、どんな日も必ず訪れるものだ。その位置関係が逆転したことはなかった。








 天井に、壁に、自分をベッドに押しつける男の肩に、宮城はせわしなく視線を走らせる。身のおきどころがない。白の印象の勝つ、武田の部屋の冷え冷えとした内装が、彼の視界に意味もなく躍り出てくる。苦しい。ただひとつ壁にかけられた、色調の暗い小さな絵の額に目を遣る。あれは誰の絵だっただろう。画家の名前がすぐそこまで出てくるのにはっきりと思い出せない。
 快感は、かすかな痛みをさらに薄く薄く引き伸ばしたように、半透明の膜になって宮城を包み、足許から這い昇ってきた。それと共に、下腹の底からふるえがこみあげてくる。
 背中と胸の双方を、そのふるえのためにがちがちにこわばらせた宮城の耳に、窓の外で啼く蝉の声が飛び込んできた。
 彼はシーツの上で、自分の背骨で串刺しになってしまったようにぎこちなくみじろいだ。
 朦朧と閉じようとする瞼を叱りつけて、ようやく窓の外を見る。だが、セミの姿は見えなかった。武田のマンションの部屋は七階にあって比較的高いため、窓の外に手の届く木立もなかったし、いつも閉め切って冷房で冷やされているために、虫の声を聞くこともなかった。
 ぴったりと閉まった窓のために、夜の蝉の声はひとすじの遠い音楽となって鳴り響いている。おそらく健気にベランダの柵にでもしがみついているのだろう。
(俺がこの人にそうしてるみたいに……)
 何故、蝉の姿に自分を連想したのかは分からないが、宮城は奇妙な可笑しさについ唇をほころばせる。その気配に、彼の気持ちがそれたことに気づいたのか、押しつぶすようにして彼を折り曲げて抱いた武田が大きく動いた。
「あ、あぁ……っ」
 強く突かれて、灼けるような快感が沸き起こった。彼の注意を喚起した蝉の声はたちまち耳に届かなくなった。
 こんなにあっさり自分が馴れてしまうとは思わなかった。男に抱かれることにも、その男が自分を愛していないだろうと思っているのに、彼に溺れこむことにも。
 宮城は折り曲がった片脚のせいで隔てられた武田の身体に、必死にすがりついた。
 突かれるたびに切れ切れにあえぎが漏れた。喉が乾いた。薄く汗に湿った武田の背中は広く熱く、動きに添って、腰に近い位置の背骨や、その両側に太い縄のように盛り上がる背筋が動くのを、宮城は自分の腕の内側で感じる。
 息を殺そうとする宮城に不満を感じたのか、武田が彼の耳朶に歯を立てた。そのまま強く噛む。身体が跳ね上がるような刺激と快感が先ずあって、そこからじっくりと痛みが浸透してきた。耳朶を食いちぎられそうな恐怖を感じて、宮城は身体をふるわせた。
 いつもなら痛そうにすれば割合にあっさりと引く武田が、今日は彼の耳を挟み込む歯の力を緩めない。
「……武田さん、痛い……」
 痛みに涙が盛り上がってくる。
「痛いですって、ば……」
 そのくせ、押しのけようとした手で、何故だか宮城は武田の背中を引き寄せる。痛みに身体がすくむと、強くしめあげられた武田が、中で硬さを増すのが分かった。声を上げて泣いてしまいそうな、不安定な快感の中で、宮城は唇をかみしめた。痛みは耳から広がって、首筋の上まで放射する。
「武田さん……」
 自分の名前を呼んだ宮城が、小さくすすり上げるのを聞いて、武田はようやく歯で肉を押しつぶそうとする力をゆるめた。笑っているような熱い息が、解放されても疼いて痛む耳をくすぐり、歯形のあとにやわらかく舌が這った。身体の芯がひどく熱くなる。
「声出せよ、つまらないだろう?」
 目を開いて武田の目を見ると、彼の目はひどく冷たく光っている。だが武田が醒めているのではないことは、宮城の中に圧迫感と快感を与える熱が証明している。
 痛みから解放された宮城の身体がほっとゆるむ。その隙に指が潜り込んできた。
「あ……!」
 背中が跳ねた。ひどく上擦った声が出た。武田を迎え入れるので精一杯だったところに、更に指を一本、深く差し込まれたのだ。
 荒っぽく擦りあげられる。一瞬痛みを感じたが、それはすぐに不快感と紙一重の強い刺激になって、宮城の喉元に押し寄せてくる。痛みは消え、武田が指を動かすと、身体がその動きを受け入れていることを示すように、濡れた音が繰り返し聞えてくる。その音に恥ずかしさと熱を誘発されて、息が止まった。身体が硬くなった。
 動かしにくくなったことに苛立つように、武田の指が引き抜かれた。
 許容量を超えた刺激からわずかな間解放されて、ほっとした宮城は、ようやく息を大きく吐き出した。かさついた感触の大きな手が膝の裏に滑り込んでくる。両足をすくいあげられて、太股が胸に付きそうになる。
 そして、宮城の反応を愉しむことに飽きたように、武田は大きく動き始めた。角度が浅かった部分へ深く入り込んで来る。
「ん、あ……、あ、あ、……」
 声を出せと云われた後に声を上げるのが恥ずかしかった。声をふさごうとしたが、彼の腕はのしかかってきた大きな身体に押さえつけられていてあがらなかった。呼吸しようと唇を開けると、堰が切れたように声が漏れる。
 先刻痛みに触発されて流れた涙の筋を塗り替えるように、今度は違う感覚のためににじんだ涙が、頬の上を伝わって落ちた。
 武田が薄く笑った。片手を折った膝の間から抜き出し、宮城の熱く上気した頬を愛撫するように触れる。冷たく乾いた武田のてのひらが、ゆっくりと頬を包み込む。
「熱い」
 耳元にささやく。
「……唇まで真っ赤だ」
 その言葉に、かっと燃え上がるように、宮城の身体は更に熱くなった。感じて紅潮した自分の顔を見下ろして武田が笑ったのに気づいて、泣きたいほど恥ずかしくなる。
 行為の途中も、終った後にも口数の少ない武田が、口を開くのは決まってこんな言葉が多かった。そして、宮城が逃げ出したいように顔を背けるのを見て薄く笑う。
 自分がどんな顔を武田に見せているのか想像もつかなかった。当たり前のことだが、自分では一度も見たことのない表情や、身体の部位や、そんなものを武田だけがつぶさに知っているのだ。
 目をかたく閉じた宮城の反応に満足したように、武田は再び彼の中から興奮の要素を見いだすための無言と、単調に階段を上ってゆくような、動作の反復に戻ってゆく。






 宮城の電話に、同名の恋人と間違って電話をかけてきた武田脩一と、それがきっかけで付き合うようになって、ふた月目だった。
 だが、この八月に入ってから、武田の部屋に泊まる回数は、最初の数週間と比べものにならない頻度になった。宮城はここしばらく殆ど自分の部屋で眠っていない。
 一旦武田の家を訪ねると、そう簡単には帰れなかった。
 仕事が終わると、着替えを取りに家には帰る。武田が夜遅いと分かっているような時には洗濯をしたり、食事を済ませて、外で武田と待ち合わせる。もちろん鍵は受け取っていなかった。それから武田のマンションに行く。行った日は必ず抱かれた。武田はおそらく、抱く時以外は自分に興味を持っていないだろうと宮城は思っていた。
 深夜まで武田は彼を離さない。連日のことで流石に武田の身体も倦むのか、直接の交わりはなく、宮城が一方的に身体を触れられる晩もあった。宮城の服だけをベッドの上で無防備にはだけさせ、宮城が欲しいと云うまで、そして何を欲しいのかをはっきりと口にするまで、ゆっくり責め苛んだ。それを口にした後は、その望みを引き延ばすことを楽しむ。さして興味がなさそうに見えるが、武田が宮城の身体で愉しんでいるのだけは間違いなかった。
 夜半、行為の直後の浅い眠りから醒める。
 武田はいつも失墜するように眠る。眠そうにしている様子も見せないが、シャワーを浴びて身繕いしたあとあおむけになり、目を閉じた途端に眠ってしまう。
 宮城は、その武田の寝顔を息を殺して見守る。大柄な男の身体はひっそりと冷たい。ぴったりと目を閉じた武田の顔はいつも青ざめて見えた。
 泊まれ、と云われているわけでもないから、どうすればいいのか混乱しながら、宮城は疲れ切ってまた眠ってしまう。そして朝着替えて仕事に行くか、明け方に目がさめたような時には武田を起こさずに自分の部屋に帰り、一人で朝食を摂るのだ。
 朝起きたとたんに身体は疲れているが、毎日、胸の中は冷たく冴えて興奮し続けていた。興奮はとぎれずに、動悸さえ伴って宮城の胸を揺らした。いつもまぶたの裏に武田の顔が浮かんでいた。
 そんな生活が続いて、体重がみるみるうちに落ちた。
 しかし宮城は身体を壊している訳ではなかった。これを有り難いと思えばいいのか、不運だと思えばいいのかは分からないが、彼のほっそりした身体は、一ヶ月や二ヶ月の無茶に調子を崩すにはいささかタフだった。食欲がないのは疲れているからではないのだ。
 武田のことを考えると苦しくて胸がいっぱいになる。食物を摂らなくとも、身体と気持ちとがそれぞれ勝手に熱を作り出して宮城の肉を、関節を温める。消耗するどころか、体内に淀んだエネルギーを如何やって発散すればいいのか分からなくなる。
 結局はいつも、やみくもに働いたあと武田の部屋に行く、という方法でしか発散できない、強烈な衝動が、いつも宮城の内側にわだかまっているのだった。
 これを恋煩いというのだろうか。宮城は不思議に思う。しかしそれをわずらい、と呼ぶには、その感情は余りにも宮城の全てを活性化し続けている。それがプラス面にしろ、マイナス面にしろ。
 恋い焦がれて死ぬ、ということが、宮城には益々わからなくなる。恋を煩うということは、人を、転がって止まることの出来ない石に変質させるということなのだろうか。
 ただしそこにはまるで幸福感はないうえ、その感覚は決して武田と共有することの出来ないものだ。武田は自分を想って食事を摂れなくなるなどということはないだろう。
 恋をした相手に抱かれながら、自分の想いが孤独であるということへの寂しさがつきまとっている。
 武田に抱かれるのは気持ちがよかった。
 自分がこんなに快楽に弱いのだと宮城は初めて知った。武田を好きだったが、しかし自分が彼の部屋に行くのをやめられないのは、武田の身体が自分から引きずり出す、未知の強烈な快楽のせいではないかと思うこともあった。
 それは、男の身体しか与えてくれない類の快楽なのか、それとも武田しか与えてくれない快感なのか、彼以外の男を知らない宮城には判断がつかなかった。
 武田の腕が自分に巻き付き、唇をふさがれると、何もかもがどうでもよくなってしまう。仕事も、家族も、友人も捨てたくなってしまう。武田が彼の唇にキスするようになったのもやはり八月に入ってからのことだった。それまでは、彼は宮城を抱いたが、口づけはしなかったのだ。
 一番初めに武田に抱かれた夜、一度唇をふさがれたことはあった。しかしそれは会話が面倒になって、宮城の抗議を封じ込めるための口づけだった。事実武田はすぐにその唇をほどき、以来一ヶ月間、一度も宮城の唇に触れようとはしなかった。キスされないことに自分が傷つく日が来る、などというのは、今までの宮城の想像の範疇外だった。
 口づけを与えられないことへの不足感は、武田に抱かれるとき、寝室に二人きりで閉じこもっているにもかかわらず、宮城に疎外感を与えていた原因のひとつだった。二人きりの行為で武田に閉め出されたら、自分はどこへゆけばいいのだろう。そして何故、自分から武田に口づけできないのかとも思う。
 それはきっと、武田に拒まれることが怖いからなのだろう。武田のあの冷たく整った顔に嫌悪が浮かぶのを見たくなかった。その表情は容易に想像できた。自分が彼に執着しているということと、彼の執着の対象と同じ名前だということ、たったそれだけしか宮城が武田をつなぎ止めるものしかない。何と細い糸にすがって恋をしているのだろう。
 自覚はしていても、武田に実際に拒まれて、したたかに傷つけられるのが怖かった。
 八月に入ったばかりの晩、武田に初めて口づけられた時は、背中がとろけるかと思った。頬も額も、喉元までかっと熱くなり、抱かれた後のように全身が甘く痺れて力が抜けた。
 それはこの二ヶ月で宮城の味わった、唯一の純粋な幸福感だった。
(なのに俺は、「ミヤギ」さんから、この人を奪えたのかとまで思ったんだ……)
 たったキスひとつで。そう思うと胸が苦しくなる。
「ミヤギ」という名の女。武田を捨てた女。彼女が武田にとってどういった存在なのか、宮城は知らない。「ミヤギ」が武田の義理の母親であることしか知らなかった。
 武田が彼女とどういった関係だったのか、何故彼女と断絶するようなことになったのか、宮城はまるで知らなかった。
 彼の身の上に起こったことを全て知りたいというわけではなかったが、それが、例えば自分に少しでも心を開いたあかしとして話してくれるのであれば、聞きたかった。
 だが、彼が自分にくれるのは、苦しくなるような快感ばかりだった。






 武田の息づかいが押し殺したように早くなり始めた。
 宮城はある覚悟をする。
 これは最近の武田の癖だった。
 武田が彼に投げ与えるものは、正確に云えば快感だけではなかった。
 息をかすかに乱して、武田が彼の上に乗りあがってくる。宮城の身体を深く折って自分の膝と左手をシーツにつく。そして、その大きなてのひらを宮城の首に押し当てて、首筋の両脇を強くしめつけた。頸動脈が強く圧迫されて、たちまち視界がぼうっと霞んだ。
 武田は、右手で強く首を締め付けながら、背中を丸めてかがみこみ、宮城の耳元や頬にくちづけした。
「……っ」
 いつかこれがエスカレートして殺されるかも知れない。
 そう思いながら、宮城はまぶたがふくれあがってくるような感覚と耳鳴りに耐える。心臓が頭部に移動したように、頭全体を鼓動が包み込んだ。
 たちまちうまく呼吸できなくなって、必死に短い息を吐きながら、宮城は武田の腕に手をかけた。今日はひどく苦しかった。背中に冷や汗がにじみ、筋肉が引き絞られる。武田を受け入れた身体の内部もきつく収縮した。呼吸がつまる苦しさと共に、燃えるような快感が腰の奥に沸き起こる。それは咲ききってもう開かないように見える花の奥から、もう一重の、大きな花びらが顔を覗かせて開花するような感覚だ。
 彼の頬に触れていた唇から瞬間的に長いため息が漏れ、武田が引き抜かれた。その刺激に宮城は跳ねたが、声は出なかった。喉からてのひらが離れ、耳元を強く吸われる。太腿にあたたかいものがこぼれる。武田は達したようだった。
 宮城の全身から力が抜けた。快感と、首を絞められていたショックで、全身がズキズキと脈打っている。
 武田は首を絞めるとき、いつもゆっくりと時間をかけて力を入れる。彼も抵抗はしない。だから、手を離されてもせき込むことは滅多になかった。一度、指の跡が赤黒いあざになって残って以来、武田はごく慎重に彼の喉に手をかけるようになっていた。武田の抑制が、少しでも宮城を思い遣ってくれているのか、自己保身のためなのか、彼には判断できなかった。
 深く息を吐く。喉が痛んだ。幾ら慎重に、とはいえ、息が詰まるまで首を絞められるのだ。酸欠状態が続いたせいで、酷く疲れていた。
 快楽はまだくすぶっているが、自分はもう終わらなくてもいい、今日は眠りたい、と宮城は思った。
 目を閉じたまま身体を弛緩させると、太腿に軽い刺激が走った。彼はびくりと身体をすくませて目を開けた。武田の髪が脚の付け根に触れたのだ。
「武田さん……」
 宮城は掠れた声でつぶやいた。
「俺、今日はもう……眠りたい……」
 眠ってしまわないように必死に目を開けながら武田を見る。目の前で彼の欲望をもう一度煽ろうとしていた唇が、薄い微笑を浮かべた。
 そのまま何も云わずに、武田の唇が彼を飲み込んだ。痛いほど両脚首を握りしめられて身体を開かれる。それだけで宮城は疲れ切っているのに泣きたいほど感じた。疲れと快楽がせめぎあって涙腺を刺激する。
 抵抗したり、泣いたりすれば相手の欲望を煽ることを知っていながら、武田を感じさせたいのか、本当に逃げたいのか分からないまま、シーツを掴んでずりあがろうとする。先の部分に染み出してきた湿り気を舌先ですくい取られ、軽く噛まれて、背中が刺激に粟だった。
 このまま彼にまかせようと宮城は身体の力を抜いた。彼を追い上げようとして愛撫する時の武田は残酷だが優しい。宮城が上り詰める時、決まって名前を呼んでくれる。冷たく低い彼の声が少し甘くなる。
 その時だけ彼は、武田の想うひとと同じ名前であることを感謝することができるのだ。






「わたし少し怒ってる」
 三日前、宮城の勤める画廊まで訪ねてきた岸野有里は、そう云って、しかしそれほどは腹を立てていないようだった。
「でもそれよりね、おみやげ」
 そう云って、バッグの中から大型の青い封筒を取り出す。それは以前一緒に行こうと約束した絵画展のチケットだった。
「急に連絡くれなくなるから心配したわ」
 宮城は、その封筒を受け取れずに沈黙した。殆ど毎日武田の家に入り浸っている自分が、その絵画展に行く時間があるかどうかも、宮城には分からなかったのだ。
 彼の様子を見守っていた岸野が、気遣わしげに瞬きした。
 岸野の眼鏡の淡いピンクの細いフレームが、彼女の色白の小さな顔の印象を柔らげている。真っ直ぐな柔らかい髪が、生成の綿のブラウスの肩先で栗色に光っている。
 休憩しておいで、とオーナーに云われて、彼らは仕事場を離れ、近くの喫茶店に来ていた。表の並木道側から光の一杯に入る、小さな喫茶店だ。
「思った以上に深刻な状況みたいね」
 ソフトでやや低い声でそう云いながら、岸野は、彼を追いつめるまいとするように、青い封筒をそっと引いた。
 しばらく黙って、運ばれてきたウェッジウッドのカップを持ち上げて、ソーサーの裏側をのぞき込んでいる。そういうのんびりした仕草をするとき、彼女が忙しく何か考えていることが多いのを、それほど深いつきあいではなかったが、宮城は知っていた。
 彼が岸野に惹かれたのは、彼女の包容力のあるところ、小さな白い手、絵の知識、それにいつも笑顔を絶やさないところ。ハスキーでやわらかな声、全てにおいてリベラルな考え方。彼女は、男性と女性ということをのけても、今宮城のこころをとらえている男と、あまりにもかけ離れていた。
 ずっと暗闇にいたものが光に目を灼かれるように、岸野の建設的なエネルギーにあふれた顔や、ゆったりと落ち着いた声は、今の宮城には、不快に思えるほどまぶしく映った。
「すみません」
 宮城は頭を下げた。岸野は透明なマスカラを塗った睫を、またゆっくりと瞬かせた。
「……何かあったの?」
 しばらくして慎重な口調でそう云う。
 彼女は留守番電話に何度もメッセージをくれていた。だが、毎日毎日家に帰ってくるなり一刻も早く武田に会いたくて気もそぞろになっていた宮城は、友人たちと連絡を取るのが酷く煩わしく思えていた。
 今、宮城が岸野にわびたのは、連絡を取らなかったことだけでなく、彼女を熱心に誘ったのは自分なのに、完全にこころ変りしていたからだった。岸野とはまだつきあい始めてさえいなかった。あきらかに宮城が積極的にふるまい、慎重な岸野にとっての、いい友人の座をようやく勝ち取ったばかりだったのだ。
 他にこころが移ったことを、どう詫びればいいのか、詫びていいのかどうかさえはっきりしなかった。
(謝っていいのかどうか迷うなんて……)
 宮城は不思議に思う。数ヶ月前の彼にはない発想だった。自分が悪いと思えば謝るし、そうでなければ口をつぐむ。人と話すのはそれほど葛藤が必要なことではなかった。武田の逆鱗に触れないように身をすくめて過ごした二ヶ月間が、宮城に、彼自身も馴れないスタイルを植え付け始めたようだった。身体が突然ふるえる。無性に怖いと思った。
 しかし、虫の好いことに、彼はまだ岸野を失いたくなかった。向かい合っていると、やはり好きだと思った。だが、その好意からは完全に恋愛感情が失われていた。
「……ありました」
 彼は岸野の問いかけに、少し間を置いてうなずいた。
「何があったのか云いたくない?」
 岸野にそう尋ねられて、即答できずに、宮城は唇を結んだ。本当は岸野になら話したいと思った。岸野は宮城よりも年上で、姉のようなイメージのあるひとだった。だが、彼女に武田の話を聞いて貰いたいなどというのはとんでもない話だ。このまぶしく健康なひとに、自分が足を踏み入れたぬかるみについてどう説明すればいいのか分からないのだ。
 ふと、彼女が確か武田と同い年のはずだ、と思った途端、また武田の目や腕を思い出して、宮城の心臓は不謹慎に高鳴った。
「今は云えない?」
 少しの間を置いて、岸野は柔らかくそう聞き直した。
「何を云えばいいのか……云いたいのか、云いたくないのかも全然分からないんです」
 宮城は息を吐き出した。
「有里さんには聞いて欲しい気もします。でもそれも、一瞬一瞬で気持ちが変って……だから話せません」
「……そう」
 岸野はコーヒーをひとくち飲んだ。
「……俺、ずっと混乱してて……すみません」
 そうつぶやくと、岸野は、テーブルの上で握った宮城の手を人差し指の先で小さくノックした。
「よかったわ。……わたしが、ふかぁくなっちゃう前で、ね」
 何を云われているのかが分からずに、宮城は突き放されたようなインパクトを感じて岸野の顔を見守った。岸野は生真面目な顔で宮城を見つめていた。唇は笑ってはいなかったが、ものやわらかな表情をたたえていた。
「今なら、宮城君が助けて欲しい気持ちになった時、都合のいい役をやってあげられるよ」
 よほど宮城が驚いた顔を見せたのだろう。岸野は言葉を探すように首をかしげた。
「それは恋人として慰めてあげるっていうことじゃなくて、友達として聞いてあげられるよっていうこと」
 岸野は考えこむように口をつぐみ、付け加えた。
「宮城君が何も話したくなくても、わたしが何も期待してなくても、一緒にお茶が飲みたいっていうこと」
「有里さん」
「そんな情けない声出さないの。それからお仕事中にそんな顔色してちゃだめよ。戻る前に軽くご飯食べてね。わたしはお昼食べたけど、ケーキでお付き合いするから」
 岸野はそういいながらメニューを広げて宮城に押しやった。眼鏡のフレームと同じ、ソフトなメタルピンクのマニキュアを塗った指が、優しい丸みを帯びて彼の前に差し出される。
 殆ど自分と会話を交わさない武田、ベッドの中で宮城に傷をつけ、他の女のことを考えながら自分を抱く男とずっと一緒にいた宮城に、岸野の声はしみた。岸野の優しさもまた、武田の持つものとは違う、不安定な快感をもたらした。泣いてしまいそうになって宮城はうつむく。最近涙もろい。
 そのくせ彼の気持ちを占めているのは武田の獰猛に大柄な身体であり、整いすぎたような冷たい瞳や唇だった。
「有里さん、すみません」
 我慢できずにもう一度謝った。岸野は少し眉をひそめた。それから困ったように微笑み、考え深げに小さなためいきをついた。灰青色と金の配色の美しいカップで、ゆっくりとお茶を飲んだ。光沢をおさえた柔らかなピンクの口紅が、岸野のふっくらした唇に乗っている。白い手とマニキュアと、口紅と、カップの色がよく映えて、絵のようだった。
「……わたしのことで悩んでるわけじゃないんでしょう?」
 宮城は思わず肯定するように沈黙してしまう。
「嫉妬して宮城君をなくすより、一番か二番には親しい、女友達の美味しいポジションをわたしは取るつもり。……だから、何も気にしなくていいから、せめておなかいっぱいになって、ちょっとでも元気になって」
 事情を聞く前からあくまでソフトな岸野の言葉に、宮城は胸がつまった。やはり何も云えなかった。
 我慢できずに涙が一滴落ちた。すると今度は、羞恥と罪悪感で収拾のつかない混乱が起きる。しかし岸野が何も云わずに黙っていてくれたせいで、涙は思ったよりも早く乾いた。
 岸野はハンカチを差し出したりはしなかった。黙って時々お茶を飲み、窓の外の光を眺めた。その気遣いが宮城には嬉しかった。午後の光とクーラーの冷たさが混じり合った店の中で、岸野の健全さは、少しよそよそしい快感の波動で宮城を包み続けた。
 結局は何も云えないままで、自分はこのまま帰って、そしてきっと夜には武田と寝るのだろう。宮城はそう思った。
 そして、その感覚が思ったほど違和感がないことを、宮城は少し怖いと思った。
 不用意に夜の闇に歩み寄った自分を責めてみても、もう始まらなかった。








 宮城は不意に目を覚ました。夜明け近かった。自分の身体を濡れたタオルで拭われている感触に、思わず身体を硬くする。しかし、目を覚ましているのを悟られないよう、そろそろと目を閉じた。自分が半ば気を失っていたのだと云うことに気づいて、顔を赤らめる。
 夜も冷房を切らない武田の部屋は夏とは思えない温度に設定されて冷え冷えとしているが、熱い湯で絞ってきたらしいタオルは温かく、ひどく快かった。目を覚ましていることを知られた途端に、この快さが逃げてゆくことを宮城は悟っていた。
 武田の仕草の優しさと丁寧さが信じられない思いだった。タオルは先ず彼の髪の生え際を濡らした汗を拭い、ついで、先刻武田に締め付けられて痛む喉の周りを優しく拭った。
 鎖骨の間の窪みを、胸の上を、腕の関節を冷やした汗を、腹を、タオルはそっと拭ってゆく。宮城は眠ったふりをするまでもなく、とろとろと眠りに引き込まれそうになった。
(それとも夢を見てるのかな?……)
 彼は武田の器用な優しい指、いつもは彼の身体を丁寧に傷つけることに余念のない指にうっとりとまかせながらそう思った。しかし、湯で絞ったタオル地のきめの粗さが、小さな傷にあたるたびにしみる感触はリアルで、夢だとは思えなかった。
 宮城の身体にはいま、小さな傷が一杯だった。夏の服に隠れるような場所に限ってだが、武田の歯の噛み跡や、爪を強く引いて傷つけられた跡や、ナイフでつけたごく小さな傷が、胸や腰、太腿にかけて無数に散らばっているのだった。それらは全てベッドの中で武田が高まると、その証のように宮城の肌に刻まれるものだ。
 どの傷も浅く、すぐさま治るような小さなものだったが、治るたびに絶えず武田は新しい傷を作る。ほんの小さな痛みであれば、宮城が逆に感じることに気づいて、それを面白いと思っているようだった。
 夏場だが、とても肌をさらけ出すことが出来ない状態になっていた。だが、今年の宮城は一度も泳ぎに行こうなどとは思わなかったし、武田の前で服を脱ぐのには何のさしつかえもないのだから、気にしてはいなかった。
 ただ、自分が小さな痛みに感じて濡れ、はりつめることを、武田が誤解してはいないか、そんなことが気になった。
 痛みそのものに感じているわけではないのだ。ただ、宮城を傷つけるときの彼の見せる微かな興奮は、まるで自分が強く執着されているような甘美な錯覚を覚えさせてくれるからだ。
 首を絞められることもそれと同じだった。彼の喉元を絞めつけながら我を忘れたように眉を寄せ、息を詰めて乱れる武田。ぼうっと霞んだ目の中でその姿を見上げると、宮城の中で今は持ちようのない、男としての感覚がよぎる。武田を感じさせているのだという実感が、いつも宮城の快感を後押ししてくれるのだ。
 武田は彼の髪を梳き上げ、指でゆっくりと前髪の流れを整えた。愛撫するように繰り返しなでつける。
 武田がどんな顔をして、こんなことをしているのか、一目見たい衝動に抵抗しきれなくなった宮城は、睫をごく薄く開いた。
 夜明けの青い光の中の武田の顔を眺めた瞬間、彼は云いようのない奇妙な痛みに胸を刺された。
 武田は疲れたようなおだやかな顔をしていた。彼の身体を拭いながら、目はそこを見ていないようだった。何かを思い出しているような、どこかこころの焦点の合わない目をしていた。
 やはり彼は、自分の身体に触れているときも、自分のことを考えているわけではないのだ。
 宮城はそう思った。半分眠りかけて気持ちがぼうっと霞んでいるせいで、失望はゆっくりと優しくこみ上げてきた。その失望は、武田との関係においては、既に宮城のなじみ深い友となりつつあった。
 武田は一度席を立ち、タオルを絞り直してもう一度宮城の身体を拭う作業に入った。彼の身体を汚した全ての汗や体液をすっかり拭い去り、次に乾いたタオルで拭う。その手つきには、病人の看護のような繊細ささえあった。宮城は、ぼんやりとした失望と甘さの中で、子供のように武田のするままに任せている。
 彼の身体に上掛けを引き上げた武田が、自分の片方の手にだけ薄く青いオイルを伸ばすのを見て、宮城は不意に、最初に会った夜、武田が、
(俺の手は片方だけ乾くんだ)
 と、そう云っていたのを思い出した。
(母親の死体に触ったんだ)
 武田はそう云いながら微笑した。
「ミヤギ」が義理の母なら、死んだのは武田の実の母なのだろう。
 武田は最初の夜以降、そのオイルを宮城との行為に使うことはなかった。行為そのもので宮城を傷つける気はもうないようで、彼が楽に武田を受け入れられるような、乾きにくく柔軟なジェルのようなものを用意していた。
 だが、抱かれる快感を初めて覚えたのは、その薄青いオイルで濡らした指が自分の中に入ってきた時だった。それをまざまざと思い出して、彼は薄闇の中でかすかに紅潮した。
 武田は丁寧にオイルを自分のてのひらに伸ばすと、短くため息をついた。そして、宮城の隣に身体を滑り込ませる。
 宮城は、武田の大きな体が自分と触れ合う感触、シーツの上で彼の足首と自分の足がぶつかる、骨張った感触を味わった。武田の思いがけない姿を見たことで、少し気分が高揚していた。武田が宮城自身をかえりみないことへの失望はあったが、しかしそれは不思議に、諦めを伴ったものではなかった。
 気持ちを落ち着けてもう一度眠ろうとしたとき、不意に背中から、硬い腕が巻き付いてきた。宮城の身体をそっくりすくい込むように抱きしめられて、宮城は息を殺して目をみはった。
 突然、初めて口づけられた時と同じ、甘い雲がわき上がった。
 セックスの意味のない抱擁を武田が彼に与えたのは初めてのことだった。それも、宮城が目を醒ましていると知られたら、決して与えてくれなかったはずだ。
 胸の鼓動が激しくなる。気づかれたら、この短い報酬は取り上げられてしまう。宮城は武田の胸や腕の感触を味わうことにつとめて、あまり身体を強ばらせないよう、身を任せた。
 武田は彼をゆっくりと抱きしめ、うなじに軽くかかった髪を分けるように唇で探り、ついで、髪の幾箇所かに唇を押し当てた。
 それは間違いなく愛撫と呼んでいいようなものだった。
 なぜこんな風になっていても、彼は自分のものではないのだろう。宮城は鋭い痛みと共に思った。唇をかみしめる。
 武田が自分の身体を気に入っているのは知っていた。たびたびそんなニュアンスを含んだ言葉を聞くからだ。
 身体を気に入ってこんな風に連日抱くならこの身体に、彼が執着する源になるなら名前に宮城は感謝する。
 しかし、こんな風に優しく抱きしめられて、髪に顔を埋められると、彼の執着や優しさを自分が欲しがっていることに否が応でも気づかされてしまう。
 これで幸福になれることが怖かった。武田とこうして会っているうちに、どんどん元の自分が壊れていきそうだった。






 彼はふと、武田の指に首を絞められて、目の前がうす赤くかすむ感覚と、いつになく優しい腕に抱きしめられるその感覚とは、双方がごく似通っていることに気づいた。
 むしろ首を絞められている時の方が、こころが近く思えるかもしれなかった。
 彼の与えてくれるものなら何でもいい。そういうことなのだろうか。
 宮城は陶酔に熱を帯びた息を隠すために、ことさらにゆっくり、静かに呼吸する。自分が次第に貪欲になってゆくのを意識しながら、武田に気づかれないように気持ちを殺す。
 それもまた快感と不快感のはざまで、彼の酩酊を深めるのだ。



了。

09: