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闇は、樹に星灯り(2005年9月)

04 29 *2009 | Category 二次::幻水2青赤

「あなたが求めたら、全て差し出してしまう」の続き。

虚無を共有したがゆえに、こころ癒すものが育つこともある。

続き





 ────貴君ら、マチルダ騎士団の赤と青の軍服は象徴だ。
 軍師シュウが云ったのは、ロックアックス城陥落の数日後、ノースウィンドゥ城でのことだった。マイクロトフとカミューの二人を作戦室に呼び出して、疲れ果てたように目の下に隈を作った軍師は、背の高い元騎士二人の身につけた同盟の軍服を眺めた。
 ────すなわち、マチルダ騎士団は我が同盟に、誇りごとその身を預けたということだ。それ故、マチルダ騎士諸君には、ルルノイエ攻略にあたっても騎士団の軍服を身につけていて貰いたい。云うまでもなく、元騎士団長のお二人には、式典にも騎士団の礼服で臨んで欲しい。思うところはあるだろうが、これはおれの要望ではなく、同盟の要望だ。
 軍師にそう云われて、意外にも先に承知、と答えたのはマイクロトフだった。マイクロトフが、ロックアックス城攻略の前後に、苛烈な葛藤を乗り越えたことをカミューは知っている。そして、乗り越えたとは云え、その葛藤がまだ去っていないということを。
 マチルダ騎士団から持ち出されたカミューの礼服には、右側の袖に裂け目があった。作戦の後、捕虜になった高位の白騎士の一人が、ブーツの中に隠し持っていた小刀でカミューに斬り掛かったのだ。身をかわしたカミューは、ひどく苦い思いでその白騎士を斬った。父のような世代の男だ。むろん顔も名も見知っている。嘗ては息子のような赤騎士の長に、恭しく礼を尽くした男だった。親しく言葉を交わしたことはないが、白のエンブレムに恥じない騎士だという印象を抱いていた。
 しかし、既にカミューは赤騎士団を率いる者ではなく、白騎士は敗軍の将校だった。自分の命を捨ててでもカミューに一太刀浴びせたかったのだろう。それは、彼の立場では当然のことだった。
 自分達はマチルダ騎士団領を捨てたのだ。しかも、あろうことかマチルダ騎士の軍服を着て城へ攻め込み、騎士団の旗を焼いて同盟の旗をかかげた。
 そうしなかった者の憎しみを受け取るのは当然のことだった。
 礼服に改めて会議に臨もうとしていたカミューは心臓をかばった片袖を裂かれ、こころにも細いかき傷を負った。だが、彼はこころの中の傷に手をかけて掻き毟ろうとは思わなかった。この一件への抵抗は、カミューよりも生粋のマチルダ生まれのマイクロトフの方が強烈な筈だ。自分は悩みに力を使い果たすべきではない。
 カミューの礼服は、シュウの指示によって、同盟の仕立屋が仕立て直すことになり、すぐに仮縫いが行われた。ノースウィンドゥ城でマチルダ騎士団の礼服を仕立てているのは奇妙な気分だった。赤と紫の高価な絹を用いた礼服はすぐに仕立て直され、カミューの許に戻ってきた。
 もうこれを着ることもなくなるのかと思っていた。
 それが仕立屋から恭しく届けられた日、彼はそれを身につけたまま、暗い部屋の中で思いに沈んだ。
 悩むまい、と思いながらも、こころの端に白騎士の小刀が残した傷がかすかに痛んだ。
 自由を望む気持ちと戦いに挑む気持ちは、今はカミューの中で折り合いがついている。だが、怒濤のように荒く逆巻きながら流れる戦いの中を泳ぎながら、かすかな息苦しさがあるのは否めない。身体に絡みつく重く暗い水の中で飛ぶことを要求されているように思えた。
 飛べるだろうか。溺れずにどこまでも、いつまでも。倦むことなく、虚しさに翼を打ち枯らすことなく。それは今のカミューには分からなかった。今日、彼はそれをすることができる。明日もできるだろう。しかし十年、二十年後は分からない。
 そんな思いにとらわれていた夜、マイクロトフが訪ねて来たのだった。


 戸の叩き金がはっきりと叩かれた。一度。また一度。
 あの晩、訪ねて来たマイクロトフは叩き金を一度しか叩かなかった。だが、何故だかカミューにはそれが彼だということが分かった。礼服を身につけたままで静かに戸を開き、彼を迎え入れた。
 今夜も、戸を叩いたのがマイクロトフだということをカミューは悟っていた。戸の叩き方、厚い戸を通して伝わってくるかすかな気配が、友人のものだということを、カミューの耳や目以外の部分が感じ取っているとしか思えなかった。
「入れ」
 高く応えた。今夜はカミューは鬱屈した気分ではなかった。部屋には酒も、一つだけだがグラスもある。友人を僅かばかりもてなそうという気分になれた。マイクロトフはまさか、寝床を共にして、激しく唇を押しつけあったカミューと同じグラスに口をつけることを、嫌だとは云わないだろう。
 友人のノックもまた、先日の晩にそうしたように躊躇いがちではなかった。
「何をしていた?」
 そうおだやかに尋ねるマイクロトフが、酒を携えているのを見て、カミューは微笑した。友人も自分と同じようなことを考えていたらしい。
「今夜は特別に何も」
 カミューは答えた。
「何もしていないし、何も考えていなかった。誰かと酒を飲むのに丁度いい晩だ」
「そうか」
 マイクロトフはかすかに身をかがめるようにして扉をくぐり、部屋に入ってきた。そして、カミューがいつも座る窓際の席の向かいの椅子に、ゆっくりと腰を落ちつけた。陰湿なほど情のこわい性質に反して、マイクロトフの挙措はゆるやかだ。巨きな猫のような、うねるように重厚な身のこなしを持った男なのだった。
「グラスを持ってきたのか。わたしの部屋には一つしかなかったんだ」
「おれが二つ持ってきた」
 マイクロトフは彼のてのひらには小さく見えるグラスをテーブルに置いた。
「お前をもてなすつもりだったが、これでは逆のようだな」
 カミューはテーブルの上に置いた小さな灯りを吹き消した。
「何故灯りを消す?」
 マイクロトフがいぶかしむのに応えて、カミューは窓を開け放った。外には涼風が立ち、木立のざわめきが聞こえてきた。そして、灯りを消しても部屋は真っ暗にはならなかった。木々の間から白い光が星のようにきらきらと漏れだして来るのを見て、マイクロトフが黒い目を見ひらいたのが分かった。
 アダリーの据え付けた『水銀灯』だった。発明家は、城の中庭に背の高い鉄柱を何本か据え、そこに硝子球のランプを取り付けた。マチルダ騎士団領にはなかった技術だった。油を燃やすランプの、ゆらめきやすい黄色い火とは違い、冬の夜空で瞬く星の火に似た、青白く強力な光を放つ。それが、木々の葉の隙間から、無数の白い光の切片となって、城を照らし出している。カミューの部屋の窓は丁度その水銀灯に面していた。新しい技術によって生まれたその光は、さすがに城の中を隅々まで照らすことはできなかったが、窓際に、時ならぬ夜にきらめく木漏れ日をもたらすことになったのだった。
「美しいが、寂しい光だ」
 水銀灯のあおい光に片頬を濡らしたマイクロトフが低くつぶやいた。
 カミューは戸棚から、寝かせておいた酒瓶を取り出して、マイクロトフを振り返った。
「寂しさも時にはいいじゃないか?」
 マイクロトフは問い返す代わりに、黒い目をきらめかせてカミューを見た。マチルダの人間特有のこの重い、黒い瞳をカミューは好きだった。もの問いたげな沈黙を視線に含ませるのに、黒い瞳には他の色にない魔力がある。殊に想う相手の目にそれがはめこまれているのなら尚更だった。
「わたしたちが全く人恋しくならないのなら、友と酒を飲む意味はどこにある?」
 そう云って、カミューはコルク抜きで酒の栓を引き抜いた。注いでやった辛口の赤を一口飲んだマイクロトフは、かすかに笑って応えた。
「御前の云う通りだ」
「何か酒のつまみになるような話はないのか?」
 カミューが席の向かい側におさまると、マイクロトフは思案するように一瞬沈黙した。
 酒を注ぎ返しながら、マイクロトフは木立と共に窓の外でしきりにゆらめく光を見遣った。
「御前が、暫く前に礼服の仮縫いをしたとき、仕立屋の手伝いをした婦人が、御前の噂をしていた」
 マイクロトフはゆっくりと云い出した。
「いい噂だったか?」
 そう問い返すと、マイクロトフは苦笑に似たものを見せた。
「悪い噂だなどと思ってはいるまい?」
「わたしはそこまで自信家じゃない」
「御前がそういうことにしておきたいなら、構わないが」
 酒を一口飲む。
「いわく、カミュー様は薔薇のようなお方だ、と」
「それは」
 カミューは思わず低く声をたてて笑った。
「薔薇色の絹地からの連想なのだろうな。あの絹は、ローザ・シネンシスをイメージして染めたのだそうだ」
「或いはそうかもしれない。御前の髪が時には紅く見えるせいかもしれない。真相は分からないが、おれもその婦人の言葉に異論を唱えるところではない」
 カミューは、友人が赤い酒に酔ったのかと、その顔を見直さなければならなかった。マイクロトフはたとえ美しい婦人にさえ、そのような歯の浮く賛辞を捧げるような男ではなかったからだ。だが、友人は無論、一口か二口飲んだ酒に酔った様子もなく、冗談を云っているようでもなかった。
 余り覚えのないことだが、カミューは一瞬言葉に詰まった。
「────誉め言葉だと思って受け取っておこうか」
「……御前は」
 マイクロトフはそう云いかけ、言葉を切った。
「何だ?」
「いや……」
 云いよどむマイクロトフの額に、黒髪に、うっそりと広い肩の上に、水銀灯の光のかけらが踊っている。暫くの間のあと、静かに言葉をついだ。
「おれには苦手な樹がある」
「樹?」
 聞き間違いかと思って問い返したカミューに、彼は肯いた。
「白い花の咲く樹だ。苦手な理由はあるが────余り口にはしたくない」
「その苦手な樹が何なのかも、口にしたくないのだな?」
 念を押すと、友人は顎を引いてかすかに肯いた。
「香が、強い」
 マイクロトフはぽつりとそう云った。
「花の香のことだ」
「その、苦手な樹の花か?」
「ああ。他の者がおれのようにその花の香を強く感じるのかどうかは知らない。確かめたことがない。だが、おれにはその季節、耐え難く感じるほど香が強い。身体中に入り込んでくるようだ」
「……」
 カミューは黙って、マイクロトフの言葉を待った。そうしながら、それほど豊富とは云えない己の花の知識をさらっていた。白い花の咲く樹。そして香が強い。今まで一度として、マイクロトフにそんな苦手な対象があるなどと聞いたことはなかった。耐え難いほど強い花の香というものは、ある種の大型の百合以外には思い浮かばなかった。
 マイクロトフは酒のグラスを置いた。慎重な手つきだった。腕と腕の間の丁度真ん中にそれを据えようとするようにグラスを動かしたかと思うと、マイクロトフはそろそろと立ちあがった。狭い丸テーブルの向かい側に座るカミューの方へ近寄った。
「今日、エミリア殿に、その樹は薔薇の系統なのだと教えて頂いた」
 カミューを見下ろした男は、木々のざわめきにまじって、静かにささやいた。
「それで、おれは薔薇の香なら、その花の香を打ち消すのではないかと思った。薔薇は花という花の王だ。そうだろう?」
 カミューが黙って彼を見上げると、水銀灯でかすかに照らされていた視界がゆっくりと翳った。
 マイクロトフが彼にかがみ、椅子に座ったままのカミューをゆっくりと抱きすくめたのだ。
「打ち消してくれ、カミュー」
 耳元で、どこか苦しく抑制した声がささやいた。

 一度目のまじわりは、二人ともに、やむにやまれぬ衝動があった。マイクロトフの方でもそう感じていたのかどうか、言葉では確かめていない。だが、肌を触れ合わせれば汗と弾力が、締まっては緩み、また絞り上げられる筋肉の力が自ずからそれを教える。どちらがどれだけの衝動を抱え、どんな風にふるまいたがっているのか。
 二度目は、カミューの虚無の話がきっかけだったと思う。どこまでも早く、飛ぶように、流れに飲まれながら泳ぐように歴史の一点を走り続けることに、かすかな虚しさを抱いた。マイクロトフは、その虚しさを半分自分に渡せ、と云った。そしてその言葉をそのまま誘いの言葉に変えた。カミューの身体を潤す油まで用意して、友人同士の関係を飛び越える行為にそれを用いた。
 そして三度目が今日だ。
 マイクロトフは花の香を耐え難いと云う。それはおそらく、その花の香が彼に何か耐え難い思い出をもたらしていると思うべきだろう。カミューは、マイクロトフにとって、その思い出を打ち消す力があると云われたのだ。


 いつも彼等は、身体をぶつかりあうように重ね、勢力を争うように抱き合ってきたが、カミューは慰撫のために抱き合うということを嫌いではなかった。無論、華奢な婦人を抱き、髪を撫でて自分の胸にくるみ込むことと、友人の大きな身体とシーツの間で苦しい息をすることとは、根本的に違う。だが、嘗て自分に救いを求めたことなど一度もないマイクロトフが、こんな風に自分へ向かって崩れ込んでくることには、ひそかな快感を感じた。
 すがるように、大きなてのひらが彼を撫でる。胸を、腹を、熱く形を変えた性器を、軽く開いた太腿を、力を失った膝を。そして、きつくつながりあった場所へと戻り、丸く圧力を迎え入れた輪郭をなぞる。汗と叫び声が自分からにじみ出し、カミューは浅い息を吐きながら、その手を掴んだ。マイクロトフと自分のつなぎ目に触れられるのは、羞恥を捨てようのないこころに、そのまま素手で触れられるような感覚だった。だが、羞恥をそのまま訴えるのも彼には抵抗があった。
 深く抱きしめられる。揺れながらマイクロトフは彼に徐々に体重をかけ、身体をすり寄せるようにしてカミューを抱きしめた。今までの二度のまじわりと様子が違った。欲望よりも、身体が触れ合うことを望んでいるように見えた。
 カミューは、深く息をついて笑い、この男をすっかり抱きしめられる腕の長さが自分にあることを感謝した。マイクロトフの両腕の下から腕を伸ばし、彼を自分につなぎとめるように強く抱き締めた。相手の汗の匂い、酒の香がちらりと鼻孔をかすめ、すぐに自分自身のものと混じりあった。
 ふと気づくと、自分を抱いた広い背中に、星を止めつけたような樹の陰が一部うつりこんで揺れているのが見えた。
 カミューはそこを指先でなぞった。すると、影はマイクロトフの背中からカミューの指先に移って揺れた。こうして触れ合っていると、青い星のような光の寂しさは、二人きりでいることの甘さを強調するものでしかなかった。
 一人で居ることを寂しく思い、共にありたいと望むことは、決して孤独と同じ意味ではないのだ。

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