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01_火と毒草

02 21 *2013 | Category 二次::アンジェ02・オスセイ


続き









【ゲルセミウム・エレガンス】……マティン科の毒草である。
幻の毒草と呼ばれ、可憐な花房をつけるこの草は、生物の脊椎に稲妻のように作用し、アルカロイドの刃が中枢神経を麻痺させる。今、この星の上に花をつける植物の中で最も強い毒性を持つ。ある地域では薬草としても用いられたが、毒性の劇しさに、今はこれを口にする人はいなくなった。
 東アジアの森にひっそりと咲くこの花は、今や植物学者たちの黄金の夢だ……。

セイランはぼんやりと沙のかかった気分で、向かいに座った紅い髪の男の顔を眺めている。
この生命力に溢れた男は、さまざまな港や繁華な街中で見られるような、ただ荒々しく粗野な武人崩れではなかった。
異常なほど色好みだが品が良かった。すらりとした長身で姿もいい。周囲のことに気がつく男だ。
 一度食卓を共にすれば判る。ささやかなテーブルマナー、食卓の周りの空間などに、本人の好みや暮らしようを見る。彼の家を調和する落ち着いた暗色の家具や、その中に閃くように据えられた赤。オスカーは自分の身辺を整えることに関心がある。
ただ、それはこの男の暮らしてきた環境を物語るだけのことであって、必ずしも彼の品性について語るものではない。セイランは皮肉な気分で思った。
金曜の夕食に招かれて、彼はオスカーと向かい合っている。夕食を供する食器は、厚みのある上質の白磁だ。一部にあしらわれた金の飾りに、ある男を連想して、セイランは眉をひそめた。彼は、オスカーの心酔する、あの高雅な金髪の男が嫌いだった。どれだけオスカーにかばわれても、それは却って彼のような気質の人間には逆効果になる。
自分が料理を口に運びながら上の空でいることを、オスカーが気づかないはずはないだろうと彼は思った。セイランが不意に黙り込んで自分一人の考えに耽ってしまうことに、オスカーも近頃は慣れ始めているようだ。それを変えようとは思っていなかった。
彼は今まで、徹底して自分を変えずにいられる相手としか一緒にいたくないと思い暮らしてきた。
どんなことをしてでも縛られずにいられる人生、自分の選んだ道、その或る部分が人と重なるならばよし、交わらないならば互いに通り過ぎるまでのことだ。そのやり方を守り通すには、どうしても棘のある言葉で自分を守る方向に流れてしまう。自然、人を遠ざけるような暮らしに傾いてきた。だが、彼はこうしてこの男の家で向かい合っている。週に何度かは夕食に訪れて帰る。時には昼の時間を一緒に過ごす。セイランが黙り込んでも不機嫌でも意に介さず、オスカーは、自分が一緒にいたい時にだけセイランの時間の中に訪れては去る。
「セイラン」
オスカーが笑い混じりの声で呼びかけた。顔を上げると、何か面白いものを見つけたような光を含んだ目が彼を見つめている。
「それしか食わないのか」
「まだ食事中ですが」
「小鳥か、せいぜい行って子供か、って量だな。聖地に来て痩せるなんてもっての外だぜ」
セイランは不機嫌に眉をひそめた。何度も食事を共にしているのだ。彼の小食はオスカーも知っているはずだった。からかいの種のつもりか、戯れるようにそんなことを云ってくるオスカーに苛立った。大味に調理されたものを食べるのは我慢がならないし、ひとり暮しが長く、一旦何かを造り始めると食事もせずに過ごすことが多かった。最低限、考えて動けるだけの熱量さえ摂れればいい。そんな生活を続けるうちに、自然と小食の習慣がついた。
「肉食の猛禽に比べれば、それは多少、小食かも知れませんけどね。あいにく、自分の体を維持する量は自分でわかってますよ、ご心配なく」
「それはいいが、どの皿も一口ずつはせめて食ってくれよ。美食家の青い鳥の口に合う木の実を供しようと、うちの女たちは戦々恐々だ。セイランは容赦なく口をつけないからな」
オスカーは、薄青い香草を挿んで灼き上げた肉を差して、セイランの知る女の名前を出した。その皿は、その女の調理したものだと云った。
「朝早くに奥の森まで香草を摘みに入ったと云っていたな。罪作りな奴だ」
「貴方にだけは云われたくありませんね」
そういいながらも、セイランはその皿に手を伸ばした。その女は、オスカーが側に置く女の中では変わり種だ。まさしく花のような美貌を誇る女たちの中にたちまじって、おだやかな黒い目をした知的な女だ。やや年かさで、おそらく女たちのまとめ役をつとめているのだろう。セイランは、彼女には唯一かすかな好意を抱いている。
一口切って口に運んだ肉は、脂の薄い鳥の肉を調理したもので、あっさりと柔らかかった。数種類の香料の香りが微妙に混じって驚くほど旨かった。肉の味の後に、青い香草のかすかな苦みが、舌の上に快い後味を残した。セイランはうなずいて、料理を褒めた。オスカーがまだ笑みを消さない理由が判らずに、どことなく苛立ちが残るのを、上質な肉と一緒に飲み下す。
「セイランは、聖地は面白いところだと云ってたな」
オスカーは食べるのをやめ、腕を組んで薄い笑いを浮かべてセイランを見つめている。
「ええ、まあね」
セイランはオスカーの表情をあやしみ始めていた。はからずも先刻彼はオスカーを猛禽に例えたが、この獲物を見いだしたような目は何だ。しかも彼の中には満たさなければならないような飢えなど存在しない。
「俺もそれには同感だ。聖地にしか咲かない花や樹、聖地にしかいない鳥も多い。まあそれは普通、神々しいものとして扱われているようだが、聖地にしかない毒草もあるというのは皮肉なもんだな」
「……」
「グラツィスという毒草はな、物識りの地の守護聖によると、香は爽快にして、舌に触れる味は甘苦く、飲み込めば全身に発汗したのち、息をつまらせて死に至る、とか」
オスカーは聞き覚えてきた詩をそらんじるように毒草の効能を唱えて見せた。
「ただ、調理の仕方次第では薬草にもなる。凍えて散じた息を取り戻し、喉を開き、冷えた身体を温める、と云っていたな。その代わり感覚に多少の異常を生じる。手足の力が抜け落ちるのに、音が大きく聞こえたり、手を触れると痛いほど過敏になる、
『まあ、それはしかたないことでしょう』
「……ルヴァは勉強熱心だ。話す機会は少ないが、面白い話を聞ける」
また食事を続けようとするようにオスカーはナイフを取り、わざと手を滑らせたように、磨き上げたテーブルの上に、それを落とした。
薄く切りあげた金属片が落ちた音にセイランはすくみ上がった。鼓膜を裂くような刺激音が、神経の中に切り込んでくる。喉元が小さな炎を点したように熱くなった。
それが何らかの毒に似たものの為か、怒りのためか、彼には区別がつかなかった。
「オスカー様……」
はっきりとした声を出したつもりが、喉の奥でつまったような掠れたささやきになった。
かすかに指先に痺れが生じた。自分の指先から、たった今目の前の男が故意にして見せたのと同じようにして、ナイフが落ちるのをセイランは茫然として眺めた。

喉の奥でつまるようにして、うまく声が出ないのは毒草の中の成分のためだろうか。
女王に呼ばれた時や、女王候補の少女と会う時、彼がしばしば身につける、ヒアシンスブルーの服を、オスカーは手のひらでそっと押し下げた。その仕草は憎らしいほど物慣れて器用だ。身動きも出来ずにオスカーに戒められる彼は、指が掠って喉を鳴らした。
「悪趣味もここに極まれる、ですね。正気じゃない」
オスカーは唇をゆがませて笑った。
「……そんな震え声を出すな。抑えがきかなくなっちまいそうだ」
「……」
絶句するセイランの腿の間にてのひらを差し入れて押し広げた。彼を覆っていた身体をずらして愛撫するように視線を落とした。
 熱いてのひらに探られて、セイランはきつく閉じた睫毛を開いた。羞恥を煽るようにオスカーは、セイランの耳元に唇をつけた。愛撫するように低く、囁きを耳に送り込んだ。
「髪の色も変わってるとは思ってたがな」
彼が暗に何を言おうとしているのかを知って、不意打ちを食らったセイランはうなじまで紅潮した。セイランの下腹には、頬に乱れかかる青銀の筋に似た、浅い色の影が薄く落ちている。
信じられないことだが彼はその言葉にさえ感じたのだ。
 指の動きに駆けあがって痙攣する。筋肉に伝わる緊張や瞬間的な震えが、目元を染めた薄い血の炎が、顕著にセイランの欲望を教えてしまう。

セイランは力の抜け落ちた自分の両足の間に触れた唇や歯に貫くような快感を送り込まれて、握り込まれた足首の筋を引き攣らせた。指先が綿のようにだるく甘く痺れ、ただ身体の横に軽く投げ出しただけで抵抗することも出来なかった。
怒りを感じていたと思ったが、それも白く翳み始めた。
オスカーの舌がひどく感じるところに触れて、セイランは震える息を吐いた。不意にその息の中に、耳を覆いたくなるような甘い呷きが混じって、体が熱くなった。
「声が出るようになったな」
オスカーがセイランの身体の上に乗り上がるようにしてささやいた。蒼い瞳が酷薄に透き通って光っている。この目の蒼は、炎の芯の薄蒼いゆらめきを思わせる。炎の赤い舌の中に深く静かに籠められた、最も純度の高い熱の青だ。
セイランは力の籠もらない指を上げ、その蒼い目をえぐってやりたい思いでオスカーの目元に手を伸ばした。せめて意趣返しに目の横にでも裂き傷を作ってやろうと思ったが、そこまでの力はなく、不本意に、どこか愛撫するような仕草に終わった。
寝台に敷いた白い布に、かがんだオスカーの影が灰がかった黒紫に落ちかかっている。その影に溶けるようにセイランの髪は散っていた。
灼いた銀のように鈍く輝く髪は、いたたまれずに顔を背けた拍子に、頼りない光源を受けて、つややかな玉虫色の光沢を帯びた。髪の流れの上で、ある部分は菫の花片に似た、冴えた青紫に光った。
聖地に群れる蝶の中に、これに似た紫色の光沢のある翅を持つものがいる。若い守護聖のうちの一人が、死んだ蝶の羽を無神経にてのひらに乗せて差し出したのだ。蝶とはいえ、死体を鼻先に差し出されてぞっとした。彼にはおよそ美しくは見えなかったのだ。
(「ほら、セイランさんの髪の色に似てますよね」)
向こうは気にもせずに、空のようにあたたかな青い目で無邪気に笑って見せた。確かにセイランの美しさは男性的ではないのだろう。人には花鳥風月を彷彿とさせるようで、そんなものに例えられることが多かった。
(「黙って鑑賞したい典雅な対象じゃないがな」)
これはいつだったかのオスカーの台詞だ。
セイランの唇から漏れ出す、とんでもない毒と棘を含んだ言葉を気にいっている、とオスカーは云う。
(「鳥だの蝶だのと違って果敢なくないところも都合がいい」)
(「何の都合です」)
(「いろいろさ」)
含み笑いをしたオスカーの顔が、セイランの中に歯がみする思いと一緒によみがえってくる。こんなことを本気で考えていたなんて。いくら線が細かろうが、覚えのない花だの蝶だのに例えられようとも、彼の体はれっきとした男の身体だ。いつくしまれなくとも、羽根をむしられても冷たくなるようなことはない。だからといって、オスカーに背中をさらけ出したおぼえはない。
今まで、彼から冗談のような誘いを何度か受けたことはあった。
しかしセイランには、オスカーが自分を女と同じように欲しいというのは、とても信じられなかったのだ。
それだけオスカーは、身辺に柔らかに美しく成熟した女を数多く置き、どの華も咲く端からためらわずに折り取った。どうやら、折られて枯れるような花は側に置かないようだった。どの女も奔放で淫らかな、しかし不思議に理性的な女ばかりだった。オスカーの寵を競って争うこともなく、誘われれば風任せになびき、構われなければそれぞれがさんざめいて笑い暮らす、奇妙な女たちだった。
この男が何故自分に興味を抱いたのか理解出来ない。セイランの外観が美しいというなら、守護聖たちの中にも美しい者は多い。
それとも、この男なりに、守護聖同士では何か葛藤でもあるのか。近しすぎること、親しみ過ぎたこと、これから共にいる時間の長さに、そんな気になれないのか。
(さしづめ一年もすれば目の前から消える、気楽な相手というわけか?)
なら、こんな面倒なことをしなくとも、街に出て新しい女でも探せばいいものを。それとも、女王試験中は慎もうとでもいうのだろうか。
彼を開く男は、およそ、慎みなどという言葉など噛砕するようなふてぶてしい面構えで、こともなげに男の形をした彼の体に愛撫を加えている。
何かを考えているようで考えられない状態の中で、漠然とオスカーへの反感を抱くが、しかしそれも段々に薄赤く曇ってくる。一度はっきりし始めた胸が濁ってきたのは、これは毒草のせいではなく快楽のためだった。
膝を割って、その間にオスカーの身体を迎え入れる姿勢のまま、セイランは湿った指の動きに翻弄されている。身体が意思と切り離されてしまったように反応して、いたたまれない。濡れたあえぎが漏れた。
体の中のたった一本の指に神経を擦り上げられて、どうしようもない汗と、腰から膝の裏まで熱く痺れるような快感とに濡れる。力の抜けた身体は刺激を送り込んでくる指を食い締めることはできなかったが、代わりに、作為を加えられるたびに、柔らかな内側が小さな痙攣で熱い指を包む。横たわって一方的に愛撫を受けるばかりだからか、自分の中に起こるほんのささやかな反応もいちいち拾い上げて、セイランは羞恥に喉を鳴らした。
汗に冷えた膝の裏を熱いてのひらが押しあげて、指が抜き去られた。指が出てゆく時、鳥肌の立つような快感に襲われて、セイランはうなじに汗をにじませた。顔が熱くなる。痛みと圧迫感を伴ってオスカーの腰が重なってきた時も、じれったい快楽は去らなかった。
狼狽するほどセイランの身体はオスカーを抵抗なく受け入れ、胃の腑を押しあげてくるような不快感を伴ったにもかかわらず、自分の身体が充分に満ちていたことが判る。とても本当だとは思えない存在感を受け入れて息をつまらせながら、早々とオスカーの動きを円滑に受け入れていた。
「あっ、あ、……っ」
背骨の上に手の平が這い込んだかと思うと、突然、自分自身の汗で湿った敷き布から背中が離れて、セイランは声を上げた。ささやくようにしか上げられなかった声が、叫びに変わるほどには回復していることに気づいたが、そんなことに構ってはいられなかった。
シーツに背をつけたオスカーの上に、膝を開いたセイランが乗る姿勢になるよう、体を真っ直ぐに抱き起こされたのだ。自分の重みがそのまま彼を迎え入れる深さになった。セイランは唇を開いてあえいだ。力の入らないセイランの両腕をとらえて彼を支え、オスカーは下からそっと腰を揺らした。
「ん……ぅ……」
痛みに似た快感につき上げられてセイランは首を振って声をつまらせた。
「ふ、ぅ……っ」
最初苦痛を伴っていた部分があっという間に微温み、一度つき上げられるごとに、セイランは声を漏らした。オスカーの両脇に折り曲げた膝で体を支えようとするが、どうしても背中に力が入らなかった。力を入れようとすると快楽に巻かれて、胸や腰で欲望の印は恥ずかしいほどこわばっているのに、関節は熔けてしまいそうだ。
数分も持ちこたえられずに、セイランはオスカーの胸の上に斜めに上身を伏せるように崩れてしまった。
腕をとらえられて、深く突き上げられる姿勢に、身体の奥の奥まで侵されているという実感が込み上げてくる。オスカーが無言なのも奇妙に甘い不安をかきたてた。
腕を掴んでいたてのひらの力がほどかれ、セイランはオスカーの肩に額を伏せて、力の入らない指でしがみついた。片手が後ろ髪をかき上げ、うなじを愛撫し始める。そこに思わぬ快楽がひそんでいるのに驚いて、セイランは身体をこわばらせた。そうして、もう一方のてのひらがようやく、意地が悪く思えるほどゆっくりとセイランに這った。
「オスカー様……っ」
彼は耐え切れずに哀願した。
「どうした?」
「……っ」
最後まで云わせる気なのか。怒りと羞恥になおさら煽られて、涙がにじみそうになる。
「……焦らさないで……」
息を幾度も途切らせながらようやく囁くと、愛撫は突然濃厚になった。
「……あ、っ……ああ……」
セイランは熱い息を吐いた。喉から吐息に混じって声が漏れる。手足が、オスカーを受け入れた部分が、自分ではどうすることもできず、無意識に締めつけて揺れ動く。
体のそこここで繰り返し燃え上がる、淫蕩な快楽に任せる他はなかった。

「本当だと思ったのか?」
オスカーが、愛撫の続きのように、セイランの髪を梳き上げた。
「あの料理の皿をしつらえたのはヘラだぜ。俺が命じたとしても、お前の皿に毒草を入れるはずないだろう」
「貴方の云ってることが本当でも嘘でも、もうどうでもいいって気分ですよ」
血の気の引いた頬にオスカーが唇を押しつける。セイランは抗わず、オスカーのするままに任せていた。オスカーの手と自分の髪に、湯の香りに混じって同じ香料の香りがするのが奇妙な感慨を呼び起こした。
「冷えてるな」
「おかげさまで」
くたくたですよ、と云ってセイランは服を調えた。どんなに疲れていても今日は帰るつもりだった。今晩この男の顔を見ていたら、自分でも何を口走るか判らなかった。怒りと、陶酔の余韻と、消えずにくすぶる欲望とで収拾がつかない気分だ。
不意に、首筋に冷たいものが触れて、セイランは目を上げた。オスカーが彼の首にかけたものを、セイラン自身の目にうつるようにすくい上げて見せた。
細い銀の鎖だった。青紫の石を純銀で囲んだ円い飾りが下がっている。細工は簡素だが石の色が深く、美しい。
「菫青石だ」
オスカーは笑った。
「よく似合うぜ、セイラン」
「どうしたんです? これ」
セイランは戸惑ってオスカーを見上げた。こんな贈り物をされるとは思わなかった。いったいこの男は、自分が男だということを本当にわかっているのだろうか。
「街の賭場で、そいつの連れの女性が首にかけてるのを見てな。セイランがかけてるのを見たくなって、ひと勝負して巻き上げたんだ」
オスカーはにやっとした。その折りの首尾でも思い出しているのだろう。
「相手の女性には気の毒だったが、お前がそうしてかけてる姿を見ると、罪悪感も吹き飛ぶな」
「……やれやれ」
セイランは呆れてため息をついた。
「とんだ守護聖様だ」
オスカーは手を伸ばして、セイランの顎を持ち上げて顔を覗き込んだ。
「お前は、寝た相手からでもなかったら、男から装飾品を受け取るようなことはしないだろう」
「莫迦を云わないでください」
彼は手を振り解いた。
「都合のいいように考えるのは、まああなたの勝手ですけどね」
「聖地一番の毒草は、やたらに花が綺麗だからな。まあ、摘んでも苦いのは元より承知だ」
「……まったく」
上着を取って立ち上がる。
「ま、それでは今晩の花代に、せいぜい有り難く拝領いたしましょうか。僕は帰ります」
「部屋まで送ろう」
オスカーが云うのを、邪険に手で制した。
「結構。ナイト役は女王候補のお二人につとめるんですね。あいにく僕はもう、これ以上一分も貴方の顔を見ていたくない」
オスカーは肩をすくめた。目を細めて笑う。
「怒ってるのか?」
「貴方の顔を見飽きたんです」
それだけです。セイランは顔を背けて、別れの挨拶もなくオスカーの部屋の扉を開けた。人払いされているのか、女たちの姿を今日は見かけない。オスカーは有り難いことに追ってこなかった。
セイランはわずかにふらつく身体でゆっくりと歩いて屋敷を出た。そっと手を上げて喉もとの銀鎖を押さえる。それにはもうセイランの体温がうつってかすかに暖かい。頬が熱かった。オスカーが自分に何をしたのであれ、およそ褒められたことではないのは確かだ。しかし何か薬のようなもので戒めて強引に過ぎ去っていったのに、腕も指も、唇も、とろかすように優しくあたたかだった。
鎖にうつった体温に他の男の体温を想像するのは、まるですでに情が移ったことを物語るようで、腹立たしく不快だ。しかしその中にも甘さがひそむ。
胸の中に劇しい勢いで伸びてきた、この甘い毒気のある感情を、むしり取って刈ってしまえたらいいのに。
今晩はもう何も考えたくなかった。
彼は目を伏せ、歩を早めて、紫を帯びた聖地の夜に混じり込んだ。

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