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嵐の中の薔薇(2000年9月)

04 29 *2009 | Category 二次::幻水2青赤

青も赤も病んでいない、明るいカラーの話です。
カミューの誕生日話。
友人H子への誕生日の贈り物として書きました。

続き





「開門! 開門!」
 風と雨の啼き叫ぶ城下に、急を告げる角笛が鳴り渡った。
 塗りつぶしたような暗闇の中を、嵐が吠え猛っていた。ノースウィンド城を囲んだ森は荒々しい風にたわみ、狂ったように踊る不吉な影絵の様相を見せている。湖の水面を雨が叩く独特の音が城を包み込んでいた。
 夏からたった幾月かで城の人口は膨れあがり、夜気を苦にしない若い兵士達は中庭に野営することとなった。簡単な木製の枠組みを作り、そこを帆布で覆ったものだ。しかしここ暫くで、湖の側のこの古い城はひどく冷え込むようになっていた。今夜はことにひどい嵐に襲われたため、中庭の野営はたたまれ、濡れて凍えた兵士達は一階の大広間に居を移していた。
「何事だ?」
 巻き取った跳ね橋の鎖を解く数人の門衛に、雨の中を城から出てきた大柄な男が話しかけた。雨は一瞬のうちに彼の背中や胸をずぶ濡れにした。叩き付ける雨から視界を護るように手をかざした男を、若い衛兵は見上げた。
「大隊長殿」
 若い衛兵は緊張したように声を硬くして礼を取った。門の様子を見に出てきたのは、第一騎馬大隊の大隊長のマイクロトフという男だった。元はマチルダ騎士団の青騎士団を任されていたほどの人物だったが、この戦争で同盟に下り、今は騎馬大隊長として都市同盟の中で戦いを共にしているのだった。
「ミューズからの難民です。病人がいるとのことで、ホウアン先生を頼って、サウスウィンドではなくこの城へやってきたのです」
 兵士は勢い込んで応えた。
「確かか?」
 そう云いながら、彼は衛兵と一緒に跳ね橋の鎖を解き始めている。衛兵達は恐縮して肩をすくめたが、男のするに任せて仕事に取りかかった。跳ね橋が上がって城門の出入り口を塞ぐとき、この鎖は門の内側の石の杭にしっかりと巻かれている。鎖を解いて素早く開門するためには数人の労力が必要だった。
 衛兵は振り返り、嵐に負けるまいと大声を出した。
「確かです。サウスウィンドから、カミュー殿が先導してこられました」
「……そうか」
 ようやくほどかれた鎖は、はげしい勢いで跳ね上がり、鈍色の蛇のように城壁の壁の穴を駆けのぼって消えて行った。衛兵達が重い跳ね橋を堀の向こう側へ倒そうときびすを返したとき、既にそこには大柄な騎馬大隊長の姿があり、二人がかりでようよう押し出す跳ね橋は、彼の強健な肩に押されて、ゆっくりと城の外に倒れてゆこうとしていた。水音を伴った地響きと共に城門が開くと、城壁の外から、更に激しい嵐の気配が入り込んでくる。
 跳ね橋の向こうで、馬に乗った男が硝子の火屋で覆った灯りをかかげて合図した。雨の向こうから若々しい陽気な声が聞こえてくる。
「第二騎馬隊のカミューだ。ミューズ市から逃れてきた三家族八人を先導している」
「通れ」
 こちらから叫び返すと、馬上の男は後を振り返った。
「通行許可が出ました。早く中へ」
 馬は跳ね橋の内側に脚を踏み入れ、後から来る者のために道を空けた。濡れそぼって憔悴した一団が、やはり馬にまたがって城の内側へ入ってきた。老人が一人混じっている。如何にしてミューズを脱出し、サウスウィンドまで辿り着いたのかはまだ分からないが、老人を加えた道行きは楽なものではなかっただろう。彼等を待ち受けて跳ね橋の袂に立ったマイクロトフは、猛禽のように鋭い目で、その一団が、間違いなくミューズ市から脱出してきた難民であり、ハイランド軍のスパイではないことを見極めた。この一日や二日のことでないのが分かる苦しみと疲労の影が、彼らのやつれてそげた頬にあらわれている。彼らの服は鼠色に汚れ、雨の中でさえ分かるほどの、汗と汚物の匂いのまじった異臭を放っていた。
「病人はどこですか?」
 マイクロトフの叫びに、彼等を先導してきた男が、カンデラを鞍につけ、するりと馬を滑り降りた。真っ黒な防水の外套のフードを除ける。黒灰色の嵐の中では実にささやかな灯りが、男の髪を紅く照らし出した。闇の中で明るく優しい瞳が輝いている。彼が、自分の外套の内側に子供をくるみこんでいるのが分かった。外套の襟元から、金色の小さな頭が覗いている。子供の頭はぴくりとも動かずに、自分を抱いた男の肩に重くもたれかかっている。黒い外套を身につけた身体から、髪から、大量の滴がしたたり落ちていた。
「ここだ。わたしが医務局へ連れてゆこう。お前は将軍への連絡と、この方たちの案内を頼む」
「承知した」
 カミューは、自分の馬をその場に残したまま、城の中へ身をひるがえした。足早に去って行く主人を見送る馬の手綱を取り、マイクロトフは残された八人のミューズ市民たちの顔を見渡した。まだその顔に喜びはなく、茫然としたような疲れだけが色濃かった。胸にずきりと痛みが走る。彼がまだマチルダ騎士団に居た頃、マチルダを頼って国境近くまで逃げのびたミューズの難民達を見殺しにせざるを得なかった事が、物狂おしく甦ってくる。
(今は、おれに出来ることをするしかあるまい────)
 彼はその記憶を振り払った。サウスウィンドからの嵐の道のりを歩いてきたカミューの馬の首を、ねぎらいの気持をこめて叩いてやる。手入れのいい芦毛は白い息を吐き、マイクロトフに顔を寄せた。
「皆さん、馬を降りてください。滑らないように気をつけて」
 マイクロトフは、弱って自力では馬を降りられない者たちに、一人一人手を貸した。馬を厩へ連れてゆくよう衛兵たちに云いつける。
「あの……」
 細い声に彼は視線を落とす。どの家族かの母親と思われる初老の女だった。
「……サウスウィンドから案内してくださったあの方はどなたですか?」
「さっきも名前をおっしゃっていたじゃないか」
 隣に居た男が小声でたしなめる。
「彼はカミュー。我が軍の第二騎馬大隊の隊長を務めています」
 マイクロトフがそう応えると、夫婦らしい二人は顔を見合わせた。雨の為か驚きのためか、濡れた睫毛をしばたたいた。
「そんな偉い方が道案内を……」
 男がかみしめるようにつぶやいた。
「カミュー様にどうぞお礼を伝えてください」
 女は脚を引きずって歩きながら、もう一度マイクロトフを見上げた。
「……あの子供はわたしの妹の子なのです。妹は一緒に来られませんでした」
 女は声をつまらせる。それが何故なのかは聞くまでもない。マイクロトフは忸怩たる思いで女の言葉に耳を傾けた。
「あの子と離れたくなくて────不安で、一緒に逃げ出して来たひとたちみんなで一緒に居たくて我が儘を申しましたのに、あの方は馬を沢山用意してくださいました。向こうの街から、ずっと火を掲げてわたしたちを先導して下さったのです。あの方だけなら馬を飛ばして、ずっと早くいらっしゃれたでしょうに、道々ずっと励ましてくださって……」
 マイクロトフは肯いた。ふるえるその声から、女の気持が痛いほど伝わってくる。
「お言葉は申し伝えましょう」
 足許の危うい老人を支えて城に入ろうとした時、城の入り口に、少女のようにほっそりとした彼等の将軍が駆けだして来るのが見えた。マイクロトフはかすかに笑う。彼はあの角笛を聞いて、報告があるまでじっと部屋にいるような人ではなかった。
 カミューの持っていたカンデラを馬から外し、彼は、少年の目に見えるよう、灯りを高くかかげた。


 マイクロトフは、城左翼のカミューの部屋の戸を叩いた。返事を待たずに戸を開ける。友人同士とはいえ、こんな不作法をするようになったのは同盟に来てからだった。騎士団の厳しい戒律や礼儀作法に縛られない暮らしは、生粋の騎士団育ちのマイクロトフにも、意外に心地が良かった。
「何だ、もう酒を持ち込んでいるのか」
 彼は友人をあきれて見おろした。ミューズ市民を連れ帰った辛抱強い先導者は、さっぱりした部屋着に着替えて、ワインのグラスを片手にペンを握っている。
「お前か。少し待ってくれ」
「何を書いている?」
「シュウ殿への報告書だ」
 彼は紙に目を落としたまま、グラスを挙げて見せた。
「書き物には酒がないとな」
「仕方のない奴だ」
 マイクロトフは苦笑する。城の灯りの下で見ると栗色に見える髪は、僅かに湿り気を残したまま、綺麗にとかしつけられていた。この男の髪は、闇の中で灯りに出逢った時だけ紅く見えるのだ。以前からマイクロトフはそれを不思議に思っていた。
 第二騎馬大隊の隊長を務めるカミューは、彼と同じマチルダ騎士だった男だ。年齢はカミューの方が一つ上だが、騎士団に入った年は同じだった。いわば彼とマイクロトフは同期の騎士同士ということになる。騎士団に居る頃から彼等は無二の親友だったが、同盟に身を寄せるときも行動を共にし、こうして同じ城に部屋を与えられることになった。
 カミューが仕事に集中できるよう、彼はそれきり話しかけなかった。酒があたたまらないよう向こうへ押しやって、火の側に坐る。そうして、解放されたばかりのサウスウィンド市警護の為、数日間目にすることのなかった友人の姿を見つめた。すらりとしたカミューの脚が、書き物机の下でときおり小さくリズムを取っていることに彼は気づく。おそらく彼の頭の中では何か音楽が流れているのだろう。
 カミューの髪が、闇の中で紅く輝くことに気づいたのは、何度目か戦場に出た時だった。昔、まだ平位の騎士だった頃、機転が利いて粘り強いカミューは、戦場が闇に呑まれた後、行方の知れない者を探しに行く役目を担うことがあった。静かに馬に跨り、火種とカンデラを手にして、彼は必ず傷ついて生き残った者や、仲間のむくろの眠る場所を見つけだしてきた。どんな時にも大抵感情に流されることがない彼は、しかし相反して、務めを決してあきらめない明るさがあった。
 カミューに救われた経験がマイクロトフにもあった。
 十七歳の頃だ。
 彼は脚に怪我を負って、夜の茨の藪のかげで息を殺して夜明けを待っていた。明るくなれば自力で帰れる。今、森の中で足音をたてて歩き回れば、敵兵や獣に追われても逃げようがない。一人きりで仲間の遺骸と共に待つ時間は、ことさら長く思えた。
 どれだけの時間がたったのか、彼は、ひそやかな蹄の音が近づいてくるのを知った。
 草を踏む気配。馬の息づかい。彼は身をかたくした。やがて、森の暗闇の中に、静かに黒い影が近づいてきた。馬に乗った男は黒い兵服を身につけていて、敵兵か味方か分からなかった。馬が彼のひそむ藪の前で止まるのが分かった。
 ────何故ここで止まる?
 マイクロトフは剣を握りしめた。もし敵兵なら斬るまでだ。そうすれば馬が手に入る。
 馬から人が滑り降り、ひそやかに彼のいる方へ近寄ってきた。耳を澄ませるようにじっと立つ。声をかけようとはしなかった。自分がまるで音をたてていないことをマイクロトフは知っていた。神経がはりつめる。なのに何故ここに何者かがいることが分かったのだろう。
 その瞬間、暗闇の中で二、三度火花が散り、突然灯りがついた。硝子の筒の中のランプが、その人の髪を紅く照らし出した。見知った友人の美しい顔が浮かび上がる。
「……カミュー」
 驚きと緊張に胸を高鳴らせたマイクロトフはつぶやいた。真っ暗な森の中で突然出現した灯りに照らされて、カミューの髪は華やかに輝き、暗闇の中で紅い薔薇が咲いたように見えた。
「お前一人か」
 カミューの声が、緊張したように強張った。
「……いや、一人いる。もう息をしてはいないが……」
 彼はカミューの手を借りて立ち上がった。
「何故ここに人がいると分かった? 敵だとは思わなかったのか?」
 不思議に思って問うと、カミューは珍しい、神経質な笑みを見せた。
「血の匂いが風に乗って来た……あれだけの血を流しているなら瀕死の傷だろう。敵だとすればとどめを差すつもりだった」
「そうだったのか」
 マイクロトフは、自分の側で息を引き取った、名前を知らぬ白騎士のむくろをカミューと共に抱え上げ、鞍の上に乗せた。白い軍服は血に染まって元の色が見分けられないほどだった。云われてみれば血の匂いがするようにも思うが、返り血と自ら流した鉄錆の匂いのするものに濡れたマイクロトフには、それがどれだけ濃厚なものかは分からなかった。
「お前がそれだけの血を流したのかと────……」
 カミューは低くつぶやき、それきり口をきかなかった。カンデラの灯りを吹き消す。灯りが消える一瞬前、炎の近づいたカミューの髪は、ひときわ贅沢に煌めいた。彼の髪がこんな色だったとは知らなかった。陽の光の下で見れば、やや赤みがかってはいるが、ありふれた栗色の髪だったからだ。
 痛みはあったが苦にはならなかった。光がひらめき、その金色の小さな輪の中で紅く輝いた髪の色がマイクロトフの目に焼きついていた。灯りが吹き消されても、自分を支えて隣を歩くカミューの存在は、見えない光となって足許を照らしているように思えたのだ。

 おそらく、黒い外套に病気の子供をくるみこんで自分たちを先導する兵士、彼が手にしたカンデラの中に浮かんだ彼の明るい瞳や髪は、ミューズを脱出してきた人々にも救いだったことだろう。マイクロトフはそう想像した。自分たちが生きながらえた象徴のように、嵐の中の一本の灯火と共に、馬の背に揺られる彼等の目にあかるく紅く映えたのではないだろうか。
「待たせたな」
 火の側で考えに沈むマイクロトフの側に、用事を済ませたカミューが坐った。炎に照らされたカミューの髪は、かえって静かな栗色に落ち着いて見えた。闇と光の両方を透かした時にだけ、あの薔薇色の光沢が現われる。
「いい酒じゃないか、どうした?」
「これは酒場の女将からだ。サウスウィンドからの案内への報償だそうだ」
 真面目くさった顔で女将の伝言を伝える友人に、カミューは笑った。
「そうか。報償が出るとは思わなかったが────」
 透き通った酒の満たされた瓶をかかげる。見て取ることが出来ないほどうすくみどりいろをおびた酒が、暖炉の火を跳ね返している。瓶の中ではねかえったひかりが、カミューの頬に静かな白い影を投げかけている。
「それから、今日はお前の誕生日だったそうだな」
 マイクロトフがそう云うと、意外なことを聞いたようにカミューは顔を上げた。
「ああ────、そう云われればそうだ」
「さっき女性達何人かに酒場で聞いたんだ。この酒は誕生祝いでもあるらしい」
「すっかり忘れていたな……そう云えば、ここに来たばかりの頃、誰だったかに誕生日を聞かれて答えた覚えがあるが、こんな形で祝いの品を貰うとは思わなかった」
 カミューは機嫌良く酒の栓を抜こうとした。
「俺がやろう」
 カミューの手から瓶を取り、マイクロトフは酒の香りとアルコールを封じ込めたコルクを抜き取った。
「最初の一杯は注がせてくれ」
 彼は不思議な気分でつぶやく。
「誕生日か────特に祝う習慣もなかったが……」
 彼はカミューにグラスを持たせ、白い酒をなみなみとついだ。この酒はカミューの気に入りで、酒場の女将にどれがいいかと聞かれて、マイクロトフが選んだものだった。
「しかし、お前が生まれた日だと思えば祝福すべき日だな」
「どうした、マイクロトフ」
 カミューは面食らったように目を上げた。榛色の目が面白がるような光を宿している。
「何かあったのか?」
 マイクロトフのグラスに、今度はカミューが注いだ。
「何かあったのか、とは……」
 ご挨拶だ、と思いながらグラスを挙げる。
 カミューは満足そうに酒を口に運んだ。少数とはいえ逃げ延びたミューズ市民を城に迎えたことで、彼も充足しているようだった。
 酒で湿ったカミューの唇に目をとめる。彼は思いたって、カミューの頬をてのひらで包んだ。唇を近づける。こうして触れるのは随分久し振りだった。マチルダを出てからは初めてではないだろうか。
 酒の甘みと香り、そしてカミューのやわらかな舌と唇がマイクロトフのそれとまじりあった。カミューの手が慎重にグラスを押しやり、マイクロトフのうなじに巻き付いた。息と唇で切れ切れに触れ合いながら、マイクロトフは自分より大分ほっそりした友人の身体を腕の中に引き寄せて抱きしめた。先刻から目に付いて仕方がなかった髪に指を絡ませ、なめらかな銅の指輪のように自分の指に巻き付いた髪の房に唇を押しあてた。
 カミューのてのひらが、マイクロトフの髪やうなじ、背中を落ち着かなげに探る。衝動に流されるべきかどうかを迷っているようだった。彼が自分を受け入れ、自分が彼を抱くというかたちが定着したせいで、この行動的な男が衝動のままに振る舞えないことを、マイクロトフは常日頃どこか負い目に思っていた。
「今晩抱いていいか」
 耳元に囁く。カミューは吐息をついて肯いた。部屋着の釦を外し、肩からすべり落とす。思いだしたようにグラスを取り上げ、飲みかけの酒を煽った。酒に溺れる気質ではないが、いかにも酒の好きな彼の、そんな仕種が少し微笑ましく思えた。
 マイクロトフはミューズから来た女の言葉を伝え忘れていることに気づいた。それは後でゆっくりと話そう。彼はひらきかけた唇を閉じた。そのことにかけて自分も少し話をしよう。マイクロトフが彼に話したいことの中には、必ず伝えなければならないこともあれば、何日か離れていた恋をする者同士につきものの、他愛のない話もあった。

 こうして夜を共にしたおりに、彼の髪の魔法を目にするために、真夜中に黙って小さな灯りをともすことがある。一人起きあがって、闇の中で光を吸う紅い髪を眺める。それは今、マイクロトフだけに許された贅沢だった。自分だけが手にしたささやかな秘密の花について、彼はきっと当のカミューにさえ打明けることはないだろう。
 暖炉を背にしたカミューは、ほぼ乾いた髪を額の際からかきあげた。
 彼の指にすきあげられ、火を透かすと、やはりその髪には紅く華やかな光沢があった。
 もう一度唇を合わせる。カミューの明るい目が潤み、自分とのくちづけのために閉ざされるのをマイクロトフは見守る。そして自分も目を閉じて彼の唇を味わった。ぼうっと世界が甘くとけた。鎧戸を嵐が揺らし、部屋の隅では女のすすり泣きのように小さな風が渦巻いている。暖炉で薪がはぜる。その全ての音がゆったりとした快感にくるまれて遠ざかり、優しい闇の中にのみこまれた。
 そしてその後、決して灰にならないやわらかい炎のように、カミューのあたたかな身体だけが、消えずに彼の腕の中に残った。

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