log

幻のあかり・1(2004年12月)

04 29 *2009 | Category 二次::幻水2青赤

親友となら、謎解きはいっそう面白くなる。

続き





 二十二歳になったばかりの青騎士、マイクロトフが、大きな身体を火の傍で丸めて独り言をつぶやいた時、暖炉を囲んだ友人達は全て眠り込んでいるものと思っていた。
「ランテルナ・マジカ────」
 それがどういう意味なのか、マイクロトフは明確には知らない。ただ、それが灯を表した言葉なのだということは分かっていた。だが、どこの国の言葉なのか、その言葉を口に出した人が、誰からそれを習い覚えたものなのかは知らなかった。その灯がどんなものなのかも想像がつかない。
「ランテルナ、マジカ」
 もう一度低く声に出してみた。暖炉の火が消えかかって、それと共に部屋の暖かさは薄れ始めていたが、毛布を巻き付けて横になった青年達の眠りは、窓の隙間から忍び寄る寒気にも邪魔されることはなかった。眠る前にひそかに持ち寄った酒が彼等の身体をまだ温めている。壁に大きな暖炉を埋め込んだこの部屋は、若い青騎士達の住む大部屋であり、昨晩、彼等は頼もしい火を囲み、ささやかな宴会を催したのだった。
 十日前、騎士達は三月に渡る遠征から帰ってきた。緊張状態の続いていたハイランド王国との睨み合いも、一旦は互いが国境線を守る形で退くことになった。ミューズやグリンヒル、サウスウィンドゥと同盟が結ばれることが決まり、王国との戦力が拮抗する形になったためだ。味方、敵共に、殆ど血を流すことなく大半の兵士が帰り、マチルダ騎士団は、都市同盟が新年を過ぎて結成する国境守備隊に、新たに加わることになるだろうと予想されていた。
 戦いで武勲を立てたいと望む一方で、戦いが終れば平和の甘やかさは心に染みる。騎士達は休暇を許され、恋人や家族のある者は浮き立って城から自分達の街へ散って行った。城に残って務めを果たす者は勿論いるが、彼等も戦いの前のようにはりつめていることは出来なかった。
 青騎士の大部屋に、食物と酒を持ち寄って集まった面々の中には、赤騎士の副騎士団長になったばかりのカミューがまじっていた。マイクロトフよりたった一歳年長の若々しい赤騎士は、彼の友人でもあった。お互いを顕わす言葉を尋ねたならば、二人は親友だと云い合うかもしれない。
 カミューは副騎士団長になっても、それを鼻にかけるようなことはなかった。そうかといって新しく与えられた地位を窮屈に思うでもなく、冷静に仕事をこなしていた。そんな彼も、私的な時間は、身分の高い騎士達より、若い友人達と過ごすことを好んだ。
 薪を差し込もうと暖炉の傍に寄ったマイクロトフが独り言を云った時、傍にカミューが横になっていたのはそういう訳だった。
「何と云った?」
 眠っていると思ったカミューが、毛布の影から、不意にそう尋ねた時、夢想の中に沈んでいたマイクロトフはひどく驚いた。彼の足した薪に火が燃え移り、炎がゆっくりとゆらめいた。カミューは毛布を滑り落として身体を起こした。好奇心の旺盛な彼の目が、はっきりと目を醒まして自分を見ているのを知って、マイクロトフは戸惑った。
「聞いていたのか」
「聞こえるさ」
 カミューは少し震え、毛布を引きずって火の傍のマイクロトフの隣に座り込んだ。彼は背の高いマイクロトフよりも幾分小柄で、剣の腕を裏切るようにほっそりした青年だった。
「さっき何と云った? よく聞き取れなかったんだ」
「別に、それでいいだろう」
 ぶっきらぼうに答えたが、カミューは気にせず、思い出そうとするように首をかしげた。
「ラント……ランテ────?」
 カミューは、炎の中に言葉がえがいてあるとでも云うように、暖炉に向けた目を細めた。暖炉のゆらめく光が、友人の肌の上で踊っている。睫毛の影がまぶたの周りでかすかに揺れた。
「ランテルナ・マジカ」
 仕方なく、マイクロトフは繰り返した。彼は口の重い青年だったが、この年上の友人の前では、他の者にそうするように黙りこんではいられなかった。カミューは余りに易々と彼の心の中に入ってくるため、マイクロトフは彼を苦手だと感じることさえあった。
 同じ日に騎士団に入り、決着のつかない模擬戦でへとへとになるまで剣をまじえたのをきっかけに、カミューと親しくなった。マイクロトフは、騎士の中に特別に友人を作ろうとは思っていなかった。だが、彼と親しくしているおかげで、他の騎士達とも円滑にまじわることが出来るようになった。
 カミューは少年時代、自由騎士団の紹介状を持ってグラスランドから、遠いマチルダにやってきた。だが、自分が外国人であることを気にかけているように見えたことはなかった。
 マイクロトフは、マチルダに家や家族を持ちながら、何故か異国にいるような気持を捨てきれなかった。それは子供の頃から彼の持っていた不可解な感情だった。
 カミューは何もかもマイクロトフと対照的だった。鏡に映した自分の姿から、特徴を一つずつ剥ぎ取って、明るく、好もしいものをはめこんだとしたら、カミューの姿になるかもしれない。マイクロトフは友人のことをそんな風に思っていた。人になかなかこころを許せないこの青年としては、友人に精一杯賛嘆の念を傾けていたのだった。
 闊達なカミューは、多少気難しく、烈しい気性のマイクロトフを持て余さなかった。マイクロトフが素っ気ない声を出しても、それが本心でないことを見抜いているようだ。明朗な榛色の目で、マイクロトフの黒い瞳を覗き込み、心の隅々にまで光をあててしまう。マイクロトフが、カミューには胸を閉ざしていられないのだと、きっと彼は気づいているだろう。
「ランテルナ・マジカ」
 今度は、カミューは正確に繰り返した。
「呪文のようだな」
「そんなようなものかもしれない」
「何の呪文だ?」
「それは……」
 マイクロトフは嘆息した。
「ここで話せるものではない」
 カミューは、毛布をたぐり、自分の肩を覆っていたものを、マイクロトフと自分の膝にかかるようにかけ直した。驚くほど形よく整った唇が静かに結ばれている。何か考えているらしい。自分がこうして逃げをうっても友人が滅多に諦めないことを、彼は経験から分かっていた。カミューが黙っているので、マイクロトフもそれ以上云おうとはせず、薪をつつく友人の顔をぼんやりと眺めていた。造形の神はよくも彼にばかり手をかけたものだと思う。高く通った鼻筋や、美しい線を描くまぶたは気品があり、異国的な紅い髪の色がなければ、王国貴族の血筋を引いていると云っても通りそうだった。ハイランドやマチルダの貴族は、大抵瞳も髪も黒いのだった。
「新年に、お前はどこにも行かないのか?」
 カミューはおだやかに尋ねた。
「休暇を貰う筈だろう? 父上の顔を見に帰るか?」
「いや────新年は別の場所に行くことにしている」
 マイクロトフは火の粉を眺めながら、困ったことになったと思った。友人が何を云おうとしているのか、ぼんやりと分かったのだ。
 カミューの唇を一瞬かすかな笑みが行き過ぎた。
「どこに行くつもりか尋ねてもいいか?」
「構わないが」
 マイクロトフは遂に苦笑した。
「エルベルト城跡を見に行こうと思っているんだ」
「それは」
 カミューはちらりとマイクロトフの顔を眺めた。
「呪文にふさわしい場所だ」
「そうかもしれない」
「雪の休暇にわざわざ崩れた城を見に行くのには、訳がありそうだな」
 カミューはからかうように云った。
「そんなに秘密が多いとは、今まで知らなかったぞ」
 マイクロトフは彼の手から火掻き棒を取り上げ、朱く熱した薪を崩した。金色の火花が花弁のように散った。暖炉の中に小さな夏が滞っているようだった。
「御前も、この休暇に故郷に帰るわけではないのだろう?」
 今度はマイクロトフの方から聞き返す。
 カミューは肩をすくめて黙っていた。
 騎士団の短い休暇では、グラスランドに行って帰ってくるのは到底不可能だ。一度騎士になったのなら、何年も帰れない覚悟で彼等はやってくる。この雪と城塞の街に、南から流れこんで来る者がかくも多いことを、マイクロトフはふと不思議に思った。
「もしも、御前が休暇を過ごす場所を決めていないのなら、おれと一緒に行かないか」
 彼は覚悟を決めてゆっくりとそう云った。カミューがその言葉を予期しているのは分かっていた。
 カミューは心得たように微笑した。その瞬間、元々美しいこの男の顔に光が射したように見える。
 女性を魅了してやまない彼の微笑みは、マイクロトフの目から見ても美しかった。しかもその微笑は、ごく親しい者────たとえば彼のような────だけに見せる、うっとりするような甘い明朗さを含んでいた。大切な客を、極上のワインの栓を抜いてもてなすように、カミューは時々こういう笑い方をした。
「いいね」
 落ち着いた声で答える。彼は高揚している時も、腹を立てている時でさえ、低く冷静な声で話す。
「道中、面白い話も聞かせてくれれば尚いい」
 マイクロトフはそっと彼のかけてくれた毛布を押しやって立ちあがった。背中を伸ばす。
 自分から行こうとは云わず、マイクロトフから云い出すように話を持って行くのは、カミューの癖の一つだった。何事にも積極的なカミューが、時に、マイクロトフの手に強引に主導権を握らせることがあるのに、マイクロトフは気づいていた。
 震えるような雨の続いた国境から帰ったばかりだというのに、暖かく火の焚かれた城を出て、古い城の跡を見に行こうとするのは、その理由が理由だけに莫迦げているとも思った。だが、カミューが自分の行き先に興味を示したことで、少しこころが軽くなる。
 カミューを誘うのは、とりもなおさずマイクロトフの事情を語ることであり、彼が今呑み込んでいる、古く小さな言葉の意味を共有するかもしれない、ということでもあった。それをするならば、確かにカミューは良い相手だろう。城に行って何も見つからなかったとしても、カミューは無駄足を踏んだことを、苦々しく思いはしないだろう。彼はどんな状況もある程度楽しめる、一風変った楽天家なのだ。
 マイクロトフは、崩れた城の跡に向かう道を自分達が歩く様子を思い浮かべた。人に荒らされることのない凍った雪道を踏み、冷え切った村道を辿る寂しさを、きっと明るい髪の友人の姿が忘れさせてくれることだろう。
 その道すがらに自分は、若い騎士達がもつれあって眠る炉端では口に出来ない話を、本当にカミューに聞かせるかもしれないと思った。

 エルベルト城跡。
 ロックアックスの北西の山中にある古い城と、廃村になった小さな村を一括りに、マチルダの人々はエルベルト城跡と呼んでいる。
 おおよそ百年前まで、その城にはマチルダの有力貴族が住んでいた。小さい城だが城主は裕福で、麓の村共々おだやかな暮らしだったと云う。何故、城主のエルベルト公が先祖から譲り受けたその城を捨て、古くから諍いの絶えなかったハイランドに移り住んだのかは分からない。その頃、エルベルト公の血筋に多くの死者が出たということだが、伝染病が流行ったとも、城の住人の中にこころを病んだ者があって、その者が城の井戸に毒を投げ入れたとも云われている。
 いずれにせよ、公はその城を出て、家族共々外国へ移った。城下の村はその後も暫くは残ったようだが、元々小さかったその村から出て行く者は増えるばかりで、完全に住む者がなくなってから、既に何十年も経っていた。その後、この城はマチルダ騎士団の管理下に入ったが、所有権は依然としてエルベルト家にあったため、手入れする者もないまま、徐々に朽ちていった。小さな古い城は、ロックアックス城のように堅固な城塞として造られたものではなかった。国境にもほど遠い。白い石で作られた尖塔は相次ぐ落雷で崩れ、雨風をしのげなくなってからは、加速度的に崩落への道を歩んだ。
 騎士団の見回りも途切れて久しかった。その上寂れた場所につきものの不吉な噂もたち、徐々に、かつて人々がひっそりと暮らした城は、近づく者の殆どない、孤立した山の一角となったのだった。

 古い噂を恐れることのない青年二人が出発したのは、雪の止んだ新年の二日目だった。
 街道沿いに幾つか散らばった村の中で、エルベルト城に最も近いのは、ヴェルグという小さな村だった。そこから城までは一日歩くと云う。彼等二人はそこまで馬車に乗り、村から歩いて城に向かうことにした。
 二頭立ての乗合馬車には十人以上乗れる席が設けられていたが、新年の早朝に乗って来る者は少なかった。休みを取らず、遠くの街まで品物を運んで行く商人が一人乗り合わせているだけだった。お陰で二人は荷物を座席に載せ、ゆっくりと座ってヴェルグまでの道のりを旅する事が出来た。
 旅と云っても一日に満たない距離だ。春になっていれば、城下町で馬を借り、自ら馬の背に乗ってヴェルグに行くことも出来ただろう。カミューは自分の馬をロックアックス城の厩に持っていたが、マイクロトフの馬は城付きの軍馬だ。運動させる為に遠乗りに出ることはあるが、休暇に乗り回すことは許されない。その代わり街には、軍馬に負けず劣らず長距離を走る馬を揃えた、貸し馬屋が何軒もあった。マチルダは馬の育成に熱心な領地である。寒い気候を好む馬を育てるのに適している国でもあった。
 栗色の胴体を輝かせ、真っ白い息を吐いて馬車馬は雪道を走る。その腰につながれた箱馬車に揺られながら、マイクロトフは余り口をきかなかった。
 彼の隣に座ったカミューは特にそれを気にかける様子はなかった。外套を身体に堅く巻き付け、ブランデーの小瓶で身体を温めながら、雪の跳ね返す白々とした光の射す窓際で、本を読んでいた。
 マイクロトフは、くつろいだカミューの膝の上に広げられたページにちらりと視線を投げた。それは、がたがたと揺すれる馬車の上で読むにはいささか不似合いな、難解な叙事詩だった。
 周囲に危ぶまれるほど若くして赤騎士団の「次期」の座に座った、異国出身の友人は、こうして酒を飲みながら書物を読むのが好きだった。
 それは哲学書であることもあれば、若い娘でも読みそうな恋愛小説もあり、時には聖典を読んでいることもあった。
 マチルダ騎士団領は表向きには聖国教会の教区であり、多くのものが教会で洗礼を受けているが、異国人に改宗を求めることはなかった。領主である白騎士団長のゴルドーが、教会の勢力を弱めたためだった。彼は筋金入りの保守派ではあったが、同時に強硬な軍国主義であり、領内の何者も、騎士団以上の権威を持つことを好まなかった。教会と背中合わせに権威を分かち合うよりも、教会を騎士団の支配下に置くことを望んだのだ。対立した司祭は領外に追放され、ゴルドーに与する者だけが残った。外国からマチルダに流れこんできた戦士達は、騎士団にさえ忠誠を誓うならば、自分独自の宗教を持ったままでそこに止まることを許されているのだ。
 ────聖国教会の聖典の教えは、お前の神の教えと相反するのではないのか?
 マイクロトフがある時そう尋ねると、仰向けに草地に寝転んでいたカミューは、黒革の小さな聖書を自分の胸に伏せ、生真面目な友人を仰ぎ見た。日差しを味わうように目を閉じ、静かな溜め息をついた。
 ────全て娯楽さ。
 そう云った。
 その言葉が冷笑的であったり、挑戦的であったりしたならば、マイクロトフは不快感を感じたかもしれない。マイクロトフ自身は教会の教えに懐疑的だったが、それでも尚、教会を信じて真摯に仕える人々を敬っていた。
 だが、カミューのもの云いはいかにも無造作に満ち足りており、光や緑、戦場の天幕の下で手にする温かい飲み物を味わう時とまるで同じ様子だった。マイクロトフはただ呆れただけで、友人に意見することはなかった。
 戦場から帰るとカミューは祈る。ただし、彼の祈りには、祭壇も聖典も用いられなかった。戸外の風に吹かれて一時頭を垂れ、目を閉じて黙祷する。戦場に出る前ではなく、戻った後に祈ることを風変わりに思ったマイクロトフは、その疑問を口にしたことがある。そのとき友人から、彼の祈りは無事を祈るためのものではなく、死者にたむけるものだと教えられたのだった。
 ────国の倣いでね。自分の手にかかって死んだ者と、共に戦って死んだ者のために祈る。
 そう云われて、マイクロトフは目を見張った。
 ────敵のためにも祈るのか?
 ────死んだ後は敵も味方もないよ。残るものは想いだけだ。
 ────想い?
 ────その者が戦場から帰るのを待つ者の想い、共に帰ろうと誓い合った者の想い、その命を絶ち、死者ならしめた者……すなわち自らの想い。全てが戦場から共にやってくる。わたしは自分に縛られたそれらを解き放ってやるんだ。
 ────解き放たれた想いはどこに還る?
 ────風と土の許へ。
 カミューは簡潔に答え、それ以上は語ろうとしなかった。
 その話をした日のカミューは、式典に出るために赤騎士の礼服を身につけ、赤みがかった華やかな髪を後ろに撫でつけて、誰よりもマチルダ騎士然としていた。その姿の中に異国の死生観が眠っていようとは思いも寄らなかった。
 今から半年ほども前だっただろうか。その直前の戦いの武勲のため、カミューはのちに銀のエンブレムを授かることになったのだった。白銀で作られたそれより貴いエンブレムを身につけているのは、騎士団の長ただ一人だけだった。そしてその黄金のエンブレムも、近い将来、グラスランド出身のこの青年の胸に飾られるだろうというのが、騎士達の一貫した見方だった。


 同じ日に騎士の誓いを立てた友人が、先に階段を上って行ったことについて、マイクロトフが妬ましさを覚えるかと云えば、その答は不思議と否であった。
 正義感はふんだんに持ち合わせているが、野心に欠けたところのあるこの青年にとって、騎士団における未来というものは、道の向こうに茫洋と消えているように見えた。この道を歩き、時には走ってゆけば、自分はどこかに行き着くだろうか?
 その思いは、マイクロトフの中に普段は眠っていて、尖った先端でゆっくりと彼の心臓に食い入ってくる。切れ味の悪い刃物に似た虚しさだった。
 騎士になることは子供の頃から彼の憧れだった。ごく幼かった頃に母を亡くして以来、どこか、ここは自分のいるべき場所ではないのだという、奇妙な思いが彼にはあった。騎士になろうと思ったのは、自分の中で奇妙な風の吹く空洞を、愛国心ゆえに働くことで、消すことが出来るのではないかと思ったのだ。
 少年時代から、マイクロトフは黙りがちで頑固だった。だが、まだ子供らしい力にあふれ、自分が持って生まれなかったように思える何ものかを埋め合わせようという、熱心な希望をも持っていた。
 しかし、騎士の誓いを立てても、その漠々とした隙間は埋まらなかった。
 彼がそれを忘れられるのは、戦場にいて、命の危険を隣に置いて剣を握る時が多かった。
 青騎士マイクロトフが、年を追うほど、がむしゃらで、人の管制を受け付けない青年になっていったのは、人に説明しがたい喪失感を忘れようという焦りがあったからに他ならない。
 黒い髪と瞳の、大柄な青年に成長した彼が、勇猛であると同時に、ほぼ無謀な────常に任務に深入りしすぎるような戦士になったのはそのためだろう。周囲の者のなかには、戦いに出たマイクロトフを疎んじるものもあった。走り出すと止まらないマイクロトフの勢いは、頼もしくもあったが、時には周りを危険に晒すことがないとは云えなかったからだ。
 だが、マイクロトフは、戦場から帰れば憑き物が落ちたようになり、地味で小さな仕事を幾らでも引き受ける、生真面目な騎士に戻った。神がかったように戦場で働いた後、途方にくれた子供のように無口になるこの若い騎士を、青騎士の長もどう扱えばいいのか判断に苦しんでいるようだった。
 幾つ武勲を立てても、マイクロトフはそれに関心を持ち続けることは出来なかった。
 そのうち、胸の中にはまた小さな隙間が出来る。
 彼は黙って、その隙間を吹き抜ける風の音に耳を傾けている。やるせない、細い笛のような風だった。風が吹き始めると彼の周りは静かに暗くなる。夕暮れの中で見る景色のように、世界の輪郭がはっきりしなくなるようだった。
 赤騎士になったカミューが、考えられないほど早く銀のエンブレムをつけるようになった時、マイクロトフはふと、彼の姿が今まで以上に、自分の目の中で際だっていることに驚いた。それまで彼は、友人を目標にするということを知らなかったのだ。頭のずっと奥で不安定な音をたてる風と、それを消すことのために、無闇に働いてきただけだった。
 カミューは、そこにいるだけで周りを明るく見せるような男だった。その「周り」の中に自分も含まれていることを、マイクロトフは認めざるを得なかった。
 ────どうやら、カミューはおれにとって何か大きな意味を持っているようだ。
 余り友人を作らない青年は、年の近い赤騎士の友人について、時間をかけて、用心深くそう評価を下した。
 友人を曇りなく敬うのは、悪い気分ではなかった。
 カミューがグラスランド出身だというのも、マイクロトフの遅まきながらの憧れに華を添えた。自分の頭の中に吹く、煩わしい細い風を、異国の乾いた風がさらってゆくように感じる。カミューが自分を友人に選んだことの幸運が、彼の頑なな心に浸透し始めたのだった。

 カミューが、古い国の悲劇を謳った詩から顔を上げたのは、馬車の中に差込んでくる光が、真昼の白さを帯び始めた頃だった。
「わたしが、エルベルト城に行くのが初めてでないことを、お前に話したか?」
「いや」
 マイクロトフは物思いから覚め、友人の顔を見た。
「聞いていないが」
「マチルダに来て間もない頃、エルベルト城の話を聞いたんだ。わたしの故郷にも遺跡はあるが、隅々まで風と砂に洗われていて、とても古い魂や恐れの入り込む隙はない。エルベルト城にまつわる話に、子供の頃に読んだ、古い鍾乳洞や地下牢に、騎士の幽霊が登場するような物語を思い出したよ。それで一番最初の休暇に馬を借りて、エルベルト城跡の探索に出かけたという訳だ」
 マイクロトフは薄く笑った。カミューらしいことだと思う。そして内心、自分が出かけてきた理由は、カミューが少年らしい冒険心から廃城を見に行ったことより、遙かに思慮分別に欠けると思った。
「幽霊には出逢えたか?」
 そう尋ねると、カミューは心残りがあるように首を振った。
「残念ながら、ただの静かな夏の城だったよ。尤も人一人いない村は寂しくはあったが────わたしは家を一軒ずつすっかり歩き回ったんだ。誰も住まない家の鎧戸や扉が釘で打ち付けられている光景は妙なものだな。何を護ろうというんだろう? 自分が棄てて行く家だとしても、他の者を受け入れまいとする気持は不思議じゃないか?」
「故郷を離れても、そこが平穏であれと願うのは当然だと思うが」
「心を残して行くという訳だな」
 カミューは納得していないような声で云った。
「カミュー、お前なら、故郷の家を戸締まりせずに出てくると思うか?」
 そう尋ねると、カミューは窓の両側に引いて束ねられたカーテンの向こうを、眩しそうに見つめた。光があたって、彼の目は猫の目のように緑色がかって透きとおった。
「残してくる家族もなく、自分も戻る気がないとすれば、戸締まりはしないかもしれない。その後に、人でも、鳥でも、風でも好きに住むようにね」
 彼は夢を見るようにその端麗な目を瞬いた。マイクロトフは答えずに、不思議な気分で友人を眺めた。カミューの自由主義は、堅苦しいマイクロトフには、多少とりとめがないように思えることもあった。だが、その柔軟さは不愉快ではなかった。残された家に鳥や風が住むというのは、マイクロトフにも美しく聞こえた。住民のいなくなった家の荒廃をそう云い顕わすのは、カミューの言葉にふさわしく明るい表現だった。
「お前がエルベルト城で会いたかった幽霊は、美しい婦人の幽霊じゃないか?」
 彼が云うと、カミューは声を立てて笑った。マイクロトフがこういう冗談を云うことは滅多になかったからだろう。
「勿論、どちらかを選べと云われたら婦人を選ぶね」
 冗談の種になるほど、カミューの恋人は皆美しかった。彼を妬む者でさえ、最上級の花がいつもカミューのものになることを認めざるを得なかった。
 但し、彼の恋は何故だか長続きしなかった。城下でも名うての美女がカミューの腕に易々と落ちてくるが、すぐに枯れる花のように、或いは飛び立つ鳥のように、間もなく、次々と彼の許を去っていった。それは勿論若い騎士達の間でも取りざたされたが────いわく、カミューは手に入ったものにはすぐに飽きてしまうのであるとか、彼に欠けた所があるため、婦人達は彼の許に長くとどまらないのであるとか────、カミューがその恋の始まりや終りについて話すことはなかった。いかにもゆとりのある笑い方をしてみせるだけだった。
「故郷とは、場所よりも人を顕わすものだと思わないか?」
 カミューは笑いをおさめて、真顔でマイクロトフの顔を見つめた。
「少なくともわたしにとってはね。だから、去る前に家の扉を打ち付けても仕方がないように思えるんだ」
「お前の考えももっともだが」
 マイクロトフはカミューの意見に特別異を唱えたい訳ではなかったため、おだやかに云い返した。
「おれは、そうする気持も分かる。いつか故郷に戻り、自分の手でもう一度戸を開けたいと思う者もいるかもしれない」
 カミューは、まるでそこに柔らかい背もたれがあるように硬い窓際に背中をもたせかけ、年下の友人の顔を好もしそうに眺めた。
「その考えももっともだな」
 マイクロトフが努めた以上のおだやかさで、彼の言葉にそう応じた。

 ヴェルグに到着したのが夕刻を過ぎていたため、二人は村で宿を取ることにした。村の道は、馬車や雪靴で踏み荒らされて濡れていた。家々の屋根に雪が積り、昼の間にとけかけた白い斜面が夕陽を照り返して珊瑚色に輝いている。
「────つまりは」
 宿への道を歩きながら、マイクロトフは不意に云い出した。
 馬車に揺られ続けて硬くなった首筋をもみほぐしていたカミューは、いぶかしむように彼を振り向いた。
「何だ?」
「お前に、エルベルト城への案内を頼める訳だな」
「出来るものならそうしたいが、わたしが前に来たのはもう六年も前のことだぞ」
 カミューは、肩に提げた荷を揺すり上げて、村の道を見回した。
「村の様子さえだいぶ変っているんだ。しかもその時は春だった。案内役として今わたしが役に立つかどうかは疑問だな」
「その時は馬を借りたのか?」
「いや、馬で行くには途中の道が細すぎる。城に人が住んでいた頃は、広い橋のかかった近道があったそうだが、今は歩く方が無難だろう」
「明日も晴れれば有難いが」
 マイクロトフは空を仰いだ。雪が降れば城まではるかに時間がかかるだろう。
「雪なら、天井のない城に泊る覚悟がいるな」
 その時二人は同時に、太陽と月の模様を刻んだ看板に目を止めた。看板の横に、青く塗った魔除けが下がっている。百合の花や蛇を象った鋼の細工を吊るしてあるのだ。窓からは灯が漏れ、かすかに音楽が聞こえている。この村でただ一軒の、酒場を兼ねた宿だった。
「宿の者に話を聞こうか」
 カミューが扉を引いた時、マイクロトフは、どの家の軒先にも、同じような魔除けが下がっているのを眺めていた。白い砂糖菓子のような新しい家の入り口にも、新年を迎える緑のリースと共に、青い魔除けが下がっていた。
 ロックアックスの城下町にも、魔除けをつけている家はあるが、それはいわば気の利いた飾り物に過ぎない。ロックアックス城は大都市ミューズとの国境に近く、その城下にはミューズからの交易品や文化が流れこんでくるため、周辺の街には、マチルダ騎士団領の中で最も新しい慣習を取り入れた屋敷が連なっていた。
 しかし、僅かな距離を北上すれば、古めかしい山村はこうして生き残っている。騎士団の管理下にはあっても、その権威であまねく領土を照らすわけにはゆかない。騎士団領全てを見渡せば、このヴェルグのような古い村が圧倒的に多いのだ。
 騎士団は彼等の因習を力任せに剥ぎ取ることなく、彼等が文化の石段を上って行く足取りごと、領地の中に内包してゆかなければならないのだった。
 カミューはこれからそういった仕事に就くことになる。国の仕事は、戦いに明け暮れることばかりではない。都市同盟の力が充実すれば、これから平定の世の中が訪れるだろう。
 ────そのとき、おれは何を?
 マイクロトフは胸の中で自問する。頭の奥で、そっと細い風が吹くのはこういった時だった。剣を握って遮二無二働くことがない世の中で、自分の使い道があるのかどうか、彼には想像もつかなかった。
 マイクロトフはカミューの後に続いて宿の戸を押した。
「ご主人、宿を頼みたい」
 カミューは荷物を足許に下ろし、気さくな様子で帳場の仕切にもたれかかった。向こうで金勘定をしていた灰色の髪の小男が顔を上げた。肉の薄い顔はのっぺりとした無表情で、赤みがかったランプの光の中で顔の皮膚も灰色がかって見えた。
「何日だね」
「今夜一晩。連れもいる」
 男は、カミューの後ろに立ったマイクロトフの姿を眺めた。外套の下につけた長剣の形を見抜いたように、男の黒い目がマイクロトフの腰に止まる。だが、主人はそれには何も云わなかった。宿のあるじは詮索好きで話し好きだと思われるものだが、マイクロトフの知る限りでは口の重い者が多い。金を積むか、つてを辿るか、あるいは運良く情に訴えかけて初めて、彼等の豊富な情報を引き出すことが出来るのだ。
「部屋は一つでいいかね」
「それで結構だ。部屋に二人分の食事を運んでくれないか」
 カミューはマイクロトフに了解を得るように、視線だけを投げて寄越した。マイクロトフは肯いた。
「繁盛しているようだね」
 主人に呼ばれ、部屋の案内のためにやってきた若い男にカミューは話しかけた。
「雪で足止めをくらったお客さんが、新年のワインがつくまで逗留することにしたんです」
 男は丸い目を人なつこく和ませて返事をした。宿の主人に似ている。身内かもしれないが、主人よりも大分愛想がよかった。彼も長身の青年達の肩を越すか越さないかの小柄な男だった。
「明日になれば、南の、ゲートエデルからのワインが馬車一杯届きますよ」
 マイクロトフは思わず低く笑った。カミューをちらりと見る。
「それは、お前には辛い誘惑だな」
 カミューはワインに目がないのだった。殊に南部産の辛口の白を喜ぶ。必ず明日出発なければならない訳ではない。もしもカミューがその気なら、この宿に逗留する他の者同様、ワインを待ってもう一晩ここで過ごしてもいいと思った。
「お前がワインを飲まないような云い方じゃないか」
 カミューも笑ったが、さほどそれを惜しそうにする訳ではなかった。実際、城下街でもゲートエデルのワインを飲むことは出来る。だが、ロックアックス城から離れた村の宿屋で、見知らぬ客達と共にグラスを挙げることこそをカミューは好みそうだった。だが、マイクロトフはその時、この旅は、彼が自分に付き合うことになっていたのをようやく思い出した。カミューがゆったりと打ちとけた様子でいるため、彼が自分について来たことを忘れ、彼は彼の旅をしているように思えていたのだ。
 汚れてはいないが、壁紙も床も古びた、小さな寝室に案内される。狭い木製の寝台が二つ並べられていた。二人はそれぞれ荷を投げ出し、足を締め付けるブーツをようやく脱いだ。
 外套のボタンを外した時、マイクロトフの懐から転がり落ちたものがあった。それは外套の裾を伝って、隣の寝台に座ったカミューの足許まで転がって行った。
 白く光る指ほどのその筒を、カミューは屈んで拾い上げた。
「お前のものか?」
「────ああ」
 マイクロトフは少し間を置いた。それが自分のものと云えるのかどうかを考えていたのだ。
 カミューがそれを袖口で軽く拭って返そうとするのを、マイクロトフは軽く押しとどめた。近寄っていき、華奢な筒の蓋を取る。
「覗いてみてくれ。万華鏡だ」
 カミューは銀色の筒に嵌め込まれた、小さな硝子窓に目を押し当てる。そして、筒先をランプの方へ向けた。紅い睫毛を備えた目を細め、窓の内側を見つめている。
 マイクロトフはその中にどんなものが見えるのか知っていた。雪片のようなダイヤモンドのかけらや、星形に削った桜の樹皮、小さな真珠の粒を閉じこめて作った万華鏡だった。身分の高い婦人が楽しむための玩具だ。だが、それだけなら、滅多にない高価な細工というだけのものだった。
 その銀色の筒は見慣れない金属で作られている。色は銀に似ているが、銀よりずっとなめらかで、鏡のような表面をしている。しかし鏡とも僅かに違う。まるで見たことのないような材質なのだった。中を覗き込めば、その金属が外からの光を透かしているのが分かる。銀細工なら、向こう側の灯取りの硝子から光が入る筈だが、内側に鏡を敷き詰めているにも拘らず、その筒はぼんやりと外の光を取り込んでいる。おそらく今は、部屋に灯されたランプの金色の灯を透かして、中の細かな欠片を赤くきらめかせているだろう。模様をあみ出すための欠片は、透明な粘りけのある液体にひたされており、角度を変えれば、小窓の内側の様相をゆったりと歪めながら、右へ、左へと流れ落ちるのだ。
「変った作りだな。……油が入っているのか?」
「開けてみた訳ではないが、そういったものだろう。グラスランドでこういう細工は見ないか?」
 カミューは首を振った。
「いや、見たことがないな」
「それは、母の形見なんだ」
 カミューは、マイクロトフの厚いてのひらの中に、その小さな細工物を落とし込んだ。鏡のようななめらかな金属は、マイクロトフの冷えたてのひらの中でもすぐにぬくもりを吸う。
「母が亡くなった頃、おれはほんの子供だった。余り母の記憶はない。……が、母の遺品には不思議なものが多かった」
 彼がつぶやくと、カミューはかすかに目をきらめかせた。
「ランテルナ・マジカというのもそれか?」
 マイクロトフは肯いた。
「それは物ではないのかもしれない。だが、意味の分からない言葉を母の遺したものとして数えるなら、それも形見だと云えるだろう」
「エルベルト城跡と母上に関係が?」
 今度は、マイクロトフは肯くのに逡巡しなかった。
 下の食堂のざわめきがかすかに聞こえ、歩き回る人の足音が聞こえる。寒気に閉じこめられた宿屋は城とは違って、人の話し声や気配を容易に伝える作りだったが、それでもここにカミューと二人きりでいる実感があった。そして、目の前に座る友人は、彼の話が夢物語だったとしても軽んじはしないだろう。
「父は、母とどこで出会ったのか、久しくおれに打明けなかった」
 彼は、語るべき方向を探りながらゆっくりと云い出した。
「だが、この秋に父が肺病を患った後、手紙が言付けられてきた。その手紙で、おれにエルベルト城を訪ねて欲しいと云って寄越したんだ」
 自分でも苦笑しないでいるのが難しいと、彼は思った。
「父は、母が城の地下に一人で住んでいたと云う────母と最初に出会ったのは、そこだったのだそうだ」
 カミューは無言で、窓際に置かれていたランプを二つの寝台の間に置かれた小机に移した。
 脱いだ外套を肩から羽織ってゆったりと座り、マイクロトフの顔を見つめた。
 友人の明るい瞳が、話の先を促していることを知って、生真面目な青年は胸を撫で下ろした。

00: