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兎と赤犬

03 01 *2013 | Category 二次::アンジェ02・セイラン受け

 ゼフェル×セイラン。未遂ですが未遂じゃなくなるのは時間の問題でしょう。


続き





セイランが夕刻、私室に戻ってくると、そこには訪問者が待ちくたびれて眠っていた。
(やれやれ、またか)
よほどこの部屋が気にいったのだろうか。セイラン自身はよく眠れずに、一晩に何回も寝返りを繰り返して、時にはそのまま起き上がって出てゆく部屋だ。だが、この年の若い鋼の守護聖には居心地がいいらしい。
声をかけようとして彼はふと気が変わった。セイランは傍らの椅子を引きずって、ゼフェルの眠っている長椅子の真横に座り込んだ。寝顔の見物と洒落こんだわけだ。
(絵の具の匂いがきついだろうに)
ゼフェルは伸び伸びと長椅子のひじ掛けに脚を乗せて、深く眠りこんでいる。彼の横たわった長椅子のすぐ側には書きかけの絵の乗ったイーゼルがあり、絵の具や、画材の油の香りが部屋の中には濃厚に漂っている。セイランは慣れてもいるし、この匂いは嫌いではないが、この油の匂いには気分が悪くなる者もいる。もっとも、守護聖になる前は工業の盛んだった星から来たゼフェルは、ご多分に漏れず機械いじりが好きで、始終機械油の匂いをさせている。いまさら油絵の具の香りが気になるはずもないのだろうか。
夕日が差し込んで、ゼフェルの整った顔に柔らかな陰影を与えている。気性は荒れた炎のようだが、彼はプラチナの光沢を帯びた、ひやりとするような白髪と、凶々しい紅い瞳を備えた少年だった。黙っていると怖いように冷え冷えと美しい。口をきくといささか粗野に思えるが、外観上の鮮美さはまさしく守護聖のイメージだった。
夕映えが彼の上に柔らかに降る。
セイランは、母星に雪が降った時、純白の膜に覆われた山岳の見せる、なだらかな隆起を思い出した。あの、無機質に冷たく白い丘のほのかな柔らかさ。無防備に眠りの中にいる少年を、セイランは子供に対して抱く愛しさのような、皮肉なような、複雑な気持ちで眺めている。ゼフェルの少年らしい造作を目で追っている内に、彼は突然吹き出した。雪の故国の光景を思い出している内に、自分が彼に何を思い起こしたのか分かったのだ。セイランは、やや硬い、白い前髪に指先でそっと触れてみて、笑い声をかみ殺した。
うさぎだ。真っ白な髪も、紅い瞳もそのものだ。一見おとなしそうに見えて瞳が妙に冷たいところや、考え深そうに見えて案外に無意識であるところも通じる。兎は気性の荒い白い獣だ。長い後ろ足は、跳ねるためのものかと思えば、思わぬ攻撃力を備えている。兎。いらだちやすく、閉じこめるとすぐに、あの紅い瞳を剥いて、かっちりと生え揃った前歯で身喰いをする。あの自虐的な神経質さもそっくりだ。草食動物でありながら、産み落とした子を胎盤ごと引き裂いて食うような、唐突な狂い方をする獣でもある。
(うさぎか……本人に云ったら怒るだろうけど)
セイランは、ゼフェルのおだやかな寝顔を見ながらニヤニヤした。彼にとっては、むしろ兎は怖い獣のように思うけれど、ゼフェルはあの白いものに、いわゆる『可愛らしい』というようなイメージしか持ってはいないだろう。
(怒るんだったら、なおさら云ってやりたいものだよね)
前髪に触れられて、ゼフェルが目を開けた。間近に目が合って、セイランは思わず微笑んだ。
「何だよ、お前」
思った通り、ゼフェルは顔を紅くして勢いよく起き上がってくる。
「帰って来てるんだったら起こせよな。見てんなよ、人の顔」
「聖地に、動物保護の機関なんてなかったよね? ゼフェル様」
「は?」
ゼフェルは彼の云い出そうとすることがのみ込めないようにけげんな顔で聞き返した。
「そうだよね、そこらへん中、害のない獣だらけだしね……」
セイランは考えこむような間をおいてみせた。
「帰って来て自分の部屋に兎が迷いこんでた場合、そのまま放り出していいものなのか、どこかに連れて行った方がいいのか考えてたんだ。目の前で寝てるものを夕食にっていうのも気が進まない話だろう?」
ゼフェルは、この話の兎というのが自分のことだと、ようやく気づいたようだった。紅くなった顔がなおさら紅くなる。
「お前、よく、ひとのこと……兎……兎だとか云えたもんだな」
絶句したように言葉を切って首を振る。セイランは精一杯好意的な微笑を浮かべた。
「よかった。分かってもらえなかったら説明しなきゃいけないかと思ってたところだよ」
「ランディがお前のこと何だとか云ってた時、目ぇつり上げて腹立ててたくせによ」
「ああ、あれ?」
セイランは眉をひそめた。風を司る守護聖のランディが、死んだ蝶の羽を持ってきて、てのひらに乗せたそれを、無造作に差し出したことがあるのだ。蒼い光沢のすばらしい蝶だったが、死んで無残に乾き、端が欠けていた。これ、セイランさんの髪の色に似てませんか? そう云って彼は、空色の美しい瞳を細めて風のように笑った。どうして死んだもののむくろをそんなふうにてらいなく笑って差し出せるのだろう。セイランは茫然とした。そしてはたで見ていた若い緑の守護聖がおろおろして仲裁に入るほど、手ひどくやりこめたのだった。甘い栗色の髪の風の守護聖は、セイランの怒りの理由が分からずに目を丸くしていた。ゼフェルの云っているのはその時のことだ。
「あの方の好意たっぷりの無神経には参ったものだね。その時も云ったけど、別に僕を何に例えようと構わない。だけどあなただって、僕が兎の死骸を目の前に放り出して、よく似てるだなんてにこにこしてたら気分の悪い思いをするだろう? それだけのこと」
「だから、兎から離れろって」
ゼフェルは閉口したようにため息をついた。
「どうして? ちょっと怖いけど綺麗じゃない。それに普通に考えれば可愛いって云われてるものだろう?」
「可愛いなんて云われて嬉しいかよ、バカ」
何とも云えない顔になるゼフェルの肩に手をかけて、セイランはその紅い瞳を覗き込んだ。紅く深いルビーの色だ。しかも極上の鳩の血の色の。いずれにせよ、どこか不思議に有機的に昏くくゆる、美しい目だ。彼が覗き込むと、ゼフェルはぎくりとしたように肩を揺らした。
「何だよ……」
彼の声が怯んだようにかすれるのを尋いて、セイランの胸に悪戯心がわいた。彼は、肩をかがめて、長椅子に座った鋼の守護聖の唇にそっと触れてみた。ゼフェルがひじ掛けにかけた手の上にそっと指を重ねる。冷たく見えた唇も指も、はっとするほど熱かった。セイランは、その熱さに、或るものを連想して手を引いた。唇を離すと、ゼフェルの戸惑った、真剣な目がセイランを見つめている。
「何だよ、お前」
ゼフェルはそうつぶやいたかと思うと、セイランの肩をつかまえて、自分から唇を押し当ててきた。熱く清潔な息がセイランの唇の間に潜り込んでくる。うろたえるか、いいところで腹を立てて逃げられるものと思っていたセイランは、ひどく意外な気分でゼフェルに任せたまま座っていた。
荒れて多少乾いたゼフェルの唇が吐息とぬくもりに湿ったころ、熱く柔らかい舌先がセイランの歯の間にちらりと入ってきた。ゼフェルは、髪と同じ色のプラチナ色のまつげを伏せて、熱心な顔でセイランに触れている。セイランの肩にかかった指先がかすかに熱く汗ばむのを感じた。なりゆきとはいえ、まずいな、と思いながらセイランは目を開けた。
「ごめん!」
彼は、ゼフェルの胸に手をつっぱねて一気に彼を押し戻した。
「やっぱり違うみたいだ。すみません、ゼフェル様」
「……違うって、何がだよ?」
ゼフェルは肩で息をして、茫然としたようにつぶやいた。紅い瞳が興奮に少し潤んでいる。
「いや、何となく、……ね。そういうことってあるでしょ」
彼は気まずい思いで眉をひそめて笑った。さすがに悪いことをしたと思う。ゼフェルの眉が、見る見るうちに不機嫌そうに曇った。彼は目を苛立ちにきらめかせて立ち上がった。肩をいからせてセイランを見下ろす。
「バカかお前! その気でもねえのに触んなよ、ひとに!」
「まったくだね、ごめん」
「詩の材料とか云いやがったらぶっ飛ばすぜ、……ったくよ」
彼は立ち上がった勢いをどう殺せばいいのか分からなくなったようで、居心地悪げに部屋を見回した。
「帰る」
「何か用があったんじゃないの?」
そう云うとゼフェルは、これ以上はないというような不機嫌な顔で、忘れた、と云い捨てて、部屋を出て行った。あとに、芸術家ってのはわけわかんねえよ、とぼやきを残して行く。
セイランはゼフェルの熱くなめらかな頬や、伏せたまつげの透き通るような白、間近に覗いた宝石のような瞳を思い浮かべて首をかしげた。ため息をつく。
「どうしてなんだろうなあ……」
そして、そう一人ごとを云った。


「どうしてなんだろうね」
セイランは、寝台を降りながら、背中から追ってくる炎の守護聖の指を振り払った。一杯に獲物の血肉を腹におさめた赤毛の大柄な男は、妙に充足しておだやかな目でセイランを見上げた。
「何が、どうしてだって?」
セイランは、振り払ってもしつこく背中を這い上がる指に、今おさまったばかりの熱を一瞬かきたてられて息を詰めた。まだ衣服をつけない太腿の内側にも熱く湿った指が滑りこんでくる。指は確実に彼の快感をとらえて動き始める。セイランは屈服して、オスカーの上に倒れこんだ。
「……っ」
彼は湿った息を吐き出して、人もなげで強引な男の腕に任せた。この男とは顔を合わせればこんなことばかりで話にならない。どうせこの男は、自分と欲望を充たしたいということばかりで、特に話をしたいなどと思ってはいるまい。あの、清潔で真面目な、美しい鋼の守護聖の方が、どれだけ口説き甲斐があるかしれないのに。
「ゼフェル様の方がよっぽど可愛いよ」
オスカーにそれが聞こえたかどうかは分からない。
唇の中でこっそりつぶやいた言葉は、語尾を覆うように熱い感触にさらわれた。猛禽のようにきついオスカーの瞳が、紅いまつげに閉ざされる。
何故なのか、この男に捕まってしまったのだから仕方がない。
ため息をつきたい気分だったが、それも、合わさって荒れた吐息に交じって消えた。
了。

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