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ラブレス(1999年11月)

04 29 *2009 | Category 二次::幻水2青赤

獣な青、というテーマで書きました。
幻水を書いていて、一番楽しかった時、青赤獣リングという、ネットの企画に誘っていただいて、わくわくしつつ書きました。

続き





それは一瞬のうちに起こったことだった。
ハイランドとの小競り合いに勝ち、ロックアックス城に引き上げてきた赤騎士団が、報告と武勲の授与のため、ゴルドーの許へ赴いた午後であった。
陽は高く登り、疲れた騎士たちが入城する足許を明るく照らしていた。大気の中に混じる埃が、冬の日差しの中で砂金のように耀いた。土埃をまとったままの鎧に、赤い布をあしらった具足のはがねが、気だるい安寧と誇りそのもののようにゆるく光っていた。
白騎士団の最高峰に立つ男でもあり、領主でもあるゴルドーは、眼前に跪いた赤騎士達に、マチルダ騎士団の名を世に知らしめた功を称え、戦いに疲れた騎士等をねぎらった。ゴルドーは、多くの領主がそうであるように、残忍で冷たい一面をも持ち合わせた男だったが、しかし、その巨きな身体はいわば国の象徴とするにふさわしいものだった。
戦いの余韻に高揚する赤騎士たちの目に、白と金の礼服に飾られたゴルドーの巨体は、マチルダ騎士団そのものであるように映っただろう。象徴は寛容である必要はない。むしろ狭量で残忍な神にこそ、人々が奉仕の意義を見出すことは、ひとの世の理不尽であると共に常でもあった。
このしばらく、ハイランド軍と剣を交える機会を手にするのは青騎士団であることが多かった。今年に入って、青騎士団が国境を警備する役目をになったからだ。都市同士の間に同盟が育まれ、近隣の国でその環に加わることを拒んだハイランドとの間にも、近々盟約が結ばれる。これからは国は平定の一方へ向かうだろう。それは、民のためには喜ばしいことであったが、戦場で武勲を打立て、高位の騎士になることを夢見る若い騎士たちにとっては、それは不満でもあった。ささやかながらに功を持ち帰った赤騎士達の高揚はそれを裏付けている。
「赤騎士団長カミュー、これへ」
のちに与えられる褒賞のあかしとして、騎士団長へ神木の一枝が領主から与えられることになる。一年前に騎士団長となった赤騎士、カミューが、顔をあげてゴルドーの前へ進み出た。
カミューは赤味がかった金髪を持った、端正な男だった。驚くほど若い。
以前から赤騎士団の中では切れ者として知られていたが、先の戦役で赤騎士団長が戦死したため、無位の騎士であり、その若さであったにもかかわらず、ゴルドーが彼を取りたてたのだった。
「此度のはたらき、ご苦労だった。貴様等赤騎士団および、騎士団長には、報奨としてそれぞれ金を支払うことになろう。また小姓であった者もはたらきを認められた者は、正式にマチルダ騎士として叙任式を執り行う」
ゴルドーが口をひらいた時、静まり返った中庭に、不意に鞘を払う音が響いた。
赤騎士団の中に控えていた男が不意に剣を抜いたのだった。
騎士団に入って数年の、壮年の男だった。真面目で地味な、無欲な騎士であった。戦いで傷み、切れ味の悪くなった剣を振りかざし、咽喉の奥に低い唸り声をわだかまらせて、ゴルドーに切りかかっていった。
それは、その場に隙の出来る瞬間を待ちに待った一瞬に滑り込んだ、絶妙な一撃だった。
むしろその男の技術より、思いつめる力の編み出した、運命の一撃とも云えた。誰もその男が鞘をはらってさえ、謀反を起こす可能性など思いも及ばなかったことが、男の切っ先を助けたのだった。
怒りなのか、怨念であったのか、傍目からは計り知れようもない暗いものを込めて、切っ先は今にもゴルドーに届かんとした。ゴルドーの前に進み出た青年が剣を抜く暇はなかった。若い赤騎士団長はその瞳の隅に剣のひらめきをとらえるや、自分の背を盾にして、全身でゴルドーをかばったのだ。
「!」
思いつめた一撃は赤騎士の右の背をつらぬいた。
若い騎士は物も云わずに地にうつぶせて倒れた。
ゴルドーは肩を怒らせて、巨きな身体をゆするようにして立ち上がった。周囲が色めき立ち、ゴルドー自身がその腰に下げた剣に手をやるより早く、再び剣をふるおうとしたその男の前に、無言で蒼い大きな狼のように走りこんだ者があった。
それは青騎士団の副騎士団長を務める青年で、マイクロトフといった。青騎士の中でも目立って長身だが、愚鈍なところがなく、重い両手剣や騎士槍を軽々と片手であしらう使い手でもある。次期の青騎士団長と目されている青年だった。
青騎士マイクロトフは、重いツヴァイハンダーを、紙で出来た剣ででもあるように軽々と振り上げて、刺客の胸から腹にかけて、一気に切り下ろした。
「殺すな、マイクロトフ……!」
地に伏せたカミューが、息を詰まらせながら叫んだのと、膝を折った男の襟を取り、青騎士が血にまみれたその身体を引きずり上げたのとはほぼ同時だった。
真っ黒な睫毛と前髪の先から返り血をしたたらせた若い青騎士は、何かが鬱積したような瞳をあげて、倒れたカミューを見下ろした。カミューは弱く咳込んだ。咳と共に、唇から血が零れ落ちた。切っ先が肺に届いたのだろう。
「心得ています、カミュー殿」
青騎士は低くつぶやき、血に濡れた刺客の身体を、後ろからやってきた他の赤騎士の手に委ねた。
そして苦しくてならないようにカミューからその目を背け、よろめくように一歩下がった。






しばらく躊躇った後、剣呑な面持ちの黒髪の青騎士は、そっと友人の部屋の戸を叩いた。赤騎士団の騎士団長になった友人は、宿舎の大部屋を出て、城の中に代々騎士団長の使ってきた広い部屋を与えられた。
元々、赤騎士団と青騎士団とに別れていたため、それほど頻繁に互いの部屋を行き来するわけにはいかなかったが、やはり騎士団長の部屋を個人的に訪ねるのとは違う。今日もここに来るまでに二人の歩哨に呼び止められた。昼、あのようなことがあったため、城の中の見張りが増えている。彼が青騎士団の副騎士団長であり、カミューの親しい友人であると知れているため、それ以上問い質されることもなく、部屋を訪ねることを許された。
部屋の中からいらえはなく、更にしばらくの間、戸惑いながら迷ったあと、マイクロトフは部屋の扉を静かに開けた。
部屋の奥に据えられた寝台の上に、カミューがうつ伏せになって眠っていた。
暖炉に火がくべられ、部屋中がいつになく暖められていた。眠るカミューの胸から肩にかけて白い布がびっしりと巻かれ、彼の傷を守っていた。カミューの、普段礼服や鎧に隠れた肩や背中は、包帯以外にはむき出しになっていた。身体が冷えないよう、その肩に、上掛けがひきあげられ、その上から上着が着せ掛けられている。今夜は、服を身につけるために腕や胸を動かさぬ方がよいという心遣いからだろう。身の回りを世話した者の気持が行き届いているのが見て取れる。
足音をしのばせて、彼は、シーツの上に伏せた横顔と、そこにかかった、赤に近い金色の髪を眺めた。顔色は真っ青で、唇が土気色に褪せている。
寝息があまり静かなことにふと不安になったマイクロトフは、かがんで顔を近づけた。
間近に近づくと、確かに彼に呼吸が通っているのが聞こえた。それと同時に、拭き清められたはずの血の匂いが、カミューのうなじにかすかに残っているのが分かった。
発熱のために肌を湿らせた汗と、その血の香を感じた途端、マイクロトフの腹の奥に奇妙な酩酊が甘く叫び声を上げた。疼くような痛みを伴う酩酊をやり過ごそうと、マイクロトフは息をつめた。
身体の中で何かが騒いだ。
咽喉をびっしりと熱い糸で巻かれたようだった。
これ以上、カミューを見ていないほうが良い。
そう思ったが、目が離せなかった。熱い痛みは益々強くなり、異質な体液の詰った腫れもののように、彼の喉元で抑圧となってわだかまった。
息をつめて友人を見守るマイクロトフの気配に気づいたのか、髪とほとんど同じ、しかしもっと赤味の濃い睫毛がふるえ、カミューは目を開けた。
湿っているためか、濃紅色の艶を増した睫毛の下に、透き通った緑色の瞳が現われた。痛みに曇っても、彼の瞳の光沢はマイクロトフの目を奪った。瞬きのたびに、または隣り合わせて朝を迎える稀な機会に、覆い隠す睫毛の、まぶたの下から、そのベリルの瞳は未知のみどり色の湖がひらけるように、マイクロトフの前に姿を見せる。
「来ていたのか」
顔を横に向けて伏せたまま、低く掠れた声でカミューはつぶやいた。瞳だけがかすかに動いて、マイクロトフを見た。
「ああ。痛むか」
「多少な」
それ以上の言葉をかけるのは躊躇われた。口をきくのもつらいだろうと思えたからだ。
「報告を聞いたか?」
マイクロトフが問うと、カミューは肯いた。
「そうか。……」
ふたたび言葉を継げずに、マイクロトフは寝台の側に椅子を引き寄せ、腰掛けた。
「……世話をかけたな……」
カミューがささやいた。マイクロトフは黙って首を振り、カミューが自分の表情を見るために自由に身体を動かすことができないことに思い当たって、声に出して、いいや、と答えた。その後は黙り込んで座り、うつぶせたカミューを見つめた。








ゴルドーに切りかかった男は、長い間赤騎士団につとめ、副騎士団長をつとめたこともある男だった。次期の赤騎士団長であろうと思われていた男であったらしい。地味な男だが、仕事には真面目で、手柄を逸るでもなく、臆病というのでもなく、堅実に赤騎士団の中で地位を上げて行った騎士であった。それが、前騎士団長の死んだ戦役で、つまらない失敗をしてゴルドーの怒りを買ったのだ。彼は副騎士団長から無位の騎士に降格することとなり、逆に無位の騎士であった若い男が騎士団長になった。
その恨みを、男は一年間ずっと腹の奥にはらんでいたのだった。それはしかし、この一年のことばかりではなく、マチルダ騎士団にあった十数年の間、累積したものであったに違いない。
ゴルドーを切るならば、暗殺などでなく、騎士たちの揃う公式の場で成し遂げようと思った、と、赤騎士はそう云った。殺せなくとも、切れればそれでよかった。前に立ちふさがったカミューにひと太刀浴びせることが出来たのは、男にとっては僥倖というべきものだった。
切ってどうするのだ。
マイクロトフは苛々と胸のうちを煮やすようにして思う。ゴルドーを切ったところで、自分の恥がすすげるわけでもあるまい。騎士として降格しても黙々とつとめるかに見えたその男を、マイクロトフは見知っていて、内心尊敬の念を抱いていた。
ゴルドーの残忍な気まぐれは、多くの騎士たちの承知するところであったため、荒れることもなくその降格を受け入れた男を、あえて揶揄する者は少なかった。
なぜ男という生き物はのぼりつめてゆこうとするのか。征服しようとするのか。戦い、他をねじふせ、犯すことに喜びを覚えるのか。
それは、自分自身の中にもその喜びがあることを知りながら、マイクロトフの中にいつも虚無的に口を開けている疑念だった。
その疑念は、誰よりも男の匂いの強い、この大柄な青年の中に長い間いぶり続けて、黒く暗い塊に変っていた。








マイクロトフの父は身体の大きな男だった。
勇猛な騎士であった。マイクロトフが十四歳になった年、戦いに出て死んだ。母を含む多くの人間が父の死を嘆き、死者が騎士として、また男としていかに雄々しかったか、言葉を限りに褒め称えた。
成長するにつれて、マイクロトフは鏡で映したように父に似ていると云われるようになった。黒い髪、黒い瞳、またその大柄な身体も、大木を貫くような剣の、また、騎槍の腕も。それをおそらく彼は誇りに思うべきだったのだろう。
しかしマイクロトフが父と似なかったのはひとえにその、思いつめるこころのかたくなさであった。子供の頃、父が全身から殺気をみなぎらせて闘いから帰り、酒と情欲におぼれるさまを、マイクロトフは嫌悪と共に眺めて育ったのだ。
父は戦いから帰った日は必ず母を抱いた。おなじ階に起き伏しすれば、母のなまなましい叫びが耳に届き、彼はいたたまれず、家を抜け出して夜を過ごすこともあった。母の声は抑える事もないように高く低く続き、それが父の好みからそうするのだということを、年を経るにつれて、マイクロトフは知るようになった。そして、母の叫びが快楽によるものだけでなく、痛みや恐怖を伴ったものでもあると知った。
父はその権威と大柄な身体をもって、妻を犯すことに喜びを覚える類の男だったのだ。
(「女の髪を撫でてやったところで何になる」)
父と一度だけ、そんな話が出たことがある。
(「おまえもいずれ分かる。女には娼婦か妻、二種類の者しかいないということをな。娼婦は犯し、妻には子供を産ませる、それが男の役割というものだ。もっとも男の役割はそれだけで済むものではないが……」)
そう云いながら、父は唇をにやりとゆがませた。切れの長い、黒い瞳の奥で理解し難いものがゆらめいた。
マイクロトフは愕然とした。それは彼の潔癖な人間観の中では受け入れざるべき考え方だった。祖父の妻の腹から生まれ、自らも妻を迎えながら、女をただ犯すためのもの、息子を生み出す胎膜として側に置く父の考えは、堪え難く汚らわしいものに映った。
彼は、今まで持たなかった第三の目が開けたような気持になった。
領地を争うことも、他国と闘うことも、根底にそれと同じものがひそんでいると思えたからだった。それは少年の彼の発想らしい、かたくなな考えでもあったが、しかし誤りというわけではなかった。
覇権を争い、自らの征服する領土を少しでも広げようとあがくのは、男の特性であり、騎士団のおさめる社会の、最も分かりやすい正義だった。
妻を迎え、その貞節を望み、更に娼婦や若い女の体を求めるのと同じように、騎士たちは馬を駆り、剣と騎槍を携えて、更なる領土を己が力で犯すために出かけて行くのだった。
自分が生まれ育ち、その適性を認められたのが、まさしくそういった世界であることに、彼は気づいた。
それゆえに、欲望を押え込んだ誇りのための戦いを、犯すためでなく、気持のまじわりのために女を胸に抱くことに、マイクロトフの執着は芽生えたのだ。








ひとつ年長の赤騎士、カミューと友人になったのは、騎士になって半年ほどたってからだった。
父の死後、間もない頃であったと思う。カミューは、遠方のグラスランドから来た少年騎士だった。
特有の金紅色の髪と緑色の瞳、透けるような白い肌は、カミューがグラスランド近隣の土地から渡って来た人間だということを物語っている。
(「両親が夜盗に殺されてね」)
十五歳のカミューは、おだやかな口調で、マチルダへやってきた成り行きについて、友人になったマイクロトフに語って聞かせた。
(「姉と妹と一緒に、母方の伯母のところへ来たんだ。マチルダには祖父もいるし、不自由はしていないよ」)
そう云って少し寂しそうに微笑んだ。
(「騎士になろうと思ったのは、強いほうが生き易いと思ったからだ。妹達も、将来家族になるかもしれない人も守ってあげられる。商人になって護衛を金で買うよりは、自分の腕を磨いたほうがてっとり早いだろう?」)
こんな考え方は、君は嫌いかもしれないが、と付け加えたカミューに、マイクロトフは首を振った。それはいわば、マイクロトフの中に芽生えて形になっていなかった疑念に、異質な回答を与える考え方でもあった。
家柄や領地、そして稚拙な誇りをふりかざす少年騎士たちの中にあって、カミューのあっさりした言葉は、合理的で大人びたものに思えた。
カミューは騎士団の中での出世には関心が薄いように見えたが、彼の才覚が、彼を埋もれさせてはおかなかった。頭が良かった。剣も使えた。紋章を使いこなす能力にも、めざましい才覚を見せた。彼は見る見るうちに上り詰めていった。
実際のところ、それはマイクロトフも同じことだった。あいにく彼は、紋章を使う才能には恵まれなかったが、彼の剣は、それをおぎなってあまりあるものだった。何よりマイクロトフは統率力という財産を持って生まれてきていた。
同性の信頼を受け易いのは、彼の嫉妬心がひとところにだけ集中していたため、他者に公平にふるまうことが造作もなかったせいもあるのだろう。
彼にとっての唯一の例外がカミューだった。
いつもどこか、カミューに負けたくない、と思う自分をマイクロトフはたびたび恥じた。
カミューへの執着が増せば増すほど、友の成功を喜ぶより、彼に見下されたくない、という気持が強くなった。
カミューの中で特別の位置を占め、彼にも同じように想われたい、という気持はおさえようがないほど強かった。カミューがマイクロトフの成功をあっさりと祝福し、屈託のない笑顔を向けてくることにさえ苛立つほどだった。
自分は父に似ている。慄然とする。カミューへの嫉妬、カミューに触れるもの全てへの嫉妬に苛まれるたびに、マイクロトフはそう認めざるを得ない。自分が、あさましいほどに、手応えのある勝利にかつえる本性を隠し持っていることは、疑いようもなかった。カミューが側にいなければ気づかずに済んだことだったかもしれない。そう思うと、マイクロトフは、親友に憎しみを感じることすらあった。
行き過ぎたカミューへの執着が恋情に変るのに、さほど時は必要がなかった。
カミューを腕に抱き、自分の体の下に押し伏せて、彼の身体を貫く夢を見るようになった。
飄々としてとらえがたいカミューが、その時ばかりは自分に支配されて、心身の自由を明け渡すさまに、マイクロトフは酔った。汗に濡れたカミューの体が自分をくるみこんで収縮する。拒むようにすくむその一部分を押し開いて、カミューそのものを深く犯す夢は、甘美な酩酊にマイクロトフを引きずり込み、夢とはおもえないなまなましさで吐精を促した。
そして、白茶けた朝を迎えるたび、マイクロトフは真っ黒な嫌悪感の中で、戦いの興奮のままに母を犯した、獣のような父の姿と自分を重ねるのだ。







カミューに気持を打ち明けたのは、カミューが騎士団長になってからのことだった。カミューへの想いは高まっていたが、同時にマイクロトフは、先に騎士団の最高位に上り詰めた友人への焦りが、その気持を助長しているのではないかという、己への疑いを捨て切ることができなくなっていた。
二十歳を幾つか越したばかりの若さで、あれほど嫌悪した父との、おそろしいような相似を自分に見出して、マイクロトフはカミューを避けるようになった。カミューを愛しているのか、彼に嫉妬しているのかが、益々判別することができなくなっていたからだ。
カミューも、マイクロトフが自分を避けることに気づいて、時折眉を曇らせるようになっていた。
ある晩、話がある、とカミューの部屋に呼び出された。
カミューは珍しい屈託を目元ににじませてマイクロトフを見つめた。彼に酒を勧め、荒れて苦しむ友人の葛藤を語らせようとした。カミューの言葉は柔らかく、しかし意志的で、そんなふうに問い詰められては、いつまでも気持を押し隠しておくことはできなかった。マイクロトフの葛藤は、ただでさえ堰を切るばかりだったのだ。
彼は、友人を失うだろう、という自虐的に黒ずんだ絶望と共に、自分の葛藤と欲望を生まれて初めて声に出して、カミューに打ち明けた。自分の望みについて、短いが、なまなましい言葉を綴って吐き出した。
惨めな気分だった。
カミューは酒の杯を手に、仰天したように黙りこくっていた。
もう言葉を見つけることも出来ずに硬くなって座していると、目の前で、カミューがそろそろと息を吐き出したのが分かった。目をあげて彼の顔を見つめると、当惑したようにカミューの紅い睫毛は伏せられて、瞳は隠れていた。顔色は少し青褪めていた。
(「そんなことで、わたしを友人の座から下ろすつもりだったのか……」)
ため息と共に、かすれた声をカミュ-は吐き出した。
(「そんなこと、か……」)
マイクロトフは苦笑して反復した。カミューに軽蔑された、と思った。やはり打ち明けるのではなかった。後悔が波のように押し寄せてきた。
(「お前にはさだめし下らない事に思えるだろうが、おれは苦しかった。お前の顔を見るだけで、ところかまわず打ち明けてしまいそうになった」)
苦い想いでつぶやくと、カミューは目をあげた。うすみどり色の瞳が、苛立つようにマイクロトフを見つめていた。
(「そんなことを云ってるんじゃない」)
床の上で、マイクロトフの間近に座したカミューは、珍しく気後れしたようにつぶやき、再びため息をついた。そして躊躇いながら手を伸ばして、マイクロトフの髪にそっと触れた。その華やかさから、いつも女性に囲まれるカミューのそれとは思えない、優しく潔癖な唇が、静かにマイクロトフの左のまぶたに触れた。
(「……なぜ早く打ち明けてくれなかったんだ?」)
拒まれなかった。
マイクロトフはその瞬間、カミューの本心を探る事も、自分自身へ抱いた疑念をそれ以上掘り下げる努力をも放棄した。
拒まれていない。たったそれだけを頼みにしがみついた。カミューの許容を感じ取った途端、マイクロトフの中から、抑圧と嫌悪の下に隠れていた熱が一気に噴き出した。
(「カミュー」)
彼の名を呼ぶのが精一杯だった。
マイクロトフは苦しさに耐え兼ねて息をあげ、カミューの身体をかき抱いた。待て、と、狼狽した声に制止されたが、とても待てなかった。硬く冷たい床の上にカミューを押し付け、貪るようにくちづけを降らせた。身体を覆うものを残らず取り去り、無防備な身体を曝したカミューに、ろくに愛撫もしないままで押し入った。
その夜のカミューの身体の中は熱く狭く、快いというには双方に与えられたのは痛みばかりだった。しかし、年上の男であり、目上の騎士の位にあるカミューが、その身体を蹂躪するのに任せている様子が、マイクロトフに、快楽以上の快楽を与えた。
目を閉じて突き入れ、押し殺した悲鳴を聞きながら引いて、再び突き入れる。そうしながらも、まぶたの裏にはやはり父の姿があった。剣を敵の身体に突き入れる胸の冷える高揚、敵の領地の旗を引き降ろし、自軍の旗をかかげる快楽、それらと同種の快楽があった。
苦しかった。快楽が咽喉を灼き、心の奥底を冷やした。
覗き込むたびにあれほどに自分の胸をときめかせる、カミューの瞳をまともに見る事が出来なかった。血の匂いがして、それは彼をひどく硬く昂ぶらせ、彼に貫かれた男の苦痛を増した。
(「マイクロトフ……」)
腕がそっとあがり、温かい指がマイクロトフの頬に触れた。指はかすかな震えを含みながら動き、彼の顎の先にしたたる滴を拭い去った。
(「何て顔をしてるんだ……」)
蹂躪されて苦しんでいると思った友人は、血を流すほど傷付けられている最中に、生真面目な声でそんなふうにささやいた。
(「カミュー」)
自分の咽喉から鳴咽に似た声が漏れて、マイクロトフは驚く。
(「すまない」)
僅かな間、かすかな怒りに似たものの混じった沈黙があって、友人は枯れた声でゆっくりと聞き返した。
(「何がだ?」)
何が、と聞かれてうまく答えられなかったマイクロトフは、息を吐き出して、ようやくカミューの顔を見下ろした。カミューのみどり色の目は痛みに潤んでいたが、表情には何の曇りもなく、マイクロトフを見上げていた。額が汗に濡れて光っている。息がはずんでいる。なめらかな胸がその息に合わせて上下している。
(「……乱暴だった」)
答える術を知らずに、そんな風に云うと、カミューは胸を浅くあえがせながら、かすかに笑ったようだった。
(「おれは婦人じゃない。……そんなに優しく扱う必要はない」)
笑みがまじって、言葉が少し崩れた。それがなおさらにカミューの許容を強調した。マイクロトフの胸は衝撃に痛んだ。
柔美な姿の友人は、彼のこわばったうなじに腕を巻きつけてそっと引き寄せた。招かれるままにかがむと、カミューはやわらかく唇を押付けてきた。快楽が彼を楽にする事に思い至って、マイクロトフはようやくそれに応えた。愛撫というものの意味を初めて悟った。
マイクロトフは、拘束するようにカミューを硬く抱いた腕の力をようやくゆるめた。髪に顔を埋める。爪をたてて握り込んでいたてのひらをほどき、痛みに耐えるカミューの髪をそっと撫でた。蹂躪の、引きずり上げられるような興奮には及ぶべくもなかったが、思いがけなく優しく甘い、やわらかな髪の感触がマイクロトフのてのひらにまつわった。
そしてマイクロトフは、自分が、腹の中にひそむ獣から決して逃れることが出来ないことを、ようやく知ったように思った。
友人を愛し、慈しみたい気持を裏返せば、彼を深く犯し、それを許されるのが自分だけなのだと確かめて、舌なめずりする自分の姿がある。カミューを貶め、彼も手の届かないような男ではない、と、そんな風に思ってかすかに充足する卑しいものが、他でもない自分の腹の中に棲んでいる。
それを許せないなら、苦しみと共に戦わなければならないのだ。
それと闘えるのはおれだけなのか。
痛みの汗に身体を湿らせたカミューを抱きしめて、マイクロトフは胸を苦痛に疼かせた。
逃げてもぐるりと回って同じ場所へ戻れば、そこには逃げだした時のそのままの姿で、黒くうずくまるものがある。そして結局は闘うことになるのだ。
それは紛れもなく、マイクロトフの一部だった。そして今は一部だが、闘わなければいつかそれは、彼の全てになるだろう。
それは闘うことの苦痛よりもなお堪え難い。
カミューは閉じかけた目を再び薄く開けた。うすみどり色の瞳でマイクロトフを不思議そうに見つめた。マイクロトフが我に返ったことを知ったのか、苦笑に似た笑みを青褪めた唇に刻んだ。
しかしほろ苦さはあったものの、それは決して冷笑ではなかった。その微笑には友人としての親しみが生き残っていることをマイクロトフは知った。
その暖かみが、マイクロトフの決心を後押ししたのだ。








カミューに気持を打ち明けてから春と夏が、そして秋も過ぎ去った。
闘いがあり、それを終えて、再びカミューは戦場から帰ってきた。
目下の、しかも青騎士の友人との間に新しく出来上がった関係について、カミューはいつも公平で楽天的だった。それまでは、彼はその気質の通り、女性との関係もやや放埓な男だったが、意外にもマイクロトフと寝床を共にするようになってからは、それも影をひそめた。
マイクロトフの葛藤を楽々と受け止め、仕事を、生きることを最大限に楽しんだ。カミューは、一種快楽主義的な性質の男なのだろう。その彼の傍らにあるマイクロトフの胸のうちは複雑だったが、以前のような嫉妬に胸を焦がすことはなくなった。
ゴルドーに打ちかかり、カミューをも斬ったあの男は、一年前までの自分のような感情を、カミューに抱いていたのではないかと思う。
彼の徹底した生への肯定は、そうできない人間を嫉妬させずにおかないところがある。
カミューを傷付けた人間をかばってやることはないと思いながらも、かつてカミューに救われた覚えのあるマイクロトフはそう考えた。
マイクロトフは、背中の傷の痛みに浅く呼吸するカミューの傍らにあって、どう接していいのか分からずに、今にも眠り込みそうに弱った友人を見下ろした。
「眠れるようなら眠れ。おれはもう引き上げる」
カミューはかすかにうなずいた。唇の褪せた土色が死者のもののように見えて、マイクロトフはぎくりとした。彼は立ちあがり、カミューの髪に触れた。ふと肩口に触れると、肩の皮膚は凍るように冷たかった。額は燃えるように熱いのに、肩も腕も氷のようだ。傷のために血がよく通っていないのだ。
彼は、冷えた肩をてのひらで包んで温めた。
重みをかけて傷を刺激しないよう、カミューの上にそっと自分の身体をかぶせ、熱く疼く額や、冷えたうなじ、肩口に唇を落とした。
血と汗の匂いは彼を習慣的に興奮させる。カミューの血の匂いは、彼を初めて抱いた晩の記憶を想起させるのだ。青褪めてそそけだった頬に触れ、その頬にもくちづける。
「……今日は許せ……」
カミューのつぶやきが聞こえて、マイクロトフはぎょっとして目を見開いた。
「当たり前だ」
そう抗議すると、苦痛に途切れる息の下でカミューが笑うのが分かって、マイクロトフは自分が揶揄われたことを知った。苦笑する。
「……早く治せよ」
ささやいて、そっと髪をかき乱した。そして、再び自分が乱した髪をすきあげて、整えてやる。
髪を撫でてどうする、と父は云った。マイクロトフ自身も、自分が恋人の髪を撫でるより、血の匂いのする身体を裂くことに強い快楽を覚える性向を持った男であることを、すでに心得ていた。
しかし、剣を握る手でいとおしむこと、隣に眠る者の髪を梳く快さを、マイクロトフはこの男に学んだ。
彼のてのひらの熱の下で、カミューは安堵したように目を閉じた。傷ついた身体を無防備にマイクロトフに委ねて、眠りに引き込まれようとしている。
自分がいっそ人でないものであればいい。
寝台の側に跪いて、カミューの髪に顔をうずめたマイクロトフは、不意にそう思った。
例えば自分が一頭の大きな犬であったなら、噛み裂き、むさぼり、ねぶることへの欲望を隠す必要はないだろう。欲望を覚えた時、雌とつがい、子を生し、自分の雌と子を傷付けるものに唸り、飛び掛かって行くだろう。
あるいはカミューの足許に横たわり、そのてのひらの与えてくれる愛撫を求め、傷ついたカミューの血の匂いに高揚して、その傷にむさぼりつくだろう。そこに権威や誇りは介在しないが、恥も自己憐憫も嫌悪もなく、匂いや味、触感、欲望のために動き、なりふりも構わずにカミューを愛し、彼に愛されることを求める事ができるのだろう。
それは望みというよりも、遠い夢に似た手応えのない感傷だった。おそらくカミューの傷が癒えれば、跡形もなく、そんなことを考え付いたことすら思い出せないような、埒もなく脆い夢だった。
しかしそれは、感傷とはいえ、マイクロトフが初めて、恋のために己の在り方を殉じようとした瞬間だった。
嫌悪や欲望と闘う事に夢中で、欠かしたままにしてあった何ものかが、彼の中に訪れようとする、ほんのかすかなきざしだった。


思えば、自分が初めて苦しみを打ち明けた晩、カミューはこんな風に自分に触れた。唇と指を使ってそっと意志を伝えた。自分を優しく扱う必要はない、と云いながら、子供や女にそうするように、マイクロトフに優しかった。カミューがいかなる形であれ、自分を傷付けるつもりがないのだと、あの晩、唇と指の示す優しさに、マイクロトフはようやく知ったのだ。
彼は、記憶の中のカミューの仕草を真似て、傷ついて眠る男のやわらかな紅い髪に触れた。そして、壊れ物に触れるように優しく唇で触れる。
あるじの愛撫を待つ獣のように、カミューの手元に頬を押しあてた。
そして、はれぼったい痛みに似た嫌悪の取り除かれた五感で、カミューを最大限に感じようと、自分もわずかな間、目を閉じた。

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