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アイズミーティング(2001年4月)

01 20 *2009 | Category 二次::DEAR BOYS・石井×三浦

石蘭。甘々イチャイチャ痴話喧嘩。

続き




 眠い目を擦りながら歩いていると、何メートルか前を、見覚えのある後ろ姿が歩いてゆく。
 詰め襟から細いうなじが伸び、金髪に近いくらい色の薄い髪がきらきらしていた。その茶色の髪の中から、相変わらずMDウォークマンのイヤホンの細いコードが伸びて、胸元に消えている。
 いつも、彼の側に寄るとイヤホンから案外なボリュームのメロディが漏れ聞えてくる。しかも、ああしている時は考え事をしていることが多くて、実のところぼうっと意識が飛んだ状態になっていることもあった。車に撥ねられたり、強面の連中にぶちあたって因縁をつけられるようなことにならないのが不思議なくらいだ。
(だいたい耳とかに悪いだろ、あーいう音ばっか聞いてるとさ……)
 石井の遠視すれすれの視力は、まだ結構距離のある相手の、軽くうつむいた小さな頭や、一足歩くごとに髪が揺れる様子を残らず見て取ってしまう。
(ってえか、じろじろ見過ぎか、オレ)
 彼は自分自身の視線に閉口して肩をすくめた。
(オレがするとマジでセクハラだろ……)
 そう考えるとため息が漏れる。
「三浦!」
 大声で呼ぶと、彼は振返って足を止めた。
「……はよ」
 この朝の挨拶は三浦の癖で、本人はおはよう、と云っているつもりらしいのだが、最初のお、から力が抜けていてこういう発音になる。コードをたぐってリモコンを探り、イヤホンをはずす。
「……何?」
 髪とほぼ同じ色のまつげがあがって彼を見上げる。石井と彼が目を合わせようと思うと、かなり視線を上げなければならない。身長差が十七センチあるからだ。男同士としてはちょっと莫迦げた数字だが、石井は普通に考えると大柄だし、三浦はバスケ選手にしては小柄だから仕方がない。だから、三浦は余り石井と目を合わせなかった。面倒なのだろう。石井は自然、三浦が軽く伏せた睫毛ばかり眺めることになった。しかも、薄い茶色で、マッチが三本位乗りそうな長い睫毛だ。
「何って何だよ。別に、会ったから声かけただけじゃねーかよ」
「何か云いたそうだったから……」
 違うならいいけど、と云って三浦はふっと気を逸らしてしまいそうになる。
「あ、まぁそうなんだけどさ」
 云いかけて、石井はふと、三浦の肩に一筋、抜けた髪が光っているのに気づいた。
「ちょい見せて」
 髪をつまみ上げる。それは制服の布にもつれるようにして石井の指についてくる。長さは十センチほど。細くて柔らかい。間違いなく三浦のものだ。
「何見てるんだよ、早く捨ててよ」
 三浦があきれたように手を伸ばす。
「待てって」
 石井は自分の髪を一本抜いて、指の中につまんだ三浦の髪と比べて見た。笑い出しそうになる。どう見ても石井の髪は、太さが三倍はある。色もまるで違った。石井の太い髪の側にあると、透明なテグスのように見えてしまう。同じ髪なのにこんなに違うものなのか。
「お前の髪ってさ、女みてーな髪質だよな。親父は当たり前としてさ、拓とか哀川とかのアタマに触った時と全然違うじゃん、つるつるしててやーらけーからさ」
「……」
 三浦がむっとしたように沈黙するのを見てはっとする。この前から、女みたい、というのは彼らの間では微妙な言葉になっていた。以前は平気でずけずけ口にしていた単語だが、今はタイミングが悪いのだ。てのひらに、三浦の髪を絡めてかき乱した感触が蘇ってきて、石井は思わず生唾を飲み込んだ。
「オレ、何か云いたそうだった?……」
 思わず声が弱腰になる。
「ええ、まあね」
 誰に対しても奇妙に丁寧な、三浦の癖のある話し方。肩をすくめて会話を切り上げたがっていることに気づいて石井は慌てた。
「な……今日、さ」
 考えていた以上に、実は本音だったその一言が滑り出した。
「お前んち行っていい?」
「……いきなり朝からそれ?」
 三浦は、はぁ、と大きなため息をついた。気がつくと、今朝会ってからまだ三浦が笑うのを見ていない。胸がずきんと鳴った。石井は、自分のことを実際単純かもしれないと思う。女みたい、と思うのは、今まではそのまま気持ち悪い、という感覚につながっていた。
 それが一旦自覚して行動した途端にこれだ。自分と三浦の違いを見つけだす。髪が細い。色が白い。手足が細い。見とれるほど整った顔、綺麗な唇。左目の下の小さな泣きぼくろ。あの位置にあると泣きぼくろと呼ぶのだ、というのは、実は石井と同じくらい面食いで助平な父が教えてくれた。ありゃぁ、女の顔にあると色っぽいほくろの代表なんだけどよ。そんな風に云った。
(女の顔になくたって色っぽいよ、凶悪に。オレにそんなこと教えてんじゃねーよ、親父)
 三浦と自分の違いを見つけては安心する。
 そうすればまるで自分の衝動が正しいもののような気がして。
 三浦は風に吹きなびく髪を押さえた。石井の髪ならあんな風ではびくともしない。細くて柔らかい髪だから、少し風に吹かれただけで乱れてしまうのだ。
 相変わらずむっとしたような顔で、三浦は視線を落とした。
「……いいよ」
 そして、表情の割には、いつものように石井に都合のいい言葉を吐き出した。

 いけすかないセカンドガード。中学時代はライバル校の選手で、そのときも勿論いけすかない奴だった。すらっとした小柄な身体と、ポイントガードの藤原に並ぶゲームメイクのセンスの割にはアグレッシブな気質で、試合の後は必ずひややかな声でつっかかってきた。
 同じ高校に入って、当然のように同じバスケ部に入って、それからはいけすかないチームメイトになった。バスケのために無理に入った瑞穂は進学校で、正直ついていくのはきつかった。三浦は勉強もろくにしているのかしていないのか分からない顔で、殆ど学年トップだった。
 身長一七三センチは正直大きいとは云えなかったが、しなやかなばねのあるサウスポーで、柔らかい弾道を描くスリーポイントが得意だった。石井がダンクに執着しているのを見ると、薄笑いを浮かべた。
 気にいらねえやつ。
 その印象ががらっと変わったのは、二年の地区予選の最中だった。お互いの欠点をなじり合うような形になって、石井が部を飛び出した時だ。ふてくされて部活にも出ずにぶらついている時、スタミナ不足を補うために、三浦が陸上部の連中に交じって練習の後走り込んでいる姿を見た。
 見てしまった、という気分だった。
 幾ら炎天下を一緒に走っても日焼けしない三浦の肌は、疲労とオーバーヒートで真っ赤に上気していた。額や顎から汗の滴をしたたらせて走っていた。自分が練習中にあれほど汗を流したことがあっただろうか、と思うほどだった。
 走りながら、堅く奥歯を食いしばっているのが分かった。少し醒めたようなところのある三浦が、形相を変えて走っている。痛い、硬いものが胸に刺さった。どうしようもない衝動がこみあげてきて泣きそうになった。そのまま体育館に逃げ込んだ。逃げ込んだ、というのは正しい云い方だと思う。石井は、ショックを和らげるためにボールを手に取ったのだ。
 それは結果としていい方向に彼の怠け心や自惚れをねじまげた。だから三浦から逃げ出して体育館へ逃げ込んだのは正しい選択だったのだ。
(石井くん……)
 彼が動揺に半分泣きそうになりながら自主練習しているのを、三浦は目聡く見つけて、笑ってくれた。三浦のあんな笑顔が自分に向けられるのを見たのは初めてだった。居心地の悪いほど美しい、花の咲いたような微笑だった。
 また胸に何か小さな痛みが走った。胸に、じれったい棘が刺さっているようだった。
 だが、石井は自分のバスケと、自分の頭の未熟さにいい加減嫌気がさしていたし、一つ何か方向性が見つかったことで、それに全力投球すれば、胸に刺さった痛みは消えるのだと信じてしまった。それは、しつこいようだが、バスケ選手としての石井の生命にとってはよかったのだと思う。
 三浦にとっても、石井に自己分析能力がないのは幸いだったのではないだろうか。
 瑞穂バスケ部が荒れていたその時期を、少なくとも、精神力をバスケのことだけに使えたからだ。石井の自覚が後半年早ければ、瑞穂バスケ部はお終いだったかもしれない。

 自覚は春休みにやってきて、それから一ヶ月は大変だった。それはとても一言で説明出来る騒ぎではなかった。三浦はかんかんに怒ったし、徹底的に拒むつもりなのはあきらかだった。
 石井もその気持ちは分かる。ある日二メートル七センチの身長の奴がやってきて、お前はオレより十七センチ背が低いから女みたいに可愛くて、見てるだけでたまらないからやらせてくれ、なんて云い出したら、ぶっ殺す、としか答えられないだろう。
 だが、自分が三浦にそんな思いをしているのは本当で、寝ても覚めてもそのことに取り憑かれたのは事実だった。何で急にそんなことになったんだ、と石井自身も頭を抱えた。五人しかいなかったバスケ部にセンスの抜群にいい六人目が入ってきて、少しゆとりが出来たのかもしれないし、単に我慢の限界に来ているのがようやく分かっただけかもしれない。
 普段なら疲れ切って寝てしまう部活の後も、三浦がちらついて眠れずに、殆ど毎晩三浦のことを考えてオナニーする羽目になった。
 そのときは一瞬すっきりするが、後で押し寄せてくる、火のついたような自己嫌悪や焦れったさは大変なもので、石井は目がくらみそうだった。食事を吐いたことまであった。どんなに練習がきつくても、それまでは吐いた覚えなんてなかった。
 吐くほど悩んで、正直、周囲から見て分かるほど荒れた。哀川はおろおろと慌て、幼なじみの健二共々、石井の葛藤を聞き出そうとした。
 石井は自分の悩みは、大抵健二にぶちまけてしまうが、包容力のある温厚な健二相手でも、流石に今度のことだけは云えなかった。三浦を口説いて玉砕し続けているなんて口に出来るはずがない。三浦は刃物みたいにぴりぴりして笑わなくなった。二人の間がまずいことはあっという間に全員に知れ渡った。主将の藤原は三浦の親友だ。三浦も藤原に問いつめられて神経質になっていた。
 春休みの後半には、五キロ痩せた。三浦が受け入れてくれなければどうにかなるかもしれない、と思った。
 結局、新学期の三日前に根負けしたのは三浦だった。
(……分かったよ、もういいよ!)
 三浦は、目を上げずに怒鳴った。コートのポケットに両手を入れて、深々とため息をついた。言葉にならないように身体を折る。
(もういい。……信じられない……)
 そして顔を上げた。彼も眠れなかったように目が真っ赤だった。何か云おうとするように息を吸い込み、そのまま吐き出す。ふっと頬が赤くなるのを石井は信じられない思いで見つめる。
(考えてもいいよ……)
 目を逸らして、三浦はそう云った。
 その日初めて、石井は三浦の家に行った。三浦は母子家庭で、多忙な母と二人暮らしだ。十二時前に帰ることは殆どないという三浦の母の留守宅に上がり込んだ。
 それから三日間、春休みが終るまで毎日三浦の家に行った。
 三浦は始業式に出られなかった。そのことでまだ三浦が少し腹をたてているのを、流石の石井でも知っていた。
 石井は、だからこの件では終始三浦に立場が弱かった。しかし春休みのあの嵐のことを考えると、少し風が冷たいくらいのことは我慢するしかなかった。あの嵐の中に逆戻りするのは二度と御免だ。
 この冷たい風に、何故なのかは分からないが、彼はめろめろに惚れているのだ。


 彼は、ベッドでするキスが一番好きだった。キスしやすいし、一番集中出来るからだった。洗ったばかりで甘い香のする髪に顔を埋め、それから時間をかけてゆっくりキスする。
 全体に小作りな三浦は唇まで大分石井より小さい。キスして舌を入れると、入ってはいけないドアの奥に入るようなわくわくする興奮があった。
 唇をふさがれた三浦が苦しそうにする。少し嫌がるように身体を硬くしているが、三浦もキスが嫌いでないことは石井には分かっていた。キスの時胸の上に手を置いておくと、鼓動がだんだん早くなるのが分かる。
 柔らかい唇を、舌を吸い上げて舐める、触れ合わせる、深く溺れ込む、それを満足するまで繰り返す。
 そして急に、一瞬も我慢できない、という気分になって、三浦の着ているシャツのボタンをはずし始めた。
「何でいつもボタンのやつ着てんだよ」
 思わず文句を云う。三浦の私服のシャツは、小さなボタンがずらっと並んだスタイリッシュなものが多い。夏も冬もTシャツは殆ど着なかった。
「じゃあ、脱がせなきゃいいでしょ……」
 少し息を乱して三浦は云う。目を伏せて顔を背ける。
「何云ってんだよ、触りてーんだから脱がせるだろ?」
 苛々してそう云うと、三浦は赤くなる。喉元にふっと血の気が浮かぶ。
(一回、キスマークとかつけてえな)
 そう考えて、その誘惑を振り払う。三浦は肌が柔らかいから、きっとすぐに跡がつくだろう。しかし、只でさえ露出の高いユニフォームに加えて、ロッカールームで着替えをするのだ。三浦にキスマークがついていたら、一発で自分だとばれるような気がした。
 春休みに三浦ともめ過ぎたからだ。あれだけなら喧嘩で済むが、キスマークが加わったら、きっと藤原に気づかれる。彼は、自分が最近三浦の家に入り浸っていることも、「春の大喧嘩」の後、急速に仲が良くなったことも知っている。
 もしも三浦を抱いて、くたくたに疲れさせている、などということがばれたら、きっと藤原に滅茶苦茶に殴られるだろう。それだけは確信があった。長い付き合いになるが、正直石井は、未だに藤原が怖い。彼を尊敬しているから怖い、というのでもあった。
(もうちょっと抑えられるといいんだけどな……)
 三浦とこうなる前は、石井は別段人並みだったし、彼女のいない生活でも不自由はなかった。もやもやすることはあったが、あ、やばいな、という時に適当に処理していれば、後に引くこともなかった。何より部活がきつかった。横になった瞬間に眠ってしまうこともしばしばだ。夜寝る前にベッドで眺めるのも、ポルノ雑誌よりはバスケ関係の雑誌の方が多かった。
 あの時くらいの頻度に戻れたら、三浦もそんなに辛くはないはずだった。
 なのにどうしても三浦を抱くのを控えられない。週に二、三回は必ず三浦の家に行ってしまう。
 そうでないと今度は石井の調子が崩れてしまうのだ。
 頭の中が三浦で一杯になる。
 三浦の声や、その時の顔、自分を熱く締め付ける彼の中のきつさ、唇の甘さ。それを昼の三浦に持ち越してしまう。
(遠恋とかだったら、死ぬんじゃねーか、オレ……)
 このことを考えると、彼自身もため息が出る。
 三浦は身体が柔らかくて、どんなに身体を開かせても大丈夫だった。大柄な石井の身体を割り込ませて、肩の上に足を引き上げても、苦しそうにはしなかった。
 それに実のところ三浦は感じやすかった。辛い思いをさせるのだから、石井もそれなりにベッドの中では頑張るようになっていた。感じる、と分かっている所は必ず触った。三浦の白い肌がぼうっと上気してくるのは石井の目の快楽でもあった。それに、汗に濡れて歯を食いしばる三浦は、陸上部の奴らにまじって走っていた時の姿を思い出させて、石井を二重に興奮させる。
 はだけた胸の上で堅くなった小さな突起を吸い上げる。舌を絡めていつまでも弄っていると、三浦の背中が浮いた。
「……はっ……」
 思わず声が漏れた。唾液を飲み下す小さな音が間近に聞こえる。
「石井────くん、しつこい……」
 濡れた声が呼ぶ。しつこい、と云っているが、もっと先に進ませたがっているように聞こえてしまう。
 ぞくぞくしながらジーンズを下着ごと引き下ろした。三浦は黙ってあおのいている。堅いジーンズ、ボタンのたっぷりついたシャツ。正直言って三浦のガードそのものの服だ。その中から剥き出した身体は嫌がっているようには見えないのに、三浦の言葉や服が、いつももう一歩の所で石井を遠ざけている。
 白いが、薄くて柔らかい筋肉の張った足が現われる。この段階になると、石井は目がくらんでしまう。どこから触ればいいのか分からなくなる。今日のように、脱がせた三浦が反応しかけているのを見ると尚更だった。
 無茶苦茶をしそうで怖くなるほどだった。自分であきれるほど石井は固くなる。すぐに三浦の中に入りたいのを我慢して引き延ばす。まず目で触れる。足を開かせる。三浦が顔を背けて眉をひそめる。三浦の上にかぶさって彼の熱くなった所を握りしめる。肩や髪に顔を擦りつける。
「……っ、犬じゃないんだから……」
 三浦は迷惑そうに身をよじる。オレのもして、と、そう云い出す前に三浦は大抵動いてくれた。石井の服の前を開き、指を忍びこませる。そこはもう服に収まるには苦しくなっている。石井は膝まで服を降ろす。どんな風に頑張っても格好のつかない一瞬だが、もう興奮していて気にならない。
 石井はこの間から思っていたことをまた思いだして、我慢できずににやにやした。
「何だよ」
 三浦が憮然として見上げてくる。
「普通さ、こうやってても手ってぶつかんねーんだと思うんだけどさ」
 しかも口に出す。
「お前が左利きだからさ、手がぶつかって邪魔なんだよな」
「……っ」
 三浦は怒ったように唇を結ぶ。しかし、石井が手を動かすと、その唇はすぐにほどけた。甘い息が漏れる。最近は声も出してくれるようになった。別に石井のために出しているわけではないと云われてしまいそうだが、その声にどんなに興奮するのか、きっと三浦は分かっていない。
 右利きの石井と左利きの三浦が向かいあって愛撫する時、腕が押し合ってぎこちなくなる、それでさえ石井を興奮させるのに。
 時々、ベッドに入る前に外し忘れた三浦の腕時計で右手の甲を擦られる。不満を漏らすと、狼狽えたように時計を外す三浦が可愛かった。三浦の左手は器用で上手だった。石井に絡むと、確実に彼の熱を引きずり上げてくれた。
 どうして左手に時計してるんだ? そんなことを聞こうとして、それに気づくときは、そんな質問をするどころではないことが多い。後で聞こう。そう思って結局今まで聞くのを忘れている。
 我を忘れる。三浦のことがあって、石井はその言葉の意味がやっと分かった気がする。
 三浦の柔軟な関節を折り曲げて、彼の中に入り込む瞬間。苦しそうな息づかいが突然はずみ、声が交じり始める瞬間。こんな風に触るまでは手応えのなかった三浦と一緒に、必死に息を合わせて自失する瞬間。苦しさとよく似た快感で、背中も胸も一杯になる。自分が溶けてなくなってしまいそうになる。
 石井は自分の身体で三浦を覆い、なるべく触れている部分が多くなるように身体を押しつけた。それに気づいた三浦が苦笑する。その笑いに安心した。それがたとえ苦笑でも、笑っている三浦は、普段の何倍も綺麗になる。
 


「セクハラ?」
 疲れ切った顔でシャワーを浴びて戻ってきた三浦は、冷蔵庫から海洋深層水のペットボトルを出してきて飲んでいる。石井の言葉を聞いて怪訝な顔になる。
「オレ、なるべくじろじろ見ないようにしてるんだけど、つい見ちまうからさ」
「学校でもそんなこと考えてるの、石井」
 三浦が嫌な顔をして、彼は慌てる。
「や、そうじゃねーって!……そうなこともあるけどさ。ただ、こう、……お前ってオレとあんまり違うから、気になるんだよ、考え方とかも全然違うじゃん」
「……まあね」
 三浦は、パジャマの襟元をつまんで風を入れた。水をもう一口飲んでふう、とため息をつく。
「それすげー不味くない? その水」
「ああ、母さんが疲れてるみたいだから買ってきたんだ。ミネラル豊富だっていうからさ」
 同じ位置に泣きぼくろがあるという噂の三浦の母親だ。どうやらものすごい美人らしい。三浦がコピーしたみたいに母親似らしい、というところからも頷ける。
「ま、そういうものでしょ」
 三浦がぽつりとつぶやく。
「何が?」
「気になるものなんじゃない?」
「?」
 云いたいことをすっかり云おうとしない三浦に、石井はすこし苛々する。
「……云いたいことわかんねーよ……」
「分からないならいいよ。……もう遅いから帰った方がいいんじゃない? 石井くん十一時には寝るんでしょ?……」
 妙に醒めた表情で肩をすくめる三浦に、正直彼は泣きたくなった。これはいつまでたっても、三浦の考えていることなんて分かりっこない。
「三浦ァ……」
「すぐそうやって泣きが入るんだからね、君は」
 三浦はグラスを置いて、口元を指先で拭った。色の綺麗な唇が怒ったようにかすかに歪んだ。
「君のがセクハラなら、ぼくだって毎日してるよ、セクハラ」
「……」
「……見てるだけでセクハラ扱いされるなんてね。……迷惑だよ」
 三浦はそう云って皮肉に眉をひそめて目を伏せた。睫毛の蔭が頬に落ちる。石井がいつも見ている角度だったが、今日のはいつもの顔とは違って見えた。
「……あの、三浦、オレ……」
 何を云っていいのか分からずに酸欠を起こしそうになる。三浦は今度こそ声を荒げた。いつか、もういいよ、と怒鳴ったのと同じように、
「……もう帰ったら!」
 そうつっけんどんに云い放った。石井は頭に血が上ったようになりながら肯いた。これ以上いたら、帰る時間が更に遅れそうだった。そうして、今日に限って三浦の母親が早く帰ってくる、なんていうことになったら最悪だ。
 彼は逃げるように靴を履いた。いつもは大声でじゃあな、三浦、などと気楽に云って帰るのだが、今日は思わず、
「お邪魔しました!」
 などと云ってドアを閉めた。三浦は玄関までは出てこなかった。オートロックのドアが閉まるかすかな音を聞きながら、石井は真っ赤な顔で茫然と立ちすくんだ。
 自分の軽率なセクハラ発言のおかげでとんでもない褒美を貰ったことが、脳に回ってくる。いつか刺さった棘がほろりと抜け落ちたように思えた。
 本当は叫びたかったが、マンションの廊下で叫ぶわけにもいかず、彼は矢も盾もたまらずにそこを抜け出した。叫べる場所まで行くつもりだった。今閉めてきたドアの向こうで、三浦が、ディフェンスの失敗に、歯ぎしりするほど悔しがっていることなど想像もしなかった。まさしくパワーフォワードの面目躍如した一瞬だったのだ。
 どうしてこの時間に体育館に入れないんだ。
 そう思いながら石井は、もやもやした甘いものを腹のなかにごちゃごちゃに閉じこめたまま、夜の道を必死に走り出した。

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