ペーパーに載せた小話。
「読書中だったか」
ノックとほぼ同時にドアを開けたマイクロトフは、寝台に座って壁に背中をもたせかけ、組んだ膝の上に本を置いたカミューの姿を見て、一歩引きそうにした。堅苦しい彼は、これほど気のおけない仲のカミューに対しても、その時間を侵害することを頑なに嫌った。
「いや、構わない」
カミューは広げていた小さな本を閉じた。
「ベルドリッチ殿に貸して頂いた幻想詩人の詩集だが、いささか趣味に走りすぎたきらいがあって、読み進めるのに苦労していたところだ」
「幻想詩? 空想の叙事詩のようなものか?」
マイクロトフらしい質問に、カミューは微笑した。
「いや、絢爛豪華で壮絶なところは叙事詩と相通ずるとも云えるが、もっと享楽的なものだよ。深山渓谷に住まう怪物、墓地に燃える火、淫蕩な美女の怨霊、愛に狂い、殺し合う男女。悪魔に魅入られた詩人。どれも、悲劇性に富んで退廃的なものばかりだ」
マイクロトフは苦笑した。彼よりはカミューは娯楽的な書物を多く読むが、それでも哲学的な良書を好むことを知っていたからだ。今聞かされた話からは、それをカミューが好んで読む理由は見あたらない。
「しかし、興味深くはある」
カミューは、窓からいっぱいに入ってくる秋のはりつめた光の中で、うっとりと目を細めた。そうすると、彼のかすかに赤みをおびた白いまぶたの上で、紅みがかった睫毛が合わさり、閉じようとする花弁のように見える。マイクロトフはそれを賛美する自分の視線をカミューに知られまいと、思わず目を背けた。それ故に、細められたカミューの目が面白がるように瞬いたことを知らなかった。
「興味深い、とは?」
「この詩人は、快楽を生み出すものが、もっぱら淫蕩な美女や半神半獣の妖怪のみだと思っている」
マイクロトフは目を上げて、友人を見た。彼が何を云おうとしているのか、見当がつかなかった。
「だが、わたしは知っているのでね」
夏の名残をとどめて淡い金色に灼けた頬を、少し歪めてカミューは微笑する。
「悲劇的な運命の中にある詩人や、不倫の恋に身をやつす男女や、美女の幽霊でなくても────健康に生き、理想に燃え、毎日を剣の稽古に明け暮れ、礼儀作法に煩く、朝日と共に起き出すような、そんな或る一人の騎士が、どれだけの快楽を友人と共有するものなのか」
マイクロトフは目を瞠った。自分の頬に血の気が昇るのを感じる。
「カミュー」
咎めるような声を出すと、カミューは揶揄するように真面目な顔をしてみせる。
「そんな騎士をお前は知らないか?」
そして、マイクロトフの顔に現われた血色を、ロックアックス城の森で見た、サクラバサンザシの葉の紅葉のようだ、と云った。